偽物たちの宴

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 生きてるのがくだらなくなるような晴天だった。
 真新しい軍服を着た少年は、立った黒髪に困惑の色を宿した黒瞳。
 行くべき先を見つめ、背の高い建物の隙間に隠れながら、まだ幼い少年は眼に映した現実を見つめていた。
「これ、届けないと……奴らに、捕まる前に」
 人々が通り過ぎる、平穏な坂に満ちた町。
 街頭がぽつりぽつりと立ち並んでいるが、所々少年と同じ服装――軍服を着た男たちが怒号を上げている。
「見つかったら、終わりだ……」
 絶望に、腕が震える。
 手に握りしめていた町の現状をしたためた封筒をポケットにしまいこむと、ホテル街へ繋がる道へ駆け出した。
 小粒ほどの、奇跡を信じて。



「うわぁ……中にも人が、いっぱいいるー」
 茶色の瞳を目一杯見開かせて、フォークは電車の中を物珍しそうに眺める。
 足を止めず、また折りたたんだ車椅子を大事に抱えながら、立つ人の合間をぬう。
「ウィンストン先輩、えっと、指定席なんでしたっけ?」
 進むのも苦労する人々の合間を縫いながらも、フォークの声は弾んでいた。
 電車の白い肌に、紺色の座席を埋め尽くすのは人人人。
 普段電車に乗らない田舎人丸出しの様子に、セプテットは目をそらして嘆息した。
 通勤だろうスーツ姿の人が車両を埋め尽くし、中には学生や軍人らしき格好の人もいる。
 駅で見た人たちのうち、制服を着た少年と青年の間の人もいたが、会社の出張に行きそうな格好の人のほうが目についた。
「席取らなかったの?」
「ああ。指定席は高いからな。それに、今日はすぐ着くところに宿とってるからさ」
 ウィンストンは出入り口付近の手すりを握りしめると、同じく近くにいて車椅子から降りて立っている女性陣――セプテットとウィズベットをまじまじと見る。
「フォークも手すりに掴まってたほうがいいぞ」
 ウィンストンの心配げな声に、フォークは眉を下げて横目を見る。
「学生さんに睨まれてるから、いいよ」
 エルニーニャの男の軍人は学生服と見間違うような服装をしているのがふつう。
 というので、一般人で両親を軍人に殺害された過去を持つフォークは、できれば知らない軍人と関わりたくはなかった。
「あれ、軍人じゃないから安心して」
 棘のある声は、まるで敵に向けたもののようだった。
 フォークは、折りたたんだ車椅子を脇に抱えて、隣によりかかるセプテットを見る。
「さすが現役、見ればわかるのね~」
 電車の振動でセプテットにしか届かない声量で、ウィズベットも反対側にいるにやにやした学生服の数人を見やる。
「……ちっ、どこで降りるかわかれば、本職にマークさせられるのに」
「あらあら、セプテットちゃんは意外と仕事熱心ね~」
「違うわ。ああいう輩はだいたい危険薬物とか、裏社会とかに関係してるやつがほとんどなのよ」
 西司令部の人間がわざわざ中央司令部の範囲まで来たのもそのせいだしね、と付け加える。
 学生服たちは現役のセプテットが本物の軍人だとは気付いていない。
 西司令部直属の制服は、中央では見かけないからだろう。
「詳しい、というかセプテットちゃんは、どれくらい軍にいるの?」
「先代大総統と現大総統が入れ替わる頃から入ったから、結構経つわ」
「え、それってけっこうおばさ――いてっ」
「先輩、女の子の年齢聞いちゃだめだよ!」
 フォークが肘でウィンストンの茶色い目を見て突いた。
 そんな中、景色が緩やかに過ぎ去る窓を見つめながらも、電車が減速していく。
 学生服の男たちに降りる気配はない。
「目的地はまだ先なの?」
 セプテットが棒に掴まりながら尋ねる。
「ああ。オレたちもまだ先だぞ」
 えっへんと胸を張るのは、ウィンストンだ。
「降りるところ、一緒じゃなきゃいいけれど……」
 フォークの自信なさげな一言に、ぎろりとセプテットの視線が棘を持って向けられる。
「あんな紛い物、さっさと本物の軍人たちに捕えさせるべきね。ただ、証拠がない……ちっ」
「う、ごめんなさい」
 銀色の棒を力強く握るセプテットに、反射的にフォークは謝った。
 しゅん、と肩を落としながら、フォークは車椅子を抱え直す。
「まあいいわ。私の管轄外だし、今の任務はあんたたちの護衛だから」
 苛立ちを隠さないセプテットに、ウィンストンは主導権を握られてるな、と心がちょっと傷つきながら、車窓の景色を見た。
 反対側の学生服たちは、ちょうど間に関係のないスーツの人達がいるせいか、こちらには気付いていない。
「セプテットちゃんは、偽物と本物の見分け方がついてるの~?」
「軍人のふりをしている奴らくらいの見分け方なんて簡単よ。もう軍人歴何年やってると思うの? 理解できないほうが馬鹿よ」
「う、ごめんなさい……」
「謝ることじゃないでしょう」
「そうよ~。それより、男の子たちは料理の勉強に来てるんだから、関係ない人たちのことなんて忘れちゃいましょ~」
 フォローされ、フォークはそうだった、と脈打つ心臓に期待が膨らむ。
 リタルとともに、首都レジーナから出た時のように、いや、それ以上に一年もの時間をかけて旅をするのだ。
 緊張と興奮が混ざらないほうがおかしいに違っている。
「ん、次の駅で降りるよ」
 と、ちょっと悲壮感をにじませて告げたのは、この旅行の主催者のウィンストンだった。
 その言葉を聞いて、フォークたちは顔を上げる。
「ギル、って人と連絡取っててさ。東の家庭料理を教えてくれるってことで、メールしてたんだ、昨日」
 電車が告げる町の名前が降りる駅名でもあると、ウィンストンが三人に説明する。
 フォークは驚き、セプテットはそんな彼を椅子、座らせなさいと睨みつけ、ウィズベットは楽しく行きましょう~と間延びした柔らかい声を出す。
「さあ、一日目の始まりだ!」
 ウィンストンの掛け声に、三人は三者三様の笑みや嘆息をした。



 人の波に押し出される前に、さっさと出入り口付近にいたフォークたち四人は駅へ降りた。
「わぁ……」
 フォークは透き通っているような空気に異世界へ来た錯覚を覚え、ぼうっと立ち尽くした。
 押し込められていたせいか、異常なほど開放感に満たされる。
「ちょっと、早く車椅子広げなさいよ」
 と、現実に巻き戻すように、少女――セプテットが立ち止まっていたフォークの肩を乱暴に叩いた。
 薄っすらと、並大抵の鍛え方ではない肩の筋肉の感触に、彼女は目を丸くする。
 そんなことなどつゆ知らず、フォークは慌てて車椅子を持ちながら、駅に備え付けられた椅子の横で車椅子を整える。
 初めてだったが、とても軽く開きやすかった。
「あんた、本当に一般人?」
「うん」
 フォークは息を吸うように、心の中の本心を吐き出した。
 疑惑を抱くセプテットに苦笑を返しながら、視線が降りていく例の学生服御一行に視線がいく。
 スーツ姿の人たちなどに混じって、数人の男たちが駅を通って高い坂道をのぼっていく。
「えーと、ギルさんの家は西の住宅地、オレたちが泊まるホテルは東側だ」
 いつの間にかウィンストンが地図を取り出して遠くに見える坂道を見上げた。
「けっこうここ、坂は急なのよね~」
 と付け加えたのは、料理記者のウィズベットだ。
 まっすぐ指された指を見ながら、フォークが車椅子を押す。しかし、町は沈黙しているみたいに、人の居ない寂れたと言える駅を通る。
「ねえ、ウィンストン。地図に軍人の詰め所は載ってない?」
「ああ、それならこっちの地図かな。でもどうして?」
 セプテットの問いに、彼は首を傾げる。
「一応、ね。別の管轄の軍人が事をなすときは、その場にいる人に挨拶するのが礼儀、なの」
 ちょっと濁った言葉は彼女の上官の言葉だからだ。
 しかし、遊撃隊として時たま中央や東、北に行くこともないではなかったため、正規のどこ出身の軍人か、ということはしっかりしておかないと困ることもあったのだ。
 なんてことはセプテットの都合。
「先にホテル取っておいて。荷物、置くんでしょう?」
「護衛が離れていいのか……?」
「あら~? セプテットちゃんのほうがいい? 大丈夫、アガルタ先生に頼まれたから、安心して~」
 とウィズベットが腰をぱんぱんと叩いて、満面の笑みを浮かべた。
「何かあったら、わたしがなんとかしてあげるから~」
 もう何かが起こること前提ではないか、と訝しむウィンストンだったが、料理記者は邪気のない笑みを浮かべて彼の手を握った。
「じゃあ、待ち合わせは駅前のここで。いいかしら~?」
「ええ。よろしく」
 と、女二人は簡潔に、そう出会った時間もないというのに笑い合った。
 太陽は、まだ中天で飛び去る四人の姿を見守っていた。


「ぐぬぬ……けっこうきつい……」
 いい天気が恨めしいと、茶髪の青年、フォークは坂を車椅子を押して歩いている。
「風が気持ちいいわね」
 昼時の料理の香りがあふれる住宅街を、セプテットと共にフォークは息切れなしに進む。
 セプテットは彼の苦労などどこ吹く風で、車椅子に身を預けている。
「ここ、坂の街だね」
「詳しいことはウィンストンにでも聞けばいいわ」
 さらりと護衛対象を呼び捨てにしながら、軍人がいるだろう施設に向かう二人。
 街の人がいる気配が薄い、とフォークは感じながら進んでいた。
「えっと、セプテットさんは、命令だから護衛についたの?」
「呼び捨てでいいわ。困ることもないから」
「あ、うん。でも……セプテットちゃんのほうが、似合うかな」
 フォークは緊張しながら、車椅子に腰掛けるセプテットの後ろ姿を見やる。
 睨まれた。それも肉食獣のように、獰猛さを秘めて。
 と思ったら、セプテットは深く深く、フォークに届くくらいわざと嘆息した。
「ちょうどね、遊撃隊隊長は追い詰められた犯人を追いかけて、足を撃たれた」
 と、なにかを諦めたように、彼女は言葉を紡ぐ。
「もう一人の相方が隊長の援護についてて。そしたら私たち、いつの間にか中央の管轄に入ってたのよ」
 ぎいぎいと車椅子の音を聞きながら、セプテットは茶髪の短い髪をいじる。
「中央の管轄で治療中に、あの事件――キルアウェートが爆発事件を起こしたっていう、中央の事件の手伝いに、私は暇だからって駆り出されたのよ」
「好んで、じゃなさそうだね」
「当たり前でしょう。隊長を撃った犯人は別の人が捕まえたけど、フリーになったら今度は一年かけてあちらこちらと放浪の旅の護衛よ? 運が悪いったらありゃしないわよ」
 吐き出される本音は、ウィンストンには言わないでおこうとフォークは胸に刻んだ。
「セプテットちゃんは、遊撃隊の人が好きなんだね」
「ええ。もうかれこれ、先代の大総統の頃からの付き合いだし、ま、いろいろ長けりゃ愛着も湧くのよ」
 知らないでしょうけれど、という言葉は、棘がなかった。
「いいなぁ……」
「それに、フォークが考えているほど、私はいい人じゃないんだから」
「え? なにか呼んだ?」
「なにも。それより、地図合ってる?」
 セプテットの呟きは、風がさらっていった。
「そろそろ、のはずだけれど……」
 と、フォークは首を回して、あ、と声を上げた。
「あそこ、軍のマークがある! でも坂の上か……。セプテットちゃん、歩かない?」
 事務方でもないのに、車椅子に座っている彼女に提案する。
 さすがに三十分近く、押しながら歩き詰めのフォークは汗を流していた。
 それだけ坂が急なのだ。
「下手に歩けないわよ」
 と一蹴されるが、なぜ歩けるのに歩かないのか、フォークには理解不能だった。
「それより、手離したら殺すから」
「ぼくが護衛してる気分になってきたんだけどっ!?」
 その通りでしょう、と言いたげに、セプテットは後ろを向いて睨みつける。
 内心、フォークは選択を誤ったかーと心の中で泣いていた。
「はー、やっと着いたー」
「お疲れ様」
 坂の頂上に辿り着いて、ぽつぽつと坂を歩く人々を見つめる。
「この町の人たちは、坂に慣れてるんだね」
「住人ならね。さて、付き添ってもらうわよ、フォーク」
「うう、リタルさんとか他の軍人さんとは違う威圧感ー」
「なによ。あら、工場があるのね」
 軍人の詰め所から徒歩で十分くらいだろう。そこに、四角い真っ白で、大きな建物があった。
 窓はなく、出入り口のドアに、軍人らしき人が見張りをしている。
「……あれは」
 セプテットは心当たりがあるのか、視線を険しく細める。
「行くわよ。あの電車での連中のことも、伝えないといけないから」
「はーい」
 元気よくそう答えて、フォークは施設の反対側にある詰め所へからからと車椅子を回した。



「すみませ――」
 ん、とガラス戸を開いた先を見て、セプテットは嘆息した。
「これは、酷いわね」
 と、ぽつりと呟く。
「こ、これって……」
 小さな事務所といった内装。それはいい。
「あなたたち、こちら西司令部遊撃隊――なんて、聞いちゃいないでしょうね」
 と、嘆息した。
「これは、危険薬物……の末期症状とか?」
「そうよ」
 椅子は人がいるのにきちんとしまわれ、床にうつろな目をした男や女が三人ほど、倒れていた。
「西の病院で見たことあるけれど……中央はなにしてるのよ」
 非難するセプテットは、目を閉じてフォークを見上げる。
「電話借りるわ。中央が知らないとは思わないけれど、一応伝えておくわ」
 神妙な顔で頷いて、セプテットを電話まで連れいく。
「……これ、電話線切られてるわ。さすがにここまでされたら、中央が黙ってないんじゃないのかしら?」
「えっ! 緊急時どうするの!」
「こういう時のために、無線機があるのよ」
 と、セプテットは車椅子の後ろから機械を取るように、フォークに指示を飛ばす。
 クライスから貰ったものを思い浮かべながら、椅子の下の収納スペースから、小さいラジオに似た無線機を取り出す。
「へぇー、これが軍人さんの機械かぁ」
 クライスから渡されたものとあまり変わらないなーと感心しながら、フォークはセプテットへ渡す。
「中央司令部への通信電波は、これで……ふぅ。スミェールチの手入れはやっぱりいいわね。中央司令部直通の周波数を覚えてる自分もそうだけれど」
 と、独り言をこぼして、無線機を起動、中央司令部にセプテットは声を送る。
 小声で、フォークには聞こえないため彼は車椅子の取っ手から手を離した。
「本当に、事務所って感じだなぁ……」
 坂にはなっていないので、車椅子が落ちる心配もない。
 そんな中、フォークは机の上に包装された薬を見つけた。
「これが、危険薬物?」
 小首を傾げて、フォークは机の上を覗き見る。
 白い、ふつうの粉薬に見える。
「小麦粉……なわけないか」
「遊びに来たわけじゃないでしょう――ちょっと、待って。ここが廃町扱い?」
 声を荒らげたセプテットは、駅もあり人も出入りがあると怒鳴りながら告げる。
「ええ、ええ、……そう。一人偵察に中央から派遣された人がいるけど、連絡が取れないから一班こちらに向かってるってこと」
 ちらっとフォークを見る。
「証拠品に指紋つけたら、あんたも怪しまれるわよ」
「あ、はい」
 怒りがこもった指摘に、思わずフォークは手を引っ込めた。
「とりあえず、ここにいても仕方がないから、ウィンストンたちと合流しましょう」
「でも、本当にここ廃町なのかな? ふつうに人がいるし……」
「誰かが地図から消し去ったのよ。田舎だとたまにあるわね」
 セプテットは車椅子に腰掛けると、フォークを見上げた。
「犯罪組織か、軍が主導して行ってるのよ、そういうことを」
 そこで、フォークは冷や汗が背中を流れる。
「ね、それって聞いてもいいことだったのかな?」
「あら、頭悪いなりに判別は付くのね」
「いや、えっと、その……命に関わらない? それ?」
「関わるわね」
 車椅子の手を汗ばむ手で握るフォークを見上げて、セプテットは口元を歪めた。
「まあでも関係者とは言っていないし、そもそも管轄違いだから、わざわざ私が手を出す案件じゃないの」
「つまり、関わらないってこと?」
「そうよ。ここの問題は、ここの人間たちの問題。私たちが横槍入れるもんじゃな」
 言い切る前にセプテットは片足を振り上げた。
 かん、と金属に当たって小さな弾丸が落ちる。
 顔面蒼白になるフォークに対し、いつものことだと言わんげに、セプテットは。
「大層なご挨拶ね」
 と、銃を持った、工場から来たみたいな軍人の制服をまとう男たちに囲まれた――。



 さんさんと降り注ぐ陽光を浴びながら、ウィンストンは茶髪をかきながら周囲を見渡した。
「この辺りがホテル街らしいけど……」
「ふーん。どれどれ……位置は合ってるわね~」
 ふわりと笑みを浮かべると、レジーナでも見るようなホテルは数件、ぽつぽつとあるだけで、あとは一軒家が見えた。
 人もなく、二人は辺りを見回してふむ、とウィズベットが息を漏らす。
「とりあえず、ホテルに泊まりましょう。それから、セプテットちゃんたちと合流しましょ~」
「そうですね……」
 ウィンストンが頷くと、ウィズベットは長く編んだ黒髪を撫でながら、路地に目を向ける。
 人影が二人、なにか取引をしているようだった。
「どうかしましたか?」
「いいえ。ここ、ちょっと面白い記事が書けるかもって思ってね~」
 よくテレビドラマで見るような光景だ。
 しかし、それ以上に、彼女の前の所属でいたときの勘が告げている。
「ちょっと、ウィズベットさ――わぁっ!」
 どんっと衝撃が襲いかかり、ウィンストンは尻もちをついた。
「あ、すみません!」
「いや、こっちもちょっと……って軍人!」
 便りなさそうな、黒髪のどこにでもいそうな少年に見えた。
 学生服を改造したような、軍服さえ着ていなければ。
「あ……りょ、こうしゃ?」
「あらあら、なにかありそうね~」
 ウィズベットはとっさに、同じように尻もちをついている少年の学生服を脱がし、自らの手に巻き付け、辺りを見回す。
「……うん、駅に近いし、あそこのホテルに駆け込みましょう。ほら、行くわよ二人とも」
 取引現場を横目で見るが、遠いため、こちらに気付いてる様子はない。
 それを幸いに、ウィズベットは二人の手を思いっきり引っ張って立たせる。
 適当に選んだすぐ近くのホテルは、自動ドアで三人を迎え入れてくれた。
 空調もほどよく心地よいそこで、ウィズベットは笑みを浮かべる。
「ウィンストン、五人分の部屋をとってくれる? クレジットカードはあなたが持ってるから、お願いね?」
「あ、はい」
 おどおどとしながらも手際よく、ウィンストンはその場から離れ、フロントへ急ぎ足で向かう。
「で、軍人さん、あなた、ここのこと、詳しいのよね?」
 鋭く放たれた声は、椅子で震えている少年へ向けられた。
「……あなたは、あいつらの仲間じゃないんです、よね?」
「えっと、簡単に言うと旅をしてるの。まだ始まったばかりだけれども~」
 警戒心の塊である少年の怯えた黒瞳を安心させようと、ウィズベットは笑う。
「それなら、すぐここを出るべきです。ここは、危険過ぎるので」
 ぎゅっと、フロントにあるソファに座りながら、少年は手を握りしめた。
「ここにいたら、麻薬漬けになります。詳しいことは言えませんが……」
「その一言だけで、町の状態、十分理解できちゃうわ~」
 口元を押さえる少年をおかしくウィズベットは見る。
「一人、軍人さんがいて、今はそこに行ってるのよね~」
「え! だめです、早くここのことを軍に伝えないと!」
「……あなたは、どっち?」
「え?」
「うん、その反応なら、五人で大丈夫だったかしら~?」
 困惑する少年は、一般人を巻き込みたくないのか、詳細を語る気はなさそうだった。
「はー、さてと。ウィンストン、どうだった~?」
「ふつうに女2人、男3人で部屋取れたよ。それじゃあ、荷物置きに行こう」
 ウィンストンはカードキーを二枚持って、エレベーター前で大きく手を振る。
「さて、行きましょう」
「でも」
「まずは落ち着きなさい。あなたは、正義感が強いのはいいけれど、真面目すぎるのはいけないわ~。肩の力抜かなきゃー」
 そうして、少年軍人は緊張で力が入っていることを理解させられると、思わず目をそらした。
「暗部なのに、役立たずだ……」
 誰にも届かない呟きを、少年はホテル内に残した。



 同時刻。
「室内で銃器を使うのは不利だよぉー!」
 たんたんっと、木製のナイフという殺傷力皆無な武器で、床を蹴ったのは茶髪の少年、フォークだ。
 そして、追撃するように車椅子を床に敷いて、セプテットも金属製のブーツに包まれた足で銃弾を弾き飛ばす。
「くっ、ここの軍人たちは薬づけにしたんじゃなかったのかよ!」
「あのガキ軍人だけじゃないって! 話が違うだろ!」
 軍の詰め所の事務室内で、電灯が割れた。
「こんな馬鹿みたいな強い軍人が来るなんて聞いてない……!」
「ふぅん、ここが廃村ならぬ無くなってる町だってのは、裏に糸を引いてる者がいるってことね」
 しかも、それも最近だろうとセプテットは思考をまとめつつ、銃口を狙いを定めずに引く赤髪の男へ接近した。
「ふっ」
 呼気を吐き出すと同時に、手のひらでその顎を突き上げた。
「うわぁ……セプテットちゃん、護衛に選ばれるだけのことはあるなぁ」
 自前と師匠から教わった人殺し一歩手前の技術でナイフを繰り出し、急所を打ち付けて気絶させ、黒髪の男を寝かせたフォークが吐息をついた。
「殺してないわね? これだけの規模の町をなかったことにするってことは、国の上層部の誰かが一枚噛んでるわね」
「えっ、そうなの!」
「……簡単に言えば、駅がある町なのよここ。ウィンストンもふつうの町だと思っていたようだし……馬鹿?」
「うっ」
 茶髪のフォークは、体格に似合わず、視線をそらした。
「ほぉ、さすがに西部の遊撃隊は強いな」
 ぱちぱちと、勝利を歓迎する音が入口から聞こえた。
「――誰?」
 中央司令部に知り合いなどいないセプテットは、多分上官に当たるだろう人物にも、タメ口をきいた。
「おや、西部は中央司令部とは連絡を取っていないのかい?」
「遊撃隊は優雅に王国や軍隊のお偉いさんと顔を合わせるほどの暇人じゃないのよ」
 そんなことも知らないの? と内心プライドが高い男なのだろうとセプテットは判断しながら呆れていた。
「今はまだ、名のれなくてね。先にお暇させてもらうよ」
「待ちなさい、この、赤毛の優男――」
 手を伸ばした途端、軍人の詰め所は白いもやに包まれた。
 シルエットとなり、遠ざかる赤毛の男へセプテットは床を思いっきり蹴って――。
「っく、目が――」
 催涙弾のせいだ。
 セプテットは、なんとか施設の入り口から外へ出た。
 視界がぼやけて、わらわらと出てきた軍人もどき――いや、格好をした犯罪者たちの中に、その背が消えていく姿しか見えなかった。
「っ、邪魔だぁ!」
「アリさんじゃないのにたくさんくるんだから、早く誰か応援来てー!」
 フォークも体力は並大抵のことでは尽きないが、二人だけで応戦するには分が悪すぎた。
「フォーク、室内の奴の制圧を!」
「あわわ、はいっ!」
 外に飛び出たセプテットは、銃口に舌打ちする。
 周囲を囲むのは、工場から出てきた軍人の格好をした者たち。
「――頭を下げて!」
 凛とした、女性の声がした。
 反射的にそれが味方だと判断したセプテットは、銃声が男たちの背後から聞こえてくると判断した。
「この場にいる者たち全員を捕らえよ!」
 威厳のある声に、セプテットはかなり上の軍人が動いていると肌で感じた。
 斬撃と悲鳴とそれをかき消す銃声と。
 地に這う虫のように、セプテットは流れ弾を食らわぬよう倒れ込む。
「到着が早い――」
 連絡をしたのはついさっき。数分か十分も経っていない。
「裏で動いている者がいたのね」
 自分たちは運が悪かったのだ、と悪態をつきたくなったが、それを飲み込む。
「セプテットちゃん、音がなくなったけど、終わったの!」
 律儀に車椅子を引きずりながら、護衛対象のフォークが出てくる。
「援軍がもう来てたみたいよ」
 立っているのは、銀髪や黒髪の青年や少女だが、人数が多い。
 元々押さえるための準備はできていたのだろうとセプテットは推測した。
「助かりました」
 セプテットが演技で起き上がろうとするのを、車椅子を用意したフォークが支える。
「なぜキルストゥがここにいる?」
「は?」
 車椅子に座ったセプテットに、スキンヘッドの上官――この中では一番偉いのだろう――に問われ、固まった。
「ん? んん?」
 きょとんとしたフォークに対して、セプテットは不満げな顔をする。
「キルストゥ、なの?」
「悪い? あんたの劣化版みたいなものよ」
「え、なんで?」
「人の話を無視するな。西司令部所属の人間がどうしてここにいる」
 どすの効いた声に、フォークは恐怖心を覚える。
 が、セプテットはどこ吹く風というように、車椅子の手すりをぽちぽちと指で叩いた。
「遊撃隊の任務の後、上官が怪我のため療養中、私は先日の爆発事件の調査に巻き込まれました」
 すらすらと模範解答を語るセプテットは、正直面倒だと思いながら言葉を紡いだ。
「そして人手が足りないところと、中央に寄せられた民間依頼をこなすようにと護衛任務の命令を受けてたまたま依頼主が寄るとのことで挨拶のため、こちらの詰め所に来ただけです」
「地図にも載ってないはずだ」
「でも電車はとまり、あなた方はこの人数で来られた。把握はしていたのでしょう?」
「ふむ。たまたまということはつまり、この町とは部外者か」
「はい」
「なら、任務に戻りたまえ。あとのことはグレン班及びその他が引き受ける」
 フォークは目を見開いたが、背後にいる彼の心など知らず、行くわよ、と背後に声をかける。
「え、もういいの?」
「本隊が来たんだもの。そもそも、こっちが来たならお払い箱よ。さっさとウィンストンたちと合流しましょう」
「車椅子、相変わらず使っているんだな」
 上官が呟くと、セプテットは興味なさげに目を逸した。
 そこの意味を知らぬまま、フォークはゆっくりと坂道を降りていくことにした。
「そうそう、詰め所の中は薬物漬けの軍人ばかりでしたよ」
「軍人失格だな。だが、カーテンコールの奴の斥候が来ていたというが、知らないようだな」
「薬漬けにでもなっているんではないでしょうか」
 淡々と返すと、ふむ、と散っていく軍人を眺めては上官は息を吐いた。
「少しお耳を」
 と、部下らしき青年が、スキンヘッドの男の耳に囁く。
「そうか、逃げ回ってるらしい。見つけ次第、合流するよう言ってくれ」
「はい」
 やる気のない敬礼とともに、上官とセプテットたちは別れる。
 坂道をゆっくり降りていくフォークは、いつまでもこちらを見る彼を見て、セプテットをちらっと見る。
「えっと、お知り合い?」
「顔見知り程度。それより、あんな位の高い軍人が顔を出すなんて、相当ここは真っ黒だったのね」
 ウィンストンはどうやってこんな廃町を知ったのか、とセプテットは思考をめぐらす。
 案外、大物かもしれないと思いながら。



 駅前に着く頃には、太陽はまだ傾いていた。
「す、スピード、止めるのきついよー」
「お、後輩こっちこっちー」
 車椅子をまるで女王のように腰掛けて優雅なセプテット。
 彼女とは裏腹に、握りしめて速度をコントロールしていたフォークは半泣きしながら助けてーと声をこぼした。
「よく私を落とさなかったわね。偉いわ」
「うう、歩けるなら歩いてよ―」
 心からの悲鳴を手でしっしと払うと、セプテットは駅の遠くに何台もの車が置かれていることに気づいた。
「あそこから軍人が来たんだね」
「ん? あ、そういやここの町、やばいって軍人さんが言ってたんだ」
「ああ、それなら解決したから。もしその軍人知ってるなら、対策本部立ててるでしょうからさっさと突き出したほうがいいわよ」
 あっさりと、セプテットが言い切った。
「え、そうなの?」
 と、フォークのほうを向くウィンストンは、瞬きを繰り返した。
「ん~、じゃあ一旦ホテルに戻りましょう~」
「ホテル? まさか会ったの?」
「ええ。部屋にいるわ~」
「拳骨で済むでしょうけど……」
 と、セプテットは彼の身を案じた。
「うーん、何があったんだ? さっぱりわからんのだが」
「まあ、薬の売人が町をないことにして好き勝手してたのよ。軍人も騙してね」
 だが、気になる点はいくつかある。
 が、まずは疲弊してる軍人を慰め、本物の軍人たち――車の数からして本格的に町の調査に入るのだろう。
「ウィンストン。ここでの目的は無理と見て間違いないわ。下手すると、私たちも事情聴取されかねない」
「なら~、ホテルでフォークくんと勉強したらいいと思うな~」
「ホテルも潔白だと言える?」
 のんきそうなウィズベットの声に、固いセプテットの言葉が返る。
「大丈夫よ~。ね、将来のコックさん」
 にっこりと笑うウィズベットの無垢な笑みに、ウィンストンは眉を寄せる。
「知ってるんですか?」
「記事にはしないわ~」
 と、フォークとセプテットを置いてきぼりにして、二人は歩き出す。
「あ、待ってください先輩!」
「穏やかにすみそうじゃないわね、この旅」
 ボソリと呟いて、セプテットは息をつくのだった。


「あ、あの、皆さん!」
 薄曇りが出てきたホテル街への道に、まだ少年と言える背丈の軍人が立っていた。
 詰め襟の学生みたいな服装の軍人は、安堵したようにほっと息を吐いた。
「無線、聞いたんですね~」
「え?」
 ウィズベットが柔らかな笑みを浮かべた。
「任務中の軍人さんなら、誰でも持ってますからね~」
 のんびりとした言い方ながらも、ウィズベットは早足で彼へ向かう。
 そして、よくできました、とでも言いたげに、頭を撫でた。
「もうあなたを追う悪い人はいません。それに、任務は果たしてるんですから、泣くことも、ありませんよ~?」
 と。
 目頭を熱くしながら少年軍人は悔しさや優しさに触れたごちゃまぜの思いを、雫に変えていく。
「さっき、っ、軍の車が窓から見えて、無線も、通じて、戻ってこいって」
「うんうん、なら、あなたの居場所はちゃんとあるわ~」
 おいついたセプテットとフォークの車椅子ペアは誰? という目をしていたが、ウィズベットとウィンストンは微笑していた。
「どこ所属かはわからないけれども、少なくとも反省文書くくらいの仕置きは覚悟しとくのね」
 セプテットは車椅子に腰掛けながら、軍人を見る。
「ああ、エセ軍人の施設は援軍が蹴散らしたみたいだけど、こっちにもいるってことは、相当根が深いのね」
 セプテットが目を細めると、ウィンストンが目を点にして、固まる。
「ここも安全じゃないというか、もしかして、現場の一つ?」
「もしかしてオレのせい?」
 ウィンストンの言葉を合図に、銃声が響いた。
「ひっ」
「伏せなさい!」
「ふっ!」
「出てこないとー、穴だらけにしてあげるわ~」
 地面に突き刺さった銃弾に対し、各々が動き出す。
 少年軍人は身をすくませているウィンストンを無理矢理地面に押し倒した。
 その瞬間にセプテットは車椅子を捨てるように地面を削って前進し、フォークは車椅子を押し倒して息を吐いて動いた。
 浮いていたのは、一般人のウィズベットだった。
 黒髪を揺らしながらいつの間にか拳銃を手に、慣れた手付きでセーフティーを外す。
「一般人は銃持てないはずだけ、どっ!」
 路地にいる発砲したYシャツ姿の男に肉薄し、セプテットは軸足を定めると狭さを感じさせず、風の如く手を狙って蹴りを放つ。
「おっと――なっ!」
 そんな男の上空を、フォークが壁を蹴って飛ぶ。
 その反則的な身体能力にほうけている間に、フォークは赤く塗られた木製のナイフを男の首めがけて横に払った。
 意識を奪ったフォークは、セプテットと視線を交わして、第二第三の銃声を奥から聞く。
「虫みたいに湧いてくるわね」
「うん! でも、あの軍人さんが援軍呼んでくれるよ!」
「あんた、信じ切ってるのね」
 冷めた声音の彼女に対し、フォークは満面の笑みを浮かべた。
「そりゃあね。裏切られたとしても、もうぼくも独り立ちしないと、顔向けできないからね」
 そう告げると、フォークは雨あられと路地の奥から来る銃弾が壁を削るのを見やる。
「護衛、必要だった?」
 セプテットは、ナイフの赤い部分に弾かれる銃弾を見て、呆れた。
「セプテットちゃんがいるから、安心できるから必要!」
 にっこりと笑みを浮かべると、フォークは陽の差さない路地の奥、ホテルとホテルの間のさらに奥へ、足で蹴って行く。
「はあっ!」
 軽快な声とともに、フォークは袋小路へたどり着く。
 着地とともに身体を低くし、頭の上を通り過ぎる銃弾を避けると、足払いで入り口にいた男二人を無力化させる。
 と同時にセプテットが突進し、フォークの頭上を通り抜けると、いつの間にか引き抜いていた銃で数人もいた各々の男たちの肩を撃ち抜いていた。
「雑魚ね」
「うん。首謀者はもう逃げたのかな?」
 たん、と地面に足をつけて周囲を見回すセプテットに、フォークが問う。
「だといいんだけどね。それか、軍のほうで捕まえたか……」
 どちらにしろ、私たちには関係ないわ、と茶髪の女性は無線を取り出す。
「とりあえず、銃は取り上げよう」
 近くにいた男たちから、フォークは銃をそれぞれ集めて、中央に立つセプテットの足下へ投げる。
「応援が来るそうよ。とりあえず、ウィンストンのほうが心配だからさっさと行くわよ」
「うん!」
 首を縦に振るフォークを連れて、来た道を戻る。
「あー、二人とも、無事ね~」
 ひらひらと手を振りながら、銃はもう持っていないウィズベットと、顔面蒼白なウィンストンがホテル街の大通りで二人を出迎えた。
 その背後には、軍人たちがいて、例の少年軍人も混じっていた。
「はは、これで一件落着かなー?」
「だといいわね」
 ウィンストンがいつの間にか持っていた車椅子にセプテットはゆっくり座ると、ほぅ、と疲れの溜まった息をついた。
 フォークは集まってきた軍人たちを見て、唾を飲み込む。
 苦手意識というものは、なかなかとれない難病だ、と内心で思いながら。
「詳しい事情を聞きたいって……」
「知らないわよ。代わりに受けておいて」
 ばっさりと、セプテットが少年軍人に言い切った。
「私は彼らを護衛する任務に付いているの。それに、潜入していたあなたほど詳しくはないわ」
 はっきり言い切ると、これで話は終わりだと、セプテットはフォークを見上げた。
「えっと、うん、そういことだから……ね、先輩!」
「いいのか?」
「後で始末書書かされる程度でしょう。それに、ここに来たのはあんたの用事を終わらせるためでしょう?」
「う……そう言われると、反論できないな」
 ウィンストンは一度目を閉じると、少年軍人を見た。
 まだ年も若い少年軍人の手をとる。
「後は任せた! オレたちは明日朝までいるから、なにかあったらあのホテルに来てくれな!」
「は、はぁ……あのっ、助けてくださり、ありがとうございました!」
 腰を曲げて、深々とお辞儀をされる。
 そんなつもりなどなかったウィンストンは、頬を掻く。
「ま、せいぜい上司にでも怒られてなさい」
 突き放す言い方をしたセプテットは、上半身をひねって、フォークを見る。
「車椅子、足が疲れたから」
「はいはい、お嬢様」
 金属製のブーツで疲れたからかな、と茶髪の青年は思いながら、車椅子の背にもたれているセプテットを見る。
 不思議な子だと思う。嫌だと思わないから。
「それじゃあ。わたしは任務の途中なので、全権はこの若手にありますから。よろしく」
「ええっ!」
 少年軍人は顔をあげると、耳まで真っ赤にして慌てる。
 それを微笑ましく見つめながら、セプテットは取っ手を握るフォークの手の甲を触る。
「じゃあ、頑張って、新人さん」
 ぎぃっと車椅子を動かし、セプテットは少年軍人に背を向ける。
 遠くから、足音が聞こえる。
「この任務と経験は、あなたのものよ。失敗だと思うなら、これから鍛えていきなさい」
 だからもう関係ない、とセプテットは軍人らしからぬことを言い切って、寄ってきたウィンストンとウィズベットとともに、駅へ向かった。
 その背を見つめながら、少年は頭の中を真っ白に染めながら、ごくりと息を呑むのだった。


「に、しても。ここよくバレなかったな」
「見過ごされていたのよ。わざと、ね。誰が下手人かは知らないけれど、それは彼らの仕事」
 駅前まで来ると、軍人たちが降りた乗客の持ち物検査をしている姿が見えた。
「大変ね~」
「……そろそろ、覚悟決めるか」
 ウィンストンは頬を叩くと、口を開く。
「実は、さ。ここで会う人がいる。オレが食べるまで、その料理は口にしないで欲しい」
 ウィンストンを除く三人は、小首をかしげて、その意味を視線で問う。
 もうじき夜を告げる太陽の光を浴びながら、ウィンストンは足を止めずに進む。
「ホテルは大丈夫だった」
「なんの話?」
 車椅子に乗る護衛に、ウィンストンは笑う。
「これからわかるから、これに関しては、きっとセプテットよりはオレのほうが向いてる」
「うん、わかった。信じるよ、先輩!」
「そうね~。ここはそこまで言うウィンストンくんを信じてあげるべきね~。未来の料理人さん?」
 にっこりと微笑みながら、ウィズベットまで言う。
「依頼人を危険にさらしたくないんだけど」
「ここは、料理人としての信頼が欲しい。こう見えて、学年一位――学校内一位の成績と、実践はきっとセプテットを上回るから」
「わかってる? ここは――」
「きっと住民はまだ町が救出されてることをわかっていない。だからこそ、さ」
 そこで三人を追い抜いて、立ちふさがって。
「オレが、教えるんだ!」
 その瞳に宿る、プロ意識に、ウィズベットも同意するに値する自信を読み取った。
「そうね。まだ、間に合うかもしれないから」
 呆れたと、セプテットは言葉をこぼし。
「お願いします、先輩!」
 とフォークは満面の笑みを浮かべ。
「記事にはできないのは、残念だわ~」
 と記者は嘆くのだった。



 坂を上り、たどり着いた住宅街を、ウィンストンたちは地図を頼りに進む。
 コンクリートの家々に庭がある風景は、首都にも負けない、ふつうの景色だと彩られていた。
「ここだ。ギルさんって言うんだ」
「へぇ~。ふつうの一軒家ねぇ~」
 ウィズベットがどこからか取り出したメモ帳に、ペンで書き始める。
「でも、この町の住人ってことは……」
「うん、覚悟しなくちゃ」
 セプテットと、フォークが危機感に気を張る。
 自然と、目がウィンストンに向かう。
 彼は先程の覚悟が幻のように、気楽な笑みを浮かべてチャイムを押した。
 ピンポーンと呼び鈴が鳴り、足音が聞こえる。
 ウィンストンはそれを耳にしながら、笑顔を作っていた。
「メールで連絡した、ウィンストンと、その仲間たちです」
 厚いドア一枚越しに、ウィンストンは声を上げた。
「ああ、君か。メールで連絡くれた子だね」
「はい。他に三人、います」
「いいよ、ちょうど料理もできたところだ。上がってくれ」
 そう言うが早いか、目の下にくまができた長身の青年が出迎えてくれた。
 顎ひげを生やし、生気が薄い姿は見ていて不安を誘った。
「……どうぞ」
「驚かせてしまいすみません。ただ、足が悪いので」
 と、セプテットが車椅子に乗ったままのことを謝罪する。
「いいえ、その格好だと、失礼ですが、軍人、さんでしょうか」
「はい。まだ未熟者ですが」
 と嘘をすらすら口にする。
 彼女は現大総統が変わる前後に軍人になった、年齢と見た目が合わない者だ。
 それは彼女の特異体質のせいだが、それはまだ打ち明けてはいない。
「そうか。いや、怪我されているんですね」
 勝手に勘違いされたが、セプテットは頷くだけにとどめた。
「気になさらずに。軍人の仕事に怪我は付き物ですから」
「さあさあ、ここでしか食べられない料理、いただけますか~?」
 と、ウィズベットが目をきらきらさせてギルに催促した。
「ええ。どうぞ」
 土足のままでいい、と言われて頭を下げながら、四人はギルの家の中に入っていった。
 質素な居間に通されて、そこに湯気のたったスープや丸いパンらしいものが食欲をそそるように用意された。
「うわぁ……おいしそう」
 テーブルは四角く、四人は――セプテットは車椅子のままだが――各々椅子に座った。
 そこに、ギルは先に用意していたのか、平たい皿に載せられた最後の料理を出した。
「これが、この町の名物のいももちです」
 と、出されたのは、満月のような形の白い平たい団子だった。
「ではオレが一個、いただきます」
 横目で、ウィンストンは打ち合わせ通りに、と視線を巡らせて、頷くのを見届けずにいももちを小さく、噛む。
「どうでしょう? もっと色々――」
 ウィンストンは悲しげに目を伏せると、目を閉じる。
 そして、いつの間にか用意していたハンカチに、食べたはずのものを、吐き出した。
「――食べたことのある、味がしました。毒物を混ぜましたね?」
 目を見開くギルは、手を震わせると、ウィンストンの視線が罪人を断罪するような瞳に尻もちをついた。
「オレの親は、料理人です。それも、軍の司令部料理長で、毒見役も兼ねています」
 それ以上のことを言うのははばかられると、味だけで見抜いた天才は冷めた目で彼を見下ろす。
「この町で流通している違法薬物がかすかに入ってますよね。甘さで誤魔化そうとしたんでしょうが、かすかに、分からない程度の独特な苦味を感じました」
 糾弾する言葉は、料理人として告げる言葉だった。
「情報はもってました。それでなくとも、薬物の味は徹底的に叩き込まれました。まあ、舌が覚えていてくれたおかげもあります」
 淡々と、ウィンストンは同じ料理というものに愛着を持ってただろう人の裏切りに、胸が痛んでいた。
「もう、この町の違法薬物はバレてます。軍人たちが大挙して捜査に来てますしね。だから――もう、こんなことはしなくていいんです、ギルさん」
 まるで犯人を当てた探偵のように、ウィンストンは告げた。
 ギルは、狂ったような声を上げた。
 ばっとセプテットは立ち上がると、ギルの手には拳銃が握られていた。
「もう、この町は終わりだ……誰も、誰もここで――」
「はぁっ!」
 テーブルの料理たちが宙を舞い、セプテットの金属に包まれた足が、拳銃を骨ごと押しつぶした。
 ギルの頭から、拳銃の銃口が逸れた。
 悲鳴を上げるギルを見下ろし、セプテットは無線を手に取った。
「セプテットちゃん……」
「無駄な死は見たくないだけよ」
「わかってたのね~」
 台無しになった料理たちを見下ろして、料理記者は瞼を閉じて首を横に振った。
「彼が、自殺するって。セプテットちゃんは」
「まあ、そんな気がしただけよ」
 この世の地獄を見ているように呆けているギルを拘束し、セプテットは車椅子など必要なさげに歩いている。
「オレはなんでセプテットが車椅子に座っているのかが不思議だよ」
 ウィンストンはジト目で少女にしか見えない年上の女性軍人を見る。
「些細なことね」
 と、その理由の答えをさらりとかわして、セプテットは立ち上がる。
「さて、どうするの? ウィンストン。あなたがリーダーなんだから、これからの方針を決めなさい」
「うーん……そうだなぁ……元々一日しかいる予定なかったし、軍にここのこと伝えて、ホテルに戻ろうか」
 それまで静観していたフォークが、恐る恐る手をあげる。
「先輩、ホテルの料理に、その、違法薬物が入ってる可能性は?」
「ないな。あそこは中立地帯と思って間違いない。まあ、軍人の偉い人がここを支配してたから、安全地帯だったんじゃないか? とは、考えられるけど」
 ウィンストンはセプテットを見ると、真剣な目の彼女は頷いた。
「裏社会の組織って可能性より、町一つなくすなら、軍が関わっていたほうが自然ね。わざわざ軍人のふりをしていたわけだし」
 でも、とセプテットは足の裏で拳銃を踏み潰すと、にやりと笑みを浮かべた。
「またここは、地図に復活するわ。だから、自殺することもないはず。利用されてただけなのだから」
 と、怯えるギルを見下ろして、セプテットは――護衛任務の少女は告げるのだった。



「うぅー、動いたしお腹空いたよ先輩ー」
 住宅街を抜け、眩しさに目を細めながら、フォークは車椅子を押す。
「ホテルで食事取るから、それまで頑張れ後輩!」
「にしても、舌に乗せただけでよく違法薬物が入ってるってわかったわね。舌のセンサーが神がかってる」
「ん? ああ、それは味知ってたし、訓練してたけど……あんまり言いふらさないでほしいな」
 ウィンストンは頭をかくと、ウィズベットがメモを取りながらふむふむと納得した。
「舌の感度もそうだけれども、先の口ぶりからして親御さんに食べさせられたのね~?」
「好きで選んだことだから、いいんだよ」
 それに目を丸くしたのは、フォークだった。
「毒の味、覚えるの! ぼく、やったことあるけどすぐ薬回りやすい体質みたいで一回でやめさせられたよ!」
「そうなの? にしても、それ真っ黒よ、違法薬物混ぜたものを食べてたなんて」
「毒味って言っただろ? 違法薬物全種類、ちゃんと軍人の監修の下でやった合法なものだよ。胃洗浄するまでのことはしてないけど」
 声を押し殺して、ウィンストンは苦笑いする。
「本当、料理をするために生まれてきたような人ね、あんたは」
「え? 今褒められた?」
 くすくすと、ウィズベットが見た目なら同い年に見えなくもない二人の様子に、笑みをこぼす。
「可愛いわね~」
「先輩すごいなー。ぼくは自分のお店とか、食堂とかで働ければいいとか、曖昧な夢しか持ってないや」
 フォークが車椅子を押しながら、具体的に夢を追いかけているウィンストンへ尊敬の声音を向ける。
「あんまり褒めても、なにも出ないからな!」
 頬を染めて、ウィンストンはぷいとそっぽを向いてホテルへの道を早足で歩いていく。
「ここの料理は、ホテルでの食事を記事にしたほうがよさそうね」
「そうしてもらえると、軍人としても助かるわ」
 ウィズベットがメモをとりながら器用に歩く姿を見ながら、そういえば、と彼女は足を止めた。
「セプテットちゃん、内緒にしてくれる?」
「ええ。護衛に銃は必要でしょうからね。でも弾丸の提供はできないわよ?」
「ううん。それさえわかれば安心できるから~。先輩の、お下がりだけどね~」
 と、腰をぽんぽんと叩く。フォークは首を傾げるも、女二人は答えることはなかった。
「おーい、置いてくぞ―」
「今行くわ」
「ウィンストンくん~、早いわ~」
 二人の声を聞きながら、フォークは料理人としての自分を脳裏に思い描く。
 本来なら、兄と共に行くべきだったのだろう、険しくも血濡れた道。
 もしそっちを選んでいたのなら――別の未来が、あったに違いないと妄想する。
 あの人がギャンブル癖があって、そのせいで軍人に助けられて、それからお礼を言うために軍に本当なら入って――。
 でもそれを知るのは、『死』の概念と結びついた、死人、魔、神ともいえる死を超えた存在。怨念。
 キルストゥの赤と青の宿命持ちが、浄化できるということで、小国の王を支えつつも彼らを抑えている抑止力が自分のはずだった。
 でもきっと、それはない未来だ、と頬を叩いて気合を入れる。
 もし軍人の皆に、料理を振る舞わなければ、あの人と同じ道を歩いただろうけれども。
『フォークくん、後悔はしませんね?』
 いつかのエルニーニャ王国の北にある、農業のために暗殺者をやめた天才、師でありながら、なんでもできるすごい人が言っていた。
『私では完全な代わりはできません。本来の役目より、夢を、追うなら――』
 あの時見せた、師の黒瞳に宿った星々の光は、今でも思い出せる。
 光が星あかりだけの開けた農地、そこでフォークは師がなにを言いたかったか、その時はわからなかった。
 けど、今なら、わかる。
 この国は、犯罪が多い。そして、首都ならともかく、国中を歩き回ることになってしまった。
 本当なら、シーザライズがついてきてくれたなら、不安もかなり軽減した。
 ――そして、数十人相手に立ち回れる、この身体能力が、怖くもあった。
「早く行くわよ、フォーク」
 立ち止まっている彼の思考など気にせずに、セプテットが先を促す。
「うん、セプテットちゃん」
 手の甲に柔らかな女性の指が踊る。
 だいぶ先に行ったウィンストンを追いかけるように、フォークは歩き出した。
 まだ、旅は始まったばかりだと、遠くでなにかが鳴いた。そんな気がしながら、車椅子を押した。
 この旅は、まだ始まったばかりだ――。