フォークと野球

「世の中、弱肉強食っていうけれどー、弱者は弱者をいじめてうさをはらすんだ。だから、あなた達は弱者の中でも最底辺だよ」
 空は快晴。
 帽子を被った茶髪の少年、フォーク・キルストゥは気品あふれる金髪の少年に叫んだ。
 バッターボックスに立つ少年は、フォークを嘲る笑みを浮かべていた。
「おい、フォーク! 相手考えて言えよ!」
「うちのお母さんなら、弱肉強食? 強いやつには噛み付いていけ! 弱いやつしか相手にできないやつが本当の弱者だ! って」
「ふぉーぉおおぉっく! 相手は貴族なんだぞ! 少しは自重しろー!」
 バッターとして立っている金髪の少年が、青筋を立ててバッドを握りしめた。
「はん、ただの一般人風情が吠えるな! 劣ってるのはそっちだ!」
「いやフォークだけは野球しちゃいかん、だから素直にキャッチャーに戻ってくれ!」
「いやだね! わざと怪我させたくせに謝りもしない人、身分の立場なんて関係ないよ!」
 フォークの先生は頭を抱えて、貴族の学校の先生の睨みつける顔に、必死に頭を下げていた。
 その様子を眺めながら、フォークは身分と人としてのあり方は違う、と改めて脳に刻み込む。
「はんっ、貴族に対して言いたい放題だな」
「負けるのはそっちなんだから、やるよ、みんな!」
「えーと、フォークくん、手加減してね……」
 軍人の親を持つルルが、手を合わせて叫ぶ。
 金髪のバッターはルルを横目で見ると、聞こえるように舌打ちした。
「練習試合なんだが……うん」
 先生はつば付き帽子を被り直しながら、貴族の選手たちを見やる。
「フォーク、行け―!」
「ラルフ様ー! こんな庶民風情、打って差し上げてー!」
 二人それぞれを応援する声が飛び交う。
 金髪の貴族の少年は、ふんっと鼻を鳴らして、構える。
 フォークはピッチャーとして、わざと怪我させられて倒れた同級生の背中を思う。
 敵は取る。
 ――一塁へ走っていき、一塁へ到達ぎりぎりのところで足を蹴られた。
 が、審判はそれを見ていたにも関わらず、見逃した。
 ――普通学校チームが訴えても、貴族学校チームはくすくすと笑うだけだった。
 フォークでなくとも憤慨したが、貴族のほうが身分も上、これはあくまで彼らと一般人が別物だと思いしらすためのこと――。
 正々堂々な勝負をしようとした貴族の人間もいい顔をしなかったが、チームの中の順位付けで下位のほうなのだろう、なにもしなかった。
 すっと、フォークは息を吸う。
 バッターの金髪の少年――ラルフも、余裕綽々の笑みを浮かべていた。
 こいつ程度打てる。
 その余裕。
 フォークは、怒りが嘘のように引いていく。
 ざわり、と一瞬時が止まったような、覇気があふれた。
「ふっ!」
 キャッチャーのミットに向けて、無心でストレートを投げた。
「――っ!」
 その球は風の塊だった。
 ラルフは目を見開いて、固まっていた。震えることさえ忘れていた。
「うわっ! だからフォークの球は嫌なんだよ!」
 それは、ラルフの斜め後ろから聞こえた。
「え?」
「今、投げた?」
「いやいや、あの茶髪、もうボール持ってないぞ」
 ラルフはからんっと、手からバッドを落とした。
 今まで打ってきた球の速度とは違う。
「手ぇいてえぞ、フォーク!」
「すみませーん、勝つまで耐えてくださ―い!」
 キャッチャーとピッチャーの会話に、貴族のラルフは意識をフォークへ向ける。
「な、なにをした!」
「なに? 君程度、ただのストレートだけで十分だよ」
 キャッチャーの上級生は、それだけでも十分怖いよと呟いていた。
 そして、時間が止まる。
 貴族チームのほうが二点先制点を取っている。
 だが、フォークはそんな勝ち負けはどうでもよかった。
 同じチームの仲間を侮辱された。
 人数合わせで連れてこられ、お前は大人しくベンチに座ってろと言われたが、謝りもしない貴族たちに怒り心頭だった。
 が、勝負事でわざとチームプレイヤーに怪我をさせられたのだ。
 それもわざと。
「強いつもりだろうけれど、きみたちはまだ、親の七光りで英才教育を受けてるだけだよ」
「違うっ! お前らより練習している!」
「ならわざわざ怪我させる必要はないでしょう!」
「怪我させてねーし?」
「この――」
「フォーク。試合に集中しよう」
 言葉で語るな、と味方チームのマネージャーが口元に手を当てて叫ぶ。
「あなたなら、大丈夫だから!」
 暗に貴族チームを彼女もけなしているのだが、マネージャーの女子は気にせずに叫んだ。
 審判もこくりと頷くと、試合に意識を向ける。
 フォークは両足をつけて、冷静になるべく目を閉じた。
 そして、怒りが引いていくのを確認してから、キャッチャーのミットへ向けて合図に頷く。
 そこから、三振の嵐が降り注いだのは、庶民チームも貴族チームも目をむくことだった。



 その光景を、フェンスごしに見ていた兄たる茶髪のツキと、氷色の髪の青年の二人は、息を同時に吐いた。
「おー、フォークくんって本当に運動神経いいんだな!」
「運動競技でまともにできるの野球くらいだからな」
「お?」
「サッカーは注意しないと蹴破るし、バレーは打ったら必ず線を通り過ぎるし、バスケもスリーポイントだと看板にヒビ入れる」
「……怪力?」
 かもな、と遠い目をしてツキは、アイスへ告げる。
「母さんゆずりの力馬鹿……ってほどではないんだが、運動に対してはそうなるんだ。なぜか」
「へぇー」
「だから、なるべく授業以外では競技はさせるなって言ったんだが……なー」
 言いながら、彼は頭をぐちゃぐちゃにかく。
「変に目立ったら反則級なんだから、困るんだ……うん、変なところからのスカウト受けたりしたら困る」
「弟思いだねえ」
「そりゃあな。なんか、勉強の出来は悪いけれど、基本的にフォークは真面目で何事も打ち込んでるから」
「そろそろ、お前も進路決めるんだろ?」
「まあ、遊び回ってるわけには、そろそろいかないからな。母さんが怖いし」
 そう言うと、ホームランで気持ちよく飛んでいく打球の行方を追いながら、ツキは背を向ける。
「帰るか?」
「うん。フォークたちのチームの逆転勝利になったのは確実だからな」
 見ずともわかる結果に頓着せず、ツキは茶色の髪をいじりながら、嘆息した。



「だーかーらー! 言ってやったの! 悔しがってる貴族チームの人に! 真の強者は弱者をいじめないって!」
「母さんの受け売りだなー」
「ふふっ、フォーク、そうよ、強い者は無闇矢鱈に強さを誇示しない。弱点に反転することもあるからね」
 食卓で、フォークは母親に自慢気に今日の野球の出来事を話して聞かせていた。
「でもね、フォーク。あまりそのことで興奮してはいけないわ」
 不意に、母のスイッチが切り替わる。
 昼食の家の中が、冷たい空気に支配される。
「いい? 本当の強者は、それを見せびらかしたりしないものなのよ。フォークも、気をつけなさいよ」
「はい……」
 浮かれていた気持ちが沈んだフォークに、母はぱっと破顔した。
「ま、それはそれとして。頭にくる貴族様には一泡吹かせられたんでしょう? よかったじゃない!」
「まあ、反則級と反則は違うからな……」
「ところでツキ。仕事探しはやっぱり、ピンとくるのない?」
「うん。今のところ、ないかな」
 落胆させただろうな、と思っていると、母はにやにやと嫌らしく笑っていた。
「傭兵と軍人以外ならオッケー出せると思うから、悩むだけ悩みなさい」
「どうして、お母さんはそれはだめっていうの? お医者さんはいいのに」
「フォーク、ここだけの話、ツキに医者は無理よ。ここにいる時点でその選択肢はないの、人生悲しいことに」
「おい、言ってることぶれぶれじゃんか」
 青筋を立てるツキを見て、母は片目を閉じて息子の瞳を射る。
「いいえ。医者は言った通りだけど、傭兵は金のために人も殺せるし、軍人は国に奉仕するために人を殺せるの」
 真摯な言葉に、二人の息子は口を閉じる。
「まあ、軍事国家で言うのもアレだけど、人殺しを平気でできる仕事なんかにはついてほしくないのよ。本当、数年前なら言えなかったことだけど」
 失いたくないものが出来た。母にとっては、父がそうであり、息子たちもその一欠片なのだ。
 傭兵として生きてきたがゆえに、いま主婦をしていることが、夢のような生活に思えてならない。
 だから、彼女は繰り返す。
 弱者である父の面影を強く残すツキと、自らと同じ強さを宿すフォークを見て。
 けっして、成人するまで見放すわけにはいかない。
 そんな、なぜか危うさを見て取れる息子たちは、そんな母の心境など知るはずもなく。
「うーん、母さんの友達って傭兵多いもんなー」
「いい人ばかりだよね!」
「全く。騙されちゃ駄目よ、ふたりとも」
 びしっと指を立てて、母は朗らかに笑う。
「にしても、人運だけはいいのよねー自慢だけど」
「母さんの友達って見た目は怖い人多いけど、実際はけっこう優しい人多いよね」
「まあね。亡くなった人もいるけど」
 と言いながら、母は夫を思い浮かべる。
 へらへらしてるといえるが、芯の通った考えを持つ、心の強い者。
 そこに惚れたのは、流石に言えない。
「さて、もうフォークは助っ人でも野球は禁止ね」
「えっ」
「貴族の嫌がらせはねちっこいのよ、経験則だけどね」
「それは母さんが因縁つけて――いてっ!」
 デコピンを受けて、ツキが目を閉じる。
 その痛みに悶絶しながら、彼女は心配するフォークとツキを親身に見やる。
「いつか終わるとしても、せめて、仇返しで終わることがありませんように」
 ポツリと呟いて、母は表情を明るくさせる。
「で、フォーク。お父さんが作った新作のドレスがあるんだけど――」
「着せ替え人形にするなって、母さん!」



 そんな、平穏な日々が続く中、キルストゥ家は危機が迫っているとは、この時はまだ誰も思っていなかった――。