拷問器具の『神』

「先日は兄が大変ご迷惑をおかけしました、クレイン・ベルドルードと申します」
 ぼくのうちに来て、クレインさんが最初にしたのは謝罪だった。
「クライスって子の妹さんかー。家から通ってるの?」
「はい。なので、寮母に怒られることはないのですけれども」
「クライスさんに助けられたんだよーフォアさん」
 フードをかぶっているフォアさんが、へえ、と声を上げた。
「もう夜だし、今日は泊まっていくといいよ」
「どうしてですか?」
「家がどこかはわからないけれど、ちょっと危険だからね。北区での噂、知ってるよね」
「はい。夜に悲鳴が聞こえるけど、それだけだと」
「尾ひれがいろいろついてるけど、あながち間違いってわけではないし、シーザライズはその件で調査に行ってる。リタルさんとクルアさんも同様にね」
「誰ですか、それ」
 クレインさんの言葉に、フォアさんは苦笑で答えた。
「傭兵さんたちだよ。リタルさんは農協の偉い人、クルアさんは秘密の多い人、だよ」
「煙に巻こうとしてません?」
「実はね、これ表の軍人に任せると、ちょっとどころの話じゃない混乱が生じる話なんだ」
「キルストゥ……魔祓いの一族と、関係がある、ということですか?」
「そう思ってもらって構わないよ。まあ、シーザライズは神々の遺産は持ってないから、聖水で怨念を清めてから、祝詞で怨念を還すんだけど」
「意味がわかりません」
 ぴしゃり、とクレインさんが告げる。
「だいたい、そんなこと」
「年間の行方不明な軍人、けっこういるのは知ってるんじゃないかな。それも、広告課と通信課。どちらも表にはあまり顔を出さないメンバーだ」
「……なんでそんなこと、知ってるんですか?」
「シーザライズが軍から依頼を受ける傭兵だから、だよ。暇なときとかけっこう喋ってくれるよ」
 にこにこしながら、フォアさんが告げた。
「まあ、ツキさんが呼ばれることはないだろうけどね」
「だよね! お兄ちゃん、そんなに強くないもん」
「……まあ、炎を出すような人を見ているので、私も否定はしません。けど、表沙汰になっていないのはなぜ?」
「身体ごと食べちゃうんだって。だから、行方不明になる人の何割かはきっと『神』の栄養になってる」
 クレインさんは、顎に手を当て、考え込む。
「でも、気にしなくて大丈夫。そのためにシーザライズにあれを渡した。まあ、まさか夕方に襲ってくるとは思わなかったけど」
「お兄ちゃん、大丈夫かな?」
 心配なぼくは、ちらっと電話を見た。
「基礎訓練で軍の寮にいるんだよね。なら、気にしなくて大丈夫さ」
「でも……」
「ただいまー」
 幽鬼のような魂の抜けた声に、ぼくたち三人は顔を上げた。
「お、お兄ちゃん! どうしたの?」
「クビか。当然ね」
「いやー、なんか、クライスが先走ったために、試験結果を考慮して通信課に配属されるってことで、なんかショートケーキの二人に追われたり仕事山程あったりで疲れたー」
 ぼくたちは、言葉を失った。
「特例――? すごく、珍しいわ」
「運の良さが成せる技、かな」
 フォアの言葉に、クレインさんは瞬きを繰り返す。
「あれ、その女の子は?」
「クレイン・ベルドルードです。兄がご迷惑をおかけしました」
「あ、いえ、オレはツキ・キルアウェートです。階級的にはオレのほうが低いので、呼び捨てで構いません」
「いえ、ここではその必要はないでしょう? キルアウェートさんのお家なんですから」
 クレインさんはちょっと緊張してきていた。
「なんでクレインさんはここに? クライスでも待ってるんですか?」
「――あの馬鹿兄、簡単なことを誤解してたので、確認のためにフォークさんを待っていたんです」
「あー、あれね。心当たりはあるよ」
「知らなくていいこともあると、ぼくは経験的に思うけどね。ツキさん、あなたもだ」
 意味がわからないので、お兄ちゃんはフォアさんを見つめた。
「軍人になった以上、避けられない道がある。ぼくはよく知らないけど」
「簡単なことよ。一人とるか、全体をとるか、その違い。クライスは即答で全体って言っていたっけ」
 話の流れが突飛になって、お兄ちゃんは頭を抱えていた。
 というか、疲れすぎて、頭に入ってこなかった。
「例えに私を出したんだけど、両親の前でも私を捨てた。暗部の人間はそうでなければならない、なんて言ってたっけ。昨日の味方は粛清対象になったなら、殺すのだ、と」
「オレには、できないな……そんなこと……」
「覚悟が足りないのね。まあ、それが普通。クライスは頭がおかしいから。国のため、国民のためなら命を捨てる、と。まあ、上司が止めてるって愚痴ってたけど」
「ぼくなら、そもそもそんな状況に持っていかない、が正解だと思うよ」
 その答えに、驚いた。
「まあ、極限の状態なら、そういう場合もある。その時どちらを取るか、は後悔をしない道を選ぶべきだ。特に、命のやり取りをする場なら」
「まるで、見てきたようね」
「シーザライズ――傭兵は、面白い答えを返してきたよ。『自分の命が一番だから、一か全の状態に持っていかない。その前に撤退する。それが傭兵だ』とね」
「あなたも、それが正答と?」
「軍人さんと、傭兵は別だからね。ぼくも、シーザライズの考えが一番いい。できるかどうかは別だけど」
「ふつうはできないわよ」
「彼は傭兵だ。それも、人殺しも時にする。そういう意味では、軍人よりもよっぽど自分を騙さない強い精神力が試される」
「……」
 クレインさんは黙ってしまった。
「オレ、そんなこと考えたことなかったな……」
「お兄ちゃんは、前線に立つことないんでしょ? なら考えなくても――」
「いや。ちゃんと己の答えを持つべきだ。生死を分けるかもしれないんだから」
 フォアさんがひときわ強い口調で言い切った。
「ツキさんは、両親の死に際を見ていない。――だから、死を、失うことを理解するのを、軍で知ったほうがいい」
「辛いことを言うのね」
「クレインさんも。止めないんだね」
「私は――いえ、私も。知らないといけないって思ったから。前線にはほとんど立たないから」
「じゃあ、フォークくんが一番知ってるね」
「うん」
 両親の愛を知っている。あの強いというお母さんが、お父さんのために死んでしまった。
 傭兵仲間の人は、みな驚いていたから。
 あの強いお母さんが、殺された、という事実を。
「良いことじゃないけどね」
「ぼくは、フォークくんを助けるために来たんだ。だから、あの死の責任はぼくにもある。助けられなかったのは、ぼくのせいでもあるから」
「キルストゥは、賞金首なのに、どうして名乗っていたの?」
 クレインさんが不思議そうに問いかけてきた。
「ああ、お父さんの家が、お母さんとの結婚を反対していたんだ。それで、ぼくらはお母さんの姓で暮らしてたんだ」
 ほとんどの国では、賞金首でも人を殺す奴はいない、とはシーザライズさんの言だ。
 あの人は本当になんでも知ってる。
「今頃、シーザライズさんは何してるかな」
「――死んではいないと思うけど」
 ぼそっと告げられたフォアさんの言葉は、呆れを宿していた。



 北区の廃屋にも見える、見捨てられた教会を、街灯が照らす。
「『ああ、愛しき神の子らよ、なぜ世界を見ようとしない?』」
 狙撃銃を固定しながら、闇に溶けるボディスーツをまとった暗殺者が、祝詞をつらつらと述べる。
「『理不尽な怒りは神々の特権。汝が背負うにはあまりにも重すぎる』」
 観測手のクルアが、辺りを見回しながら、平凡なレジーナの風景を見やる。
「風もない。しっかし、リタル、大丈夫か?」
「ええ。神々の遺産と聖水を込めた弾丸で仕留めます。あとはシーザライズがやるでしょう」
 彼は傭兵。
 死線をくぐり抜けてきた経験は、生かされるだろう。
「『ああ、天におわします女神は嘆きに涙が止まらない。なぜ、あなたはこんなにも怒りを秘めているのでしょう』」
 計器と勘で、リタルは教会の外にいる神父を狙う。
「『どうか、月の名を宿す我に、汝の安らぎを願わせておくれ』」
 そして、開戦の弾丸が放たれる。



 額を貫いた弾丸に、神父はシーザライズ――俺を見た。
 昼とは違い、殺意に満ちた笑みを浮かべていた。
「ほぉ、一人で死にに来たと思ったんだがなぁ」
「馬鹿言え。軍人が五人も行方不明で、暗部がそれ以上放置するわけねえだろうが」
 あえて俺は軍人のていを崩さない。
「さあ、今日で天国へ送ってやるよ。どうせ、三人で――」
「すまんが、相手はシスターらにしてやってくれや、傭兵さんよぉ」
 只人ではありえない膂力で、神父は弾丸の方向へ一気に跳んでいく。
「ちっ、聖水と祝詞で怨念消えるんじゃなかったのかよ!」
「らーららー、らららーららら」
 痴呆気味のシスターの声が、耳に入る。
 ぞわっと、産毛が総下立つ。
 逃げないと死ぬ。
 その直感を信じて、後方に大きく飛ぶ――はずが、まるで重力に引き寄せられるように、俺の身体は地面に伏していた。
「――!」
 見上げれば、それは断頭台。
 ギロチンが、高い位置にさびの一部になることを願って、そこにあった。
 そして、少女の足が見える。
「『ああ――』」
 別のシスターの声が、雑音となる。
 首と手首が枷にはめられた、ギロチン。処刑道具だ。
 見える。
 そして理解した。



 魔女狩りの最後だったのは、少女だった。
 ろくに喋れず、けれども健康だった少女。
 しかし、その時代の人々は、彼女を忌み嫌った。
 断頭台、ギロチン。
 少女は、母親が好きだったそれに、毎朝、聖母に祈りを捧げるように手を合わせていた。
 気味が悪い。
 消えてほしい。
 次第に悪口すらなくなり、彼女を相手にする人間はいなくなった。
 彼女は一人、誰もが嫌うギロチンを愛していた。
 毎日、誰かの首と手が飛ぶ。
 血を浴び、生暖かいその熱さに生を感じていた。
 昔の価値観。
「殺せ、殺せ!」
 合唱が響く。
 少女は、最後だった。
 恨みはない。
 後悔もない。
 ただ。ギロチンを通して、母の元へ行くのだと、感じて微笑んだ。
 人々は鼻白んだ。
 死ぬことを喜ぶ、少女に。
 それに応えるよう、ギロチンの刃は一直線に落ちて。
「『感謝しよう、最後の最後、破壊されるまで愛してくれた貴方へと』」



 俺は、聖水を含む水で、ギロチンの刃を凍りつかせていた。
「『我の役目はすでに果たした。祈りは天へ向けてほしいと願い続けた』」
「ちが、う……?」
「『黄金の稲穂に憧れ、血を吸っては程遠くなる愛に我は手を伸ばした』」
「――! そいつをさっさと殺しなさい!」
 別のシスターの声がしたが、無視。
 何もしないということは、何もできる手段がないのだろう。
 だから、枷を無理矢理爆発させた。
 ばんっと木製の上の傘が弾け飛び、肌は焼けたが、この程度問題はない。
「『星々の死よ、我と同じ死を扱うものよ。どうか解放しておくれ、永遠の連鎖を。汝がいたこと、この名にかけて忘れ得ぬと誓おう』」
 少女のシスターは、笑っていた。
 それはひまわりのような笑みで、俺は断頭台に手を触れる。
「こっちが本体ってわけか」
「やめなさいっ!」
「『さあ、数多の命を吸った宝石に。人の死から解放されよ、名もなき少女と共に、幸いの多き道へ、空が導くだろう』」
 立ち上がり、俺は星のような少女を見上げる。
 白い足が黄金色に染まる。
「やっと、天国へ行けるぞ」
「ありがとうぅー」
 にこり、と少女は断頭台とともに、街灯が照らす中、消えていった。
 俺の心も、落ち着いていた。
「さて、次もあるんでな。早々に終わらせるとしようか」
「ええ、仲間を殺されて喜ぶ趣味はないのでね」
 もう一人のシスターを睨みつける。
「鋼鉄の処女、あなたの出番――」
「そうか、よっぽど血が好きだったんだな、お前たちは」
 それが後天的なものなのかはわからない。
 でも、鋼鉄の処女――中に杭が詰まった拷問器具――処刑道具は、俺へ向けられる。
 ぎぎぎと、中身が開かれる瞬間、俺は背丈の高いシスターの腕を掴んだ。
「若者の血液がそんなに好きか?」
「なに、を――」
 まるで盾にするように、シーザライズはシスターを胸の前へと引っ張る。
「ギロチンと違って、鋼鉄の処女は血を吸う器具だ。そんなものを好んで使うなんて、ろくなもんじゃねえ」
「あ、はな、せぇっ!」
「俺はあいにく、優しくはないんでね」
 すっと手の中に聖水を作り出し、シスターの手にぶっかけた。
「つ――あぁ、ああああああああああああああああああああああああぁあぁっ!」
「怨念と星を分かった。今までしてきたこと。その犠牲者の末路も自分で感じな」
 すうっと俺は息を吸う。
「『永遠の美を求めたる、罪人よ。その罰をも甘美な果物とした、哀れなる犠牲者よ』」
「いや、いやよ、こんな、こんな終わり方! 納得しない、できないっ!」
「『若き娘たち、若き息子たちを血染めの華とし、満足を得た美しきも棘多きもの』」
 シスターの手を離すと同時に、眼前にあった鋼鉄の処女へと彼女を押し込む。
「『流転する輪廻、それを否定し美を求めた杭に貫かれし少女へ、最大の鎮魂歌を贈ろう』」
「わだ、わだじぃの、じゃ、な」
「一緒に逝く甲斐性がなくてすまんな。俺、自分が一番な卑怯者だから」
 がらがらと、シスターの鋼鉄の処女が崩れていく。
「最初のが、シスター、あんたの本物さ。で、いま入ってるほうがそれを真似た俺の鋼鉄の処女」
「あ……が……」
「近隣が悲鳴が聞こえるって言ってたからな。ギロチンでも出るだろうが、こっちのほうが理想に近い」
 淡々と分析し、俺は血が滴ってきた鋼鉄の処女に、触れる。
「何人殺した? 血も肉も全部食ったんだろう? 軍人も一般人も関係なく。それに対する、罪は減らない」
 消えていく。
 俺の作った鋼鉄の処女を、俺はその場で破壊する。
 赤い血もついていない、ただのガラクタと化していたそれに、最後の言葉を贈る。
「『あなたは、血がなくとも十分に美しかった。それは星座にときめく幼子に負けぬものだ――』」
 悲しき名もなき女性たちに向け、俺は空を見上げる。
 星空がまた、怨念を『神』へと変えるのだろう。
「ツキ。そしてフォーク。お前達の背負うものは、そういった命だ。俺は殺すことしか出来ないから」
「それが、いいって時もある、はぁ、さっ!」
 俺は落ちてきた人間が、地面に片膝を付きながら告げるのを見ていた。
「クルア――リタルは?」
「あの神父、下手な祝詞は効かないみたいでな。頼む、助けてくれ」
 気配でここにいたシスターたちを還したのを悟ったのだろう。
「よくあの高さから無事降りれたな」
「ああ。あとリタルの鋼糸が効かない。ちと強すぎる怨念だ」
「直接、聖水ぶっかけて祝詞――」
 その瞬間、俺はとっさに情報屋のクルアをだいて教会から飛び出した。
「おいおい、糸使い。まだ粘るか?」
「同じ『神』の怨念も食らって生きてるのですね、あなたは」
 それがどうした? と神父は歯を見せて笑った。
「レジーナに直接来るということは、軍を敵に回しますが――余裕があるのでしょうね」
「ちっ、あの女どもは怨念残らず還したか。キルストゥ一族でも『神』でもない奴らがやったってのは、興味があるねぇ」
 隙を見せれば殺される。
「壊れてなきゃ良いんだが」
 っふと、抱いてたクルアが通信機を取り出した。
「シーザライズ、リタルとともに戦ってくれ。今なら軍に『神』がいるはずだからな」
「は?」
「あの神父の能力は怪力とか、筋肉硬化――そんな感じの異能力だ。聖水でも何でも良いから、『神』が来るまで持久戦しててくれ」
「何を」
「クルア! 行ってください!」
 黒いリタルが叫ぶと、彼は俺を突き飛ばすように離れていく。
「ったく、確かに射撃は当たったんだよな?」
「ええ。ですが効いていない――フォアさんは一般人ですが、他の『神』には確かに効いていた」
「さっき、人じゃなくて物が本体の『神』がいた。そういう類かもしれない」
「ほぅ。それは正解だ」
 馬鹿にしたように、拍手が鳴る。
「だが、そこまでだ」
「肉体強化の『神』で、本体は別にある。ってどうしたもんかね」
「少なくとも、この場に持ってきているとは思えませんが、ファラリスの雄牛使いです、気を付けてください」
 ああ、確か罪人を入れて、焼き殺すとかいう拷問器具――。
「あの廃教会、怪しいな」
「賭けてみます?」
「やってみる価値はある。まあ、軍人さんが後始末してくれるだろうし」
 俺たちは地を蹴った。
 どこからともなく、黄金の牛の半分が元いた地面に生えていた。
「止まったところで使うってことか。ま、弱いな」
 あえて強がる。
「シーザライズさん! 建物を調べてください! 彼が生む物は私が壊します!」
「おうおう、神々の遺産さえなきゃ楽勝なんだが――てめえら獲物どもに」



「壊せシーザライズ! そして暗殺者ぁ! あの男はこの僕が止めてあげるよぉ!」



 爆発的な速度で、地面が抉れる。
 教会のレンガを破壊しながら、彼は現れた。
 白い髪、学生服。
「軍人――」
 神父は悟った。いや、同じ夜、空の光、怨念を感じ取る。
「貴様、『神』のくせに軍人なんて窮屈なものやってやがるのかぁ! ええっ!」
「遊撃隊はねぇ、面白いんだぜこう見えてなぁ!」
 俺の手を借りずとも、廃教会の壁が崩れていく。
 乱入者の蹴りで。
「シーザライズさん、今のうちです! 彼は速度なら暗部一です!」
 リタルは知っているのか――そんな疎外感を感じながら、集中する。
「く・ず・れ・ろ・おぉおおおおぉおおぉぉおぉっ!」
 爆発は大きく、建物があっという間に瓦解し、女神像も形を保てず崩れていく。
 そして、その後ろに空洞があった。
 ――地下がある。とっさに悟った。
 様々な拷問器具の中に、それはあると。
 神父が残した遺産。誰にも渡らせたくない、最強になるための物。
「やめ、やめろ、それは、そこは」
「よそ見とは、なめんなよ、神父さまよぉっ!」
「水浸しにしてください! 夜にファラリスの雄牛だけ見つけるのは至難の業です!」
 指を前後左右に動かし、現れていた半身の牛を砕きながら、リタルが叫ぶ。
「聖水、今ここに!」
 俺はどこまで広いかはわからない水の海を、地下だろう暗闇へ解き放つ。
 だんだんっ、と衰えない『神』の動きに巻き込まれないよう、裏へ回る。
「『ああ、燃えよ、燃えよ、苦しめ、罪人よ。罪なき者を罪人に。罪ある者を善人に』」
 その祝詞は、教会全体に響いた。
 クルアの声だ。
「『反転する未来、血の涙が乾く頃、全ては偽りの元で終りを迎える』」
「や、めろ、やめろやめろ」
 星の下ではないはずの地下でも、聖水が効いている?
「『許せない、許せない、その胸中、我らが愛そう、我らが許そう、狂っているのは世界だと、君は告げるだろう』」
 その通りだ。
 じゃなきゃ、死者が報われない。
「『消えた全ての涙に。明日花開く一輪の花すら君を見捨てた。その苦しみ、怒り、嘆き悲しみをどうして癒せよう』」
「全員殺しても、誰も救えない」
「馬鹿だなぁ、お前」
 神速の『神』が、嘲笑う。
 神父は、もう止まっていた。
 祝詞は、怨念を霧散させ、消えさせるための言葉は、繋がる。
「『だが君の死後も花は咲く。次へ、広く、広く広がる世界は、君の存在すら未来に認める』」
 もう、戦いは終わっていた。
 神父の身体は、消えていく。
「ゆる、せん。それでも、我が怨念は」
「いや、ここいらで終わらせるべきだ。利用されて終わる未来以外を、こいつらは見せてくれてるんだぜ? もう怨念に縋る必要は、ねえんだよ。悔しいがな」
 軍人の『神』の言葉に、神父は――手をのばす。
「あの頃の空は、綺麗だった」
「そうか」
「『幾億とも言える怨念を蓄えた男よ。待つべき人の元へ、今、帰る道を開こう。それこそが――』」



 一とその他大勢。どちらが正しい?
 決まってるだろ。



「例え正しい生き方ではなくとも、生き残るほうが正しいんだよ」
 神父を名乗った男への餞を、俺は口にしていた。
 表情は見えない。でも、砂のように消えてなくなったのを見るに、祝詞は効いていたのだろう。
「ここにこなきゃ、あの神父たちもまだ生きていたんだろうがな」
「ふーん」
「おわっ! 白い髪――の軍人さん、なんだよ」
「いや、お上の命令でこの付近で待機してたんだよね。きみ、属性悪でしょ。人のこと言えないけど」
 闘志に燃えた瞳に、嫌な予感しかしない。
「人が集まってきてます。話すなら別の場所で」
 と、間にリタルが入ってきてくれて助かった。
「さて、帰ってきて早々面白いものが見れたから、今日は見逃してあげるよ」
 ひらひらと街灯の下に行くと、その軍人は笑った。
「表の軍人も来るから、尋問されたくなきゃさっさと帰って。そして後日、お手合わせ願うよ」
 そう言い残して、野次馬が集まってきたほうへ彼は向かう。
 俺はもう、言葉を残すことはなく、拡声器を持ったクルアを抱いたリタルと共に、ツキたちの家へ屋根を伝って走った。



「――ってことがあった。レジーナもこれから一騒動ありそうだな」
 面白そうだ、とではなく、面倒そうだ、とシーザライズさんの顔に書いてあった。
 ニュースで流れた、北区の廃教会の破壊と、地下に水が溜まっていたということ。
「彼らに殺されたら、血も肉も残らない」
 フォークが寝てから、疲れた三人を迎え入れて、オレは緊張した。
「ツキ。お前、もしフォークとその他を助けるなら、どっちを助ける? あ、どっちかだけな」
「え? それは……」
 はぁ、と息をついた。
「一般人にはどうでもいい質問なんだが、軍人――まあ、戦うこともあるだろうっていうやつにゃ、優先順位がいるって話だ」
 シーザライズさんは指を立てて告げる。
「ちなみに俺は、そんな選択肢になる前に逃げる、だ」
「私もそうですね。でも極力被害の少ないほうを選びます。というか、自分が犠牲になる道を。あと農業」
「おれはなー、美人かどうかで決める」
 クルアさんが胸を張ったので、それだけは参考にしないことを決めた。
「にしても、ご近所迷惑してたな。さっきの祝詞」
「いえ、素敵でしたよ。未来に花は咲く」
 リタルさんが目を閉じて、椅子から落ちた。
「リタル!」
「あ……いえ、ちょっと衝撃が強かったので……ははっ、やっぱり鈍って来てます、ね」
「あの、寝室で休んでてください!」
 オレはシーザライズさんと一緒に、父さんたちが使っていた寝室に彼を寝かせた。
 ところどころ、服が破れている。
「あの神父、そんなに強かったのか……」
「逃げるので、手一杯で……すみませんね、役に立てずに」
「いや、十分頑張った。俺ひとりじゃ太刀打ちできなかっただろうしな。ありがとう」
 細い目のまま、彼の疲労は相当なものだったのだろう。
 意識がなくなったようだった。
「といっても、寝てりゃ大丈夫だろう。そういや、フォアは?」
「刃物屋さんに帰ってますよ」
「そっか」
 シーザライズさんはそう言うと、階段の途中で立ち止まった。
「ツキはさ、フォークと違って、人の死ってのを見たことあるか?」
「藪から棒に、なんです?」
「同じ軍人のよしみだ。さっきも言ったが、守りたいものがあるなら、時に切り捨てる覚悟を持て」
「傭兵でしょう?」
「元軍人だ。俺は、レリアを、人殺しを選んだ。友人じゃなくてな」
 そう言えば、そんな話をしていたっけ。
「間違った選択だとは思わない。けど、そのせいで生きにくい生活を強いてるのは、悪いと、思ってる」
「でも、守ってもらえてる」
「いつまでもそういうわけにはいかんだろ。お前だっていつかは結婚したりするだろうし」
「それはないですって。こんな情けない男、誰が好きになるんだか」
「……そうだな。そうかもな」
 そして、シーザライズさんは歩き出す。
 ついていきながら、オレは結婚の意味を思い出す。
 情けなくても、愛はあった父さんと、父さんよりも強いのに、父さんと逝った母さん。
 死に目に直接はあえなかった。
 だから、まだ実感が持てない。
 ふわふわしてるのは、そのせいかもしれない。
 そんな事を考えながら、オレは――。
(優先順位は、フォークと今の生活を守ること、だ)
 それが依存だとしても。
 守られているのだとしても。
 ついでだとしても。
 だがオレは見せつけられることになる。
 軍に入隊してからの、初任務時に。
 甘い考えが、犯した過ちを。



「しっかしいいのか? 軍人にしといて」
「スピードスターやその他の『神』もいる。まあ、配属先が心配だが……」
「『神』は表側の軍人には相手させられない。攻撃が一切通らない上、相手のほうが常に勝つ。というか、勝負にすらならない虐殺だからな」
 ツキも休んだ頃、クルアとシーザライズは向かい合っていた。
「暗部ができたのも、そもそも『神』殺しのためだ。人間相手でどんなに強くても、怨念という概念を滅ぼせなきゃ意味はない」
 クルアは指を立てて、真剣な目で語る。
 レリアがいたときよりもっとずっと前からあった、代々受け継がれてきたものだ、と。
「クルア、お前詳しいな」
「伊達に情報屋じゃないから。星の光と怨念が結びつかなきゃいいんだが、星はこの地を狙ってる。新しい世界を」
「話がファンタジーだな」
「ファンタジーなら、助かったんだがなぁ。ところでリタル、大丈夫だったか?」
「無理がたたったんだろ。寝てる……と言って良いのか」
「そうか……お荷物だったからな。いつも、そうだ」
 クルアの言葉に、話をすり替えることにしたのはシーザライズなりの気遣いだった。
「ところで、物にも怨念が宿るってのは、初耳だった。まったく、そろそろお星さまも本気になってきた」
 めんどいなぁとクルアは告げる。
「ところでシーザライズ、頼みがある」
「聞く意味がないが、一応聞いておこう」
「酷いな、お前。まあ、レリアのこと告げ口したのは謝っても謝りきれないけどさ」
「ああ」
「ツキの初任務についてだ。これで、軍人のままでいさせるか、辞めさせるか決めさせろ」
「……そうだな。散々迷惑かけてるんだ、それくらいは暗部の長に掛け合ってみる」
 シーザライズの答えに、クルアは神々の遺産たる腕輪に触れる。
 喪失に、どれだけ耐えられるか。
 それとも、心を折るか。
 フォークは、兄という拠り所で乗り越えた。
 なら、その兄は?
「失うことで、得ることがあるからな」
 その星の光に手を触れられるか。
 クルアは、シーザライズと共に、確認するように頷いた。