キルストゥの分岐点(2)

 目を開ければ、星空が一面に広がっていた。
「これ、は?」
 エイクは、バンダナを直しながら、器用な相棒とともにプラネタリウムに来ていることを思い出した。
「おーい、エイク。ちゃんと映ってるか?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
 答えて、誰かの夢を見ていた気がして。
 仕事中に寝るなんて、疲れているのかとエイクは苦笑した。
「しっかし、レジーナ中大騒ぎだな。こりゃ応援に来たかいがあるんだか貧乏くじ引いたか……」
「だなー」
 ファーガルに答えながら、兄の行方にエイク――フォークは気が気でなかった。
 見知らぬ人、なのだと言い聞かせないと、犯罪者としてニュースに流れている兄を見るたびに、ふつふつと抑えるのに苦労する怒りがこみ上げてくるのだ。
「じゃあ、一度司令部に戻るか。情報共有は基本だからな」
 無線でも良かったが、お前体調悪そうだし。
「あ、うん」
 上の空で聞いていたのがまずかった。
 エイクとファーガルは中央司令部へ向かって、歩いていく。
「歩道はましだが、車渋滞してますね」
「ああ。そういえばさ」
 と、ファーガルがちらっと頭を見つめる。
「バンダナ。してていいのか?」
「規則に反してないはずだ」
 口調は気をつけないと、と心の中で変装している自覚を持たねば、とエイクは気持ちを新たにする。
「そういや、あのキルアウェートって、両親他国の軍人に殺されてるんだろ? 残された子どもたちって今どうしてるんだろうな」
「兄は通信課で、弟は修行でレジーナを離れてるらしいですよ」
 と言って、はたとエイクは気づく。
「……友達とか?」
「いえ。知り合いが言ってるのを聞いただけです」
 ばかばか!
 北方司令部から来てるという設定なのに、詳しいのはおかしいだろー!
 と頭の中で自分を叩きながら、エイクは不審な目を向けられていることに気付いた。
「お、ついたな」
「ん、先客がいるな」
 ファーガルが言うと、黒髪の――フォークというかエイクにとっては数ヶ月ぶりの――兄弟の姿が映った。
 仲良くてよかった、と思いつつ、ばれないかちょっとひやひやしている。
「依頼完了の受付はここかー。広いな、さすがは中央司令部」
 うんうんとファーガルが告げる。
「ああ、そうだな」
「ん? ったく、エイクはぼーっとしてるな」
「そうか?」
「自覚なしかよ……」
 呆然としながら、ファーガルは報告完了の列に並ぶ。
「おい」
 不意に、聞き覚えのある声に、エイクはびくっと肩を震わせた。
 そして、恐る恐る振り返る。
「黒い人……」
 ブラックさんだ。
 目つきからして、変わりはないみたい。
 良かった。
 と、ほっとした瞬間、彼は誰もが止める間も持たずに、エイクの目を射抜いた。
「今、なんつった?」
「え?」
「知り合い?」
 二人の視線にも押されるように、エイクは襟首を掴まれて、引きずられる。
 そのままされるがままなのはまずい、と思い、エイクはなんとか引きずられるのをやめさせようとする。
 運がいいのか悪いのか、廊下に人はいない。
 足音と引きずる音だけが、世界だった。
 そして、初めて入る練兵場に怖い顔をしたブラックに投げ出される。
「な、何するんだく――」
「お前、フォークだろ?」
「――誰のことだ?」
「すっとぼけるのはいい。わかってたから。理由もあるんだろう? でもな、黒い人って呼ぶやつは一人しか知らね―んだ」
 それで気付いた。
「雰囲気と身体つきは別人だと思っていたが、声とそのむかつく呼び方、後にも先にもフォークだけだったからな」
「な、何言ってるのかさっぱりだ。おれはエイクで、フォークなんて知らない」
「白を切るつもりか。……そんなに、信用ならねーか? 軍人は」
「……おれは、そういうわけじゃ」
「おりゃ」
 ぐっと頭が引っ張られると、バンダナが外される。
 アホ毛がぴょんっと跳ね上がる。
「どうしたらこんな筋肉ついて、別人になれるんだ?」
「み、皆さんには秘密にしてー!」
 素が出たエイクは、取られたものを取り返すと、慌ててバンダナをしめなおす。
「皆を信用してないわけじゃないよ? でもね、ぼくは――お兄ちゃんに何があったか、真実を知りたいんだ」
「そりゃ、それが簡単にわかれば苦労しねーよ。でもな、軍に入っても、パソコンはおじゃん、行きたいとこも行けないぞ」
「そんなこと承知の上だよ!、ぼくは今は軍人のエイクだもん。この事実だけは、変わらない。北方司令部のエイクだ」
「……フォーク・キルアウェートを保護するってのも、軍の役割であるらしいけど、積極的に関わるなら、命の保証はできないぞ」
「わかってる。でも軍人さんじゃなきゃ得られない情報がある」
「しっかし、どこでフォークは知ったんだ? お前、ツキから聞いたが山ごもりしてるって」
「クライスくんが、お別れの時に無線機くれたんだ。それで、今回のことも聞いたの」
「……そういや、クレインがなんか言ってたな」
 ふむ、とブラックは彼女の小言を思い出す。
 ――あの馬鹿兄、給料全部使って特注品の無線機渡してたのよ!
「あの、このことは他の人には秘密にしておいてほしい」
「他の面子にも、か? まあ、フォークだとわかれば、警護はつくだろうが……」
「街の人を助けるのが軍人さんの役目でしょう? クライスくんも言ってた」
「自分のことより、他人のことか。そういや、昔言ってたシーザライズだかってのとかとは連絡取れてるのか?」
「ううん。でも、ここか事件現場の近くにはいるはず」
 話し込む二人を見ている、影があった。
「あれが、例のキルアウェート弟なのか?」
「はい。ずいぶん筋肉ついていますし、髪型も変わってますけどあの態度は間違いないです」
「じゃあ、大総統にでも引き渡すか? 一番安全だろう」
「本人はどう言ってるか、聞き取れますか?」
「簡単に言うと、真相を知りたい、だな」
 簡単な依頼しかこなせないアルベルトと、西方からの応援軍人ファーガルは、聞き耳を立てていた。
 主に、ファーガルが、だ。
「どうするあんた? 新たな依頼が山と来てそうな気配がするが、そうなると弟はいらいらしてくるぞ」
「いっそ、クライスくんが連絡くれれば……」
「軍では殺人犯を匿えないしな。死亡してもおかしくない出血量なんだろ?」
 こころなしか、楽しげなブラックを見つつ、アルベルトは決める。
「よし、サボりましょう。一緒に」
「は?」
「フォークくんの護衛もできて、ギャンブルの町で不可解な点が解決するなら、行く価値はあります。車、私用で来てますよね?」
「まあ、な。軍用車を一人で乗る勇気はなかった」
「じゃあ、二人呼んできますね」
 と言って、アルベルトはさっさと言い争う二人の元へ向かう。
「やれやれ。時間は残酷だな」
 ファーガルはニュースと現実の事件の齟齬に気付いていた。
 だから思う。
 黒幕がさせたいこと。
 裏を読まねばならないこと。
「友人が行方不明ってことは、彼が刺したと考えるのがふつうだが、軍人が二人を匿ってる可能性があるなら……」
 真相は、まだ遠く。
 謎は、謎のまま。



「あー、いやだいやだ、お友達ごっこ」
 すっと大木に登って、エルニーニャ中央司令部の練兵場に身を隠していた少女が呟いた。
「フォーク・キルアウェートの無事を確認。今はエイクとして活動中とのこと」
 無線機で、少女は私服のスカートをゆらゆら揺らしながら呟く。
「先輩いないからサボってるけど、こういう友情って吐き気がするのよねー」
『一緒にいるのは誰だ?』
「はーい、えーと」
 次々と名前を上げていく。
「さっさとフォーク確保したほうがいいんじゃないですかー?」
 やる気ぜろの少女は、樹に寄りかかると本音を吐いた。
「同じキルストゥだからって、護衛とかヘドが出ますよ。仲良しこよし、なんていつの時代の話やら」
 大総統の話を右から左に流しながら、少女は立ち上がる。
「タチアナもよくまあこんなところで仕事してたもんだ」
 立ち上がると、樹の葉が揺れる。
 それをものともせず、少女は出ていく四人へついていく。
 広報課所属の、星を砕く者。
 その異名は、伊達ではなく。
 飛び降りた地面が揺れる中、隠していた車椅子に乗って、彼らのあとをついていく。
 あまりにも発達した足が、彼女の最大の武器で。
 まるで漫画にでもありそうな金属で足を守っていながら、車椅子に乗る姿は滑稽だが、実力を笑う者はいない。
 地下組織を一人で壊滅させたり、銃弾飛び交う乱戦で生き残ったりと、人間離れしすぎていて。
 そう。
 強すぎるがゆえに、星すら砕く足の持ち主。
 彼女は作り笑いを浮かべながら、心底仲良しの人を作らずに、名すら捨てて、動き出す。
 暗部ではなく、表側の軍人であり、キルストゥの血を引く、孤独な少女。
「ま、同じキルストゥ同士、仲良くしましょ?」
 なんて、心にもないことを吐く姿は、誰に似たのか。
 目立つはずなのに誰にも気付かれないまま、彼女はエイクたちについていった。



 ずっと、昔から続いていた。
「人は星空を、信仰していた。だから、神話にもなった」
 杖を持ったタチアナは、魔の残り香がある、マンションの最上階にいた。
 普段はまとうこともない、まるで魔術師のような、マント姿だった。
 もうここに主はいない。
「『ああ、幾多の体系に分かれし神々よ、今我が汝らに問う』」
 祝詞。
 キルストゥといっても、彼女の魔祓いは本来殺害と同等のもの。
 ツキ・キルアウェートみたく言葉だけでなし得ることではなく。
「『人々の歴史、歩み、未来を語った星々よ、万とある人の心残りをいかに祓おうぞ』」
 この場に残る祓いは、彼女だけでは不完全。
 それでもタチアナは、少しでも彼女を弱体させるために、言葉を続ける。
「『恨み、妬み、負の感情をいだき続け、実らせ続ける果実よ』」
 終わることを、認めない者の嘆き。
「『さあ、扉は開いた。英雄なき世界に生き抜くことを誓った我が――』」
 杖を置き、とすっと、床に、ナイフを突き立てて。
「『その奥、殺めた数だけ、汝らも裁かれよ』」
 床をひっかきながら、タチアナの禊は完遂する。
「でも、これは本人ではありません」
「ふふ、これだけできればだいじょーぶ。カーテンコール中将も褒めてくれるし、ウルも嬉しい」
 でも突然こんな場所に連れてきたのは減点ねーと笑うウルに、タチアナはぱっと笑う。
「結局、軍内の仕事面倒で逃げてきちゃったし、たまりにたまってるんだろうなー」
 代わりにやると言ったが、その量をみてウルはギブアップ。
 事前にタチアナが気にしていたマンションへ行った。
 住人と鉢合わせの危険はあったが、タチアナが待っていた。
 ウルなら、ここに来るだろうと、カーテンコールから頼まれたのだ、と。
 人間ではないカーテンコールのことだ、放っておいても死なない。
 室内には入ってすぐ、タチアナが魔の気配を覚えて対応したというのが現実だった。
「さて、これからどうしましょうね?」
「ツキ様の一大事です。すぐにギャンブルの町に向かいましょう」
「そうね。ここのマンションにもう主が戻ることもないでしょうし」
 ウルの言葉に、タチアナは首を縦にふる。
「軍に喧嘩売ったこと、後悔させなきゃ」
 くすりと笑って、ウルたちは室内を後にした。



 夢を見ていた。
 走馬灯のように、次々と変わる夢。
 その中で、アイスの笑顔があった。
 あいつは今、どうしてるだろうか。
 そんな中、夢が急停止した。
 人が生み出した、怨念の塊――闇を、見て。
(ここは……?)
 ツキとフォークが、その巨大な黒い闇の間にいた。
 白装束の自分は、木製の杖を掲げ、その先端に光る青い石を輝かせていた。
 そして、フォークは、――なんだか身体つきが立派に筋肉がついていて別人に見えるが――が、自らの指をナイフで切って、血を垂らす。
「この運命は、変わらないよ」
 はっきりとしたフォークの声。
「くだらない理由でも、ぼくは、ぼくを貫く。平穏を乱した罪は、重い。例え、あなたが無限の苦しみを他人から与えられたとしても、それで人を殺していい理由にはならないからね」
「その通りだ。今ここに、無限の星の力がある。なあ、オレ? 聞こえるか?」
 言葉は出ない。
「うん、戦うなんて選択肢は最初からないんだ。相手のほうが一枚上手だったし、準備も整っていた。でも、諦めなければ、繋いだ細い糸があるんだから――」
 ぎゅっと、杖を握ったオレがこちらを向く。
「ツキ・キルストゥに戻って、万の怨念の『神』を祓うんだ。純血の祓う武具は、もう持ってるだろうから」
 どうやって?
「なに、来たるべき時になればわかることだ。だから、諦めるな」
 生きることを。
 そのオレは、杖を高く掲げる。
「この地に生まれし自然神、人ならざるがゆえに並行世界を見渡せし神々へ、我は問う」
「幾億の人間がもつ負の感情、その全てを受け入れし、世界よ、人を捨てし魔へ、我らは問う」
 これは、正しいオレだとツキは理解した。
 青い宝石が、赤い血を受けた刃が、星のように瞬く。
「「生に無駄などなく、その怨念、天上の彼方へ再び導き帰そうぞ!」」
 まるで映画。
 フォークは闇に刃を立て、ツキは杖の光を――眩しい白色を、宝石のような光を、闇へ向けた。
 壁のようにそそり立つそれは、苦悶の声を上げつつも、人の姿へと変貌していく。
 黄金の着物姿の女性。
「「『世界の末裔たるキルストゥの名において、宇宙の星座へと還るがいい!』」」
 これは、いつかの自分たち。
「死に近いから、別世界を見ているだけなんだ」
 ツキは、杖を掲げ、真っ直ぐ天上の果てなき宇宙へ闇を浮かび上がらせる。
 いや、彼女が浮いている。
 泣いている。
「その刃は餞別に持っていって」
 フォークはどこか悲しげに告げると、彼女は告げる。
「ああ、やっと、帰れる――あの、星に。どうして、気付かなかったのでしょう?」
 殺すこと。
 それをしたというのに、フォークは何でもないことのように、言う。
「もし、そっちのぼくに夢があるなら。誰も殺しちゃ駄目だからね」
 背を向けたまま、彼は空へ上りながら崩れていく彼女を見つめる。
「キルアウェートは、一般人だもの」
 ちょっと、嫉妬がこもった夢。
 そう、これは夢のはずだ。
 なのに、なぜ――?
 オレは――違う世界のあり方を見ているのか。
 見れるのか、と口を開く前に、激痛で目を開いた。
「あ、起きた」
 見たことのない天井に、点滴が滴っている。
「れ?」
「れ?」
「れがどうした?」
 腹部が異様に熱く、痛む。
 見たことのない顔が一人と、片腕に包帯を巻いているクライスと、確か何度か軍内で見たことのある人の三人だけが、そこにいた。
「どうした、ツキ」
「意識が戻ったが、痛み止めが切れたせいか」
「この医者大丈夫なの、親父」
 と呟いたのは、クライスだった。
「しっかし、地下にこんないい設備の医療施設があるとは思わなかったな」
「ふふ、ベルドルードくらいしか軍人は見ないがね。今回は、息子さんの依頼だからな」
「助かる確率三十パーセントとか言わなかった?」
「ああ。とりあえず、しばらく安静。絶対安静。死にたいなら動いていいけど」
「軍の施設に運ぶにも、この地下から運ぶときに内臓落ちそうだもんな」
 はっきり言い切った人に、クライスは胸を押さえていた。
「ネームレス先輩、とりあえず、どうしましょうね」
「ツキの傷が回復するまで、待機かな。もっと怪我を塞げていける人がいたらいいんだが……」
「フォアさんはやることがあるって突然町中に消えちまったもんな」
 不思議な人だよな、とクライスは思った。
「ラディアさん呼びます?」
「あまり軍人に来てほしくはないね。ああ、そうだ。治療中に見つけたんだが、この青い石、心当たりある?」
「は?」
「いや、体内に青い石とか、なんの冗談ですか」
「キルストゥの、青が継承していく石だ、それ」
 ネームレスが言う前に、ツキが夢のような現実を思い出して、言った。
「それを、軸にした、杖を作って欲しい」
 馬鹿げた話だとはわかっていた。
 でも頭に焼き付いている、並行世界の自分の言葉に、ツキは賭けることにした。
 内臓に入ってたのではなく。
 きっと、どういう仕組か入れたのか、存在させたのか、理解する。
 そしてそれは、本来ツキ自身が持つべきものだったのだ、と
「なら、俺が行こう。小さいが、いいか?」
「助かる」
「この町で?」
「知り合いがいる。ベルドルード元中将ほどではないけど、何人か助けてるからな」
「まあ、先輩がそういうんでしたら……」
「というわけで、クライスも怪我が治るまでここにいろよ」
「まあ、狙われてるのは本当ですもんね……」
 杖を思い浮かべて、思う。
 絆――。
「痛いだろうから、麻酔を打つ。いいな?」
「はい……」
 と答えながら。
 ツキの意識は闇に落ちた。
「しっかし、先輩無事に杖にして戻ってきますかね?」
「不安か? 軍人に踏み込まれるとちょっと闇医者だからやばいんだよね」
「さすが成功率三十パーセント」
「にしても、突然腹の上に青い石が現れた時はびびったわ。あんな症例は今までないわ」
「……やっぱり、キルストゥだから、ですかね」
「並行世界の自分からの贈り物だろ。あれ、あの小国で代々受け継がれてるものだし。キルストゥの青なのは本当だったとは」
「あの、アニメの見すぎでは?」
「じゃあ、クライス。どうして誰の助けもなくあの石が、何の前触れもなく目覚めた瞬間現れたと思う?」
「――それ、は」
「夢で、並行世界に繋がったんだろうさ。死にかけていたがゆえに、シンクロが強くなるんだよ、キルストゥの一族はね」
「嘘っぽいけど、目の前で見せられちゃな……」
「ま、あとはその先輩とツキだっけ? 患者の傷が塞ぐまで待つか。あ、そうだ、アニメは何が好きだ?」
「まさか親父のアニメ好きって……いや、考えるのをやめよう」
「そっか、まあアニメ仲間が増えるのは良いことだ!」
「あんたのせいかー! アニメ観ないからなー!」
 怪我人のいる前で大声でクライスは叫んでいた。
 知りたくない真実を、知りながら。



「まったく、軍内の内通者がこれほど多いとはな」
 大総統室で、書類を眺めつつ、彼は嘆息した。
「裏社会にその他小さな組織から……暗部を骨抜きにしようと思っていたんだが、今のカーテンコールのような有能な者がついたのは正解だったのか」
「先日、元カーテンコールが私腹のために作っていた工場を暗部で制圧・破壊したという情報もあります」
「後衛にいたと書類にはあるが」
「現在、部屋は空でした。前線に出ている可能性が高いと思われますが」
「なら、安心だな」
「なぜ?」
「一番近くに軍の内部に潜り込めたなら、どんな情報でも知ることができる――っ、逃げたか」
「屋根裏っ!」
 副官が天井を見たときには、だだだだと駆け足で去る残響だけが、残っていた。
「というわけだ。東の国の忍びみたいなものなのだろう。ここも安全ではない、というクライスの判断は正しかったというわけだ」
「ですが、他の軍人の言うには、彼の証言が必要です。妹を使って釣りますか?」
「……そこまでは、まだだ」
 ベルドルード兄妹は仲が良い。
 それを利用した呼び出しも、効果はあるだろうが――。
「簡単に侵入されたのは痛いな。敵も、本気ということだ」
「軍社会の崩壊のため、ですか?」
「いや。もっと単純だ」
 大総統は、紙を置いて、告げる。
「キルストゥの掃討。それだけが、目的なのだろう」



 夢を見た。
 懐かしい、まだ学生だった頃の夢。
 軍人さんは怖かったけれども、いい人ばかりだった頃の夢。
 エイクは、手を伸ばす。
 この身に流れる血液と同じ色の宿命。
 赤色の、簒奪者。
 祝詞とともに、怨念を祓い、肉体を殺すことで魔を消しされる異能力者。
 夢の中で、エイク――フォークは手を伸ばす。
 親を失った。
 けれども、多くの人に助けられた。
 恩返しが、できていない。
 助けられてばかりの日々。
 だから、今度は。今回こそ、助けなくてはならない。
 それが使命。
 誰かが言っていた。
 贖罪の旅でもあるのだ、と。
 ――そんなこと、聞いてない気がするけど。
 未来の話をしよう。
 フォアさんに似た声がする。
 きみの敵は万の怨霊を得た魔だ。
「それ、祓えるの?」
 問い返してみる。
「それは、きみ次第だ。そして、その魔を祓うのは、フォーク・キルストゥでなければならない」
 でもぼくは今、エイクだ。
 そして、それを利用する。
「それは罪だとわかっているかい?」
 言われて、ああ、まあ、そっかと納得する。
 死人の情報でも、冒涜していることに変わりはない。
「いくら名を変えようと、その使命は変わらないよ」
 なら、受け入れないと駄目なのかな。
 ……自分で決めろってことかな?
 なら、ぼくはフォークであることを選ぶ。
 死者の情報を利用しても、本来のぼくがせねばならないことは、変わりない。
 だって、ね?
 皆の努力でエイクでいられたのだから、お兄ちゃんと一緒のときくらいは、フォークという弟でいたいから。
「着いたぞ、エイク」
「ん……」
 エイクが目を覚ます。
 疲れのせいだろうか。眠っていたらしい。
「大総統の命令ですから」
「言い方が冷たいな、おい」
「何を言ってるんですか、事件現場は今は封鎖されています」
「あの、ちょっといいか?」
 見たことのない軍服を着た少女が、車の運転をしてギャンブルの町まで送ってくれた。
 のはいいが、黒い人とは折り合いが悪く、アルベルトさんが後ろであわあわしていた。
「ツキの友人の家に行きたい」
 エイクとして、心配なのは何も兄だけではない。
 リタルやクルアは影で動いてるだろうけれども、行方不明なのは何も殺人犯にされた兄だけではない。
 一緒にいた彼も、いないのだ。
「両親と一緒に住んでいたはずだ。資料にあった」
「フォークくん、無理しなくていいんだよ」
「今はエイクですから」
 びしっと言い切りながらも、アイスの家には行ったことがない。
「地図見ながら、行くか」
 ブラックとアルベルト、そしてファーガルが降りると、車は反転して、レジーナ方面へと戻っていく。
 四人は唖然とそれを見送るしかなく。
「あの少女、本当に軍人か?」
 ぴくぴくとこめかみを引きつらせているブラックに、まあまあ、となだめるアルベルトを見て、エイクは兄の心配をした。
(アイスさんがいなくても、親がいるはずだし……)
 地図の通りに進むと、すんなり豪邸とも言える家が見つかった。
「ここかな?」
 アルベルトがチャイムを鳴らすと、女性の声が聞こえた。
「はい……あ」
 エイクたちを見る間に、顔を青ざめていく。
「突然の訪問すみません。あの」
「帰って、今すぐ帰って! あの子のために、帰って!」
 ヒステリックに叫ぶ彼女にあっけにとられて、エイクたちは何もできぬまま、バタンとドアを閉められた。
「……これは、なにか軍に知られるとまずいことがあるってことか」
「だね」
 ブラックとアルベルトの二人がそう話をする中、ファーガルは家をぐるりと周り、窓から中を見ていた。
 そして、その近くに耳を当てる。
「軍人が……ええ、あなた。ツキさんじゃないけれども、どうしたらいい、どうしたら、早くキルアウェートくんたちを殺さないと……あの子が、殺されちゃう」
「脅されている、か」
 ファーガルが聞こえた話をすると、ブラックたちは本当か? と内心壁越しにわかるものなのかと思いつつ結論を出す。
「軍に知らせなかったのは、アイス――息子を殺されるから」
「前も似た手段があったけれども、今回はちょっと規模が違うんだよね」
「何がだ?」
「えーと、軍にもマスコミにも伏せているってことは、もう彼は敵の手に落ちていて、いつでも殺される準備ができてる」
「これは知らせないほうがいいな。せめて、居場所さえわかればな」
「うーん、手詰まりだな」
「なら、ツキを囮にすればいいのよ」
「いや、いね―奴の居場所を知るなんてこと、どう……」
 と言うと、車椅子の運転手の少女がいた。
「帰ったんじゃなかったのか?」
 エイクの言葉に、彼女はため息をついた。
「シーザライズ」
「はいはい、お嬢」
 と、いつの間にか四人の前に傭兵と先程別れたばかりの少女がいた。
「まったく、役立たずばかりね、シーザライズも」
「ちと罪悪感があるんだが、先程彼女からの情報は引き出してある。あとお嬢はエセ車椅子だから」
「え、どうやってあの人から情報を引き出したんですか?」
 アルベルトに、シーザライズは指を立てた。
「簡単なことさ。名探偵と名乗って軍は信用ならない。俺みたいな名探偵は居場所も知ってるって言って、嘘でけっこう話してくれた」
「嘘つき」
 迷うほうだろうが、とエイクは思いつつ、緊張感漂う中、車椅子の少女は人指し指を立てた。
「息子のアイスは、キルストゥのいる東の小国の王族の正統後継者。町長も、王族の生き残り。まあ、民間人の嘘に気付かないくらい切羽詰まってたのでしょうね。軍人より役に立つ」
 自分も軍人なのでは? という疑問を一同は噛み殺しつつ、少女を見つめる。
「シーザライズ、私は独自にアイスの居場所を探るから。あなたはこの使えなさそうなのと一緒にいて」
「殴っていい?」
「ブラック、女の子、女の子」
「男女で扱いが違うっての、嫌なのよね」
 金属のブーツをぶらぶらさせながら、少女は告げる。
「私はセプテット。軍人だけど、無能はいらない」
「やっぱりはたきたい」
「どうどう、どうどう」
 必死に止めるアルベルトが哀れに思えて、エイクは話題をふる。
「シーザライズ、いいのか?」
「あれは言っても聞かないタイプだ。ま、無線作ったから、何かあったら連絡くれ」
「ええ。あなたの異能力、私も欲しかったわ」
 そのやりとりを一同は無言で眺める。
「な、なあ、今なにもないところから無線機出さなかったか?」
「気のせいだ」
 シーザライズはこともなげに告げると、事件現場へ向かうことを提案した。
「もうなにもないだろうが、見ておいて損はないだろう」
 お嬢、とシーザライズが呼ぶ少女軍人と別れて、五人は徒歩でギャンブルの町の奥へ歩いていく。



「あ」
「げ」
「ん!」
「あちゃー」
 事件現場は、すでに片付けられており、それを指揮する人間に、四人それぞれの反応を示した。
「来てたんですか」
 シーザライズの声に、彼は振り返る。
 カーテンコール中将。知る人がごく一部の、暗部の正式トップ。
 粛清をも平然とやってのける、絆とは無縁の一言が似合う男だ。
「遅かったな。なにか証拠でも見つかったか?」
「てか、あんた前線出てきていいのかよ」
 シーザライズが当然の質問を返すと、彼はおかしげに笑う。
「今、中央はあらゆる依頼で人手不足だ。動ける駒が動くのは、当然だとは思わないかね?」
 くすり、と彼は笑った。
「噂には聞いてるけど、カーテンコール中将って前線出るの嫌いじゃなかったっけ?」
「知るか」
「ここにはもうなにもない。あとは、目撃者がいる町長の家に」
「先に行ったぞ。軍人は門前払いだと」
 シーザライズがタメ口で告げると、素直に彼は受け取った。
「ということは、きみはなんらかの情報を得ている、と?」
「役に立たない情報だよ。それより、クライスとかいうのは見つかったのか?」
「ウルはこの町にいると思いまーす!」
 気軽さがうりですとばかりに、ウルが手を上げた。
「真犯人の目星はついたが、姿まではわかっていない」
「本当ですか?」
 アルベルトの声に、彼は頷く。
 と、付き添いのタチアナが、目を丸くした。
「大変です、ウル様。ツキ様の気配がします。移動されているようですが」
 エイクたちに動揺が走る。
「追いかけるぞ」
「おれたちも行きます!」
「遅れるな」
 だめと言わなかった辺り、カーテンコールも焦りがあった。
 情報が圧倒的に足りない。
 だんっと壁を蹴りながら、カーテンコールとシーザライズが屋上へ出る。
「あいつら、人間か?」
「異能力持ち、という点では同じなんですけど……」
 ウルが苦笑しつつ、驚くアルベルトとブラックとファーガルに言う。
「エイクさんは慣れてるのですねー」
「異常者とは戦ってきたからな」
 暗殺者リタル。アダマンタイト。あとクッキーと懐かしい面々を思い浮かべる。
「お腹空いてきた……」
「アルベルト、お前素直だな」
 と走りながら、屋上を跳ねる二人を追いかけた。
「にしても、カーテンコールってろくな噂なかったような」
「臆病で、昇進も単に情報収集が劇的に上手かったから、って話なのに、なんであんなに人間離れしてんだ?」
「あー、そこはトップシークレットですよー? 聞いたら最後、封印指定ですよー?」
「それは通じないよ……」
 ウルにツッコミを入れながら、エイクも駆けていく。
 そして。
「ここは、武具店?」
 二人が降りたところの看板を見て、一同は顔を見合わせる。
「ツキはここにいるのか?」
「げ」
 と顔をしかめたのは、エイクは知らない人だった。
「小さい杖なら、はめ込むだけだけど」
「あそれでいいです早くお願いしますごめんなさいクライス連れてったのに怒ってるんですよね」
「それからツキ様の気配がします。ツキ様を匿っているのなら、今すぐ出してください」
「いや、ここにキルアウェートはいない」
 断言したのはカーテンコールだった。
「その青い石。それからキルストゥの気配がする」
 つまり。
「ツキなら重症で、麻酔ないと腹斬られた痛みで動けませんってば」
「クライスは?」
「……その前に。クレイン、妹さんは? 拷問とかされてませんか?」
 カーテンコールへ、ネームレスが問いかける。
「妹なら、情報室でパソコンの復旧中だ。とにかく人手がないからな」
「なら、いいです。処罰は受けます。でも、キルアウェートの居場所はまだ教えられません」
「危機が去っていないから、だな」
「ええ」
 ネームレスの答えに、ウルははいはーいと無邪気に手を上げた。
「なんでキルアウェートの武器を作ってるの?」
 誰もが忘れかけていた疑問に、皆の視線が集中する。
「……おれもわからん。ただ、言えることがあるとするなら」
 ――ツキを襲った敵に対する、最も効く武器だ、ということ。



 エルニーニャ王国中央司令部。
 その昼間、カスケードとマーチェは、書類仕事に追われていた。
「インフェリアさん、そこ間違ってます」
「あ……指摘、ありがとうな」
「いえいえ」
 ときたま手を止める彼に、マーチェはよっぽど犯罪者にされた人のことが気になるのかーと思った。
「そろそろお昼ですし、外食します?」
「え、あ、もうそんな時間か。朝食も喉を通らなくてな……」
 海色の瞳が淀んでいる。
「そんなに、キルアウェートさんが大事なんですね」
「え」
「まだ半日も一緒ではありませんが、そんな態度見せられたら嫌でもわかりますよ」
「すまない」
 と、マーチェの無線が音を立てた。
「こちら、カーテンコール。ツキ・キルアウェートの居場所、判明。ギャンブルの町の病院。どこかはまだ特定中。また、町長の息子が人質にとられている事が判明。なお、隠密行動のため、各自今の仕事を続けること」
 立ち上がる彼に、マーチェは無線を切る。
「ギャンブルの町、行きますか?」
「ああ。途中で水と食べ物を食べたら行こう」
 この仕事終わらなくて小言受けるんだろうなーと思いながら、マーチェはでも、こうやって無茶に付き合うのも悪くないか、と思い始めていた。
「そういえば、あの大病院の中のパン屋、美味しいらしいですよ?」
「詳しいね」
「調べましたから。なにせ、中央も仕事で来ることありましたから」
「じゃあ、行ってみようか」
「歩いて行けるのがいいんです」
 マーチェは先立って、忙しく歩き回る人々の合間をぬう。
 その足運びに、カスケードはかなり鍛えているな、と内心で呟く。
 街の外は相変わらず人で賑わっていたが、病院前は思ったよりも静かだった。
 入院施設があり、軍人も怪我して入ることもある、立派な建物だった。
「ここは人が少ないですね」
「だな」
 もし、ここにツキがいたなら会えただろうか、とカスケードはもしもを思う。
「ん、ここのサンドイッチ食べよう」
「そりゃあもう、フルーツサンドがやたらありまして、一口食べたらやめられないとまらない」
「あ! ぐ、軍人さん!」
 病院に入り、パン屋に入ろうとした矢先、私服のおばさんから声をかけられる二人だった。
「何かありましたか?」
 肩で息をしているおばさんに、二人は顔を見合わせる。
「空き巣がこっちに逃げてきて……」
 マーチェは内心、吐息をついた。
 だが、カスケードは違和感を覚えた。
「追ってきたんですか?」
「ええ。まったく、男で足が早くて……お願いします、捕まえてください!」
「といっても、ここは広いからなぁ」
「どんな男なんですか?」
 と、マーチェが問うが早いか、ざわめきが上の階から聞こえてくる。
「何処だ!」
「あ、軍人の方だ!」
 医療関係者だろう、白衣を着た人々が奥にあったエスカレーターを指差した。
「いつも来てる人だから、あんなに焦ってるなんて……何があったのかしら?」
「彼は何階に行きましたか?」
「えっと、こちらの階の、一番奥の突き当たりに娘さんがいます。いるなら、多分そこだと思いますが……」
「階段ってあります?」
 白衣の人は、困ったように眉を寄せた。
「エスカレーターのほうが早いです……というか、階段は非常階段しかないので」
「ちっ」
 舌打ちをして、カスケードたちはエスカレーターを待つ。
「ミストちゃんのお父さんみたいだったけど……何かあったのかしら?」
「ミスト?」
「ええ。入院生活してるんです。症状は守秘義務なので言えませんが、薬も変わったので、心配してたのかしら?」
「違うわ! 空き巣なのよ、その娘の男はきっとそうよ! わたくし見たもの!」
 激高するおばさんの態度を見るに、そうなのだろう。
「お仕事しているはずですけど……」
「犯罪者をかばうの?」
「まあまあ、落ち着いてください。もうじきつきますし」
 カスケードが仲介に入ると、おばさんはきっと睨みつける。
「勝手にパソコンをいじってたのよ。軍のネットが繋がらないの、あいつがきっと、何かしたのよ!」
 その言葉に、二人の軍人は顔を見合わせた。
「でも一人でできるものか?」
「わかりません。会って確かめるのが一番いいと思います」
 カスケードとマーチェが確認し合う。
「ちんっと音がなって、エスカレーターのドアが開く。
 人気はなかった。
「ここにいてください。何かあったら、大声で」
 白衣の人とおばさんは、頷くのを見て、それぞれ武器を手にした。
「あ、インフェリアさん、大剣なんですね」
「室内だとあまり使えないな……」
「大丈夫です。マーチェは近距離で戦えますから、どーんと任せてください」
「すまないな」
「謝らないでくださいな。もしここで犯人がわかれば、一歩前進、マーチェも出世ができるわけです」
 えへんとない胸を張る少女に、カスケードは苦笑した。
 そして、開かれた奥に、たどり着く。
「もう、娘に手を出さないでくれ!」
「あの人の命令だ。軍もツキの居場所を特定してくれれば、あとは殺すだけでいい。簡単なことさ。それに、あなたは単にコンピューターウイルスを撒き散らしただけで、殺人を犯していない。なにも悪いことはしてないさ」
「だったら、なぜまだここにいる!」
 しゅんっと少年目掛けて、ナイフが飛んだ。
 それを二本の指で受け止めると、少年はマーチェを見た。
「こうするとは思わないの?」
 見もせずに、男へナイフを投げかける。
 カスケードが男を無理矢理押し倒し、ナイフは壁に刺さった。
「あなた、キルストゥでしょう? マーチェは鼻が効くんで、なぜあいつに加担してるのかわからないです」
 スカートを捲った太ももに幾多ものナイフを装着していたマーチェは、真っ直ぐ少年を見た。
「あの、なんで軍人さんとドーナくんが争うの?」
 状況がわからないミストは、ベッドから身を起こすと、父親のほうへよたよたと歩いていく。
「何も教えてないんですね」
「ミストは関係ない、関係ないんだ!」
「娘のためなら犯罪者になってもいい――いい話でしょう?」
「……さすが黄金の用意した筋金入りのキルストゥ。マ―チェ、ちょっと怒っちゃいました」
 ナイフを一本だけ抜き出すと、ふわりとスカートが揺れた。
「自分だけなら個人の自由ですから。許せますけど、他人を犯罪者に仕立て上げて利用する。最低の最低です」
「ならどうするんだい?」
「インフェリアさん、お二人の保護をお願いします。軍に連れて行ってください」
「だがマ―チェ、きみは」
「心配ご無用。それに、大剣をこんな室内で振り回されたら迷惑です」
 はっきり言い切った途端、二つの刃が激突した。
 それを合図に、カスケードは男の手を握り、少女を抱いて駆け抜ける。
「すまない、すまない、すまない」
「謝罪は後で。それより、軍に入ります。娘さんも、医療チームに任せられますから」
 断言して、カスケードはマーチェを思う。
 人質を取るような輩だ。
 彼らを軍の施設まで届けたら、必ず戻ろう、と誓った。



「くっ!」
「はは、弱い弱い! 人もろくに殺せない軍国家なんて、笑い話にもならないね!」
 少年の言葉に、頷くところはある。
「マーチェは、思うんです」
 ナイフで牽制しながら、切り刻まれた病室で、彼女は思う。
「人は、道を踏み外しても戻れる、と。例え人殺しであっても、必要悪がなければ生きてはいけない、んだと」
 インフェリアさんは知らないだろうが、マーチェは任務で人殺しなど慣れている。
「当然だ。なら、こっちへ来るか? 軍なんて飾り、窮屈なだけだろう?」
「いいえ。軍だからこそ始末できるものがある。マーチェは胸を張って生きられません。でも、他の人の笑顔が、殺人より尊いものだって知っちゃったんです」
 それを守るためなら、殺人も辞さない。
「綺麗事を!」
「綺麗事も言えない者に、軍として、民を守る権利はないとマーチェは言います!」
 初めての時は、泣いた。
 赤い色、肉、全てが駄目になった。
 けれども、抱きしめられて、あの人は言った。
「綺麗事を守るために、悪は必要なんだって! あなたもそうなのでしょう?」
「知ったような口を――」
 少年の手のナイフが、振るわれる。
 少女は、そこにあえて突っ込んでいく。
 痛みを我慢して、少年の利き手の肩に、ナイフを深く深く差し込んだ。
 ――慣れないな。
「こ、のぉおおぉ!」
 ぱんっと、音がした。
 火薬が破裂した音。
 マーチェの身体が倒れ、脳漿が散る。
「さあ、手当てをしましょうか」
 黄金の着物をきた女性は、何事もなかったかのように、微笑みを浮かべた。
「すみません。油断しました」
「窓から真っ直ぐこっちに来てしまったけれども、軍人と街の人にまだわたくしのことを知られるわけにはいかないから、出ていった彼は放置でいいわ」
「殺さなくても……?」
「綺麗事では救えない命がある。ねえ?」
 即死した少女を見下ろして、小麦畑のような金色の着物の女性は告げる。
「だから、魔が、『神』がキルストゥを最後に滅ぼさねばならないのよ? あの兄弟は本当に世話が焼ける。本物の祓い人だからね」
 言いながら、彼女と少年は血濡れた病室から出ていく。
 開かれた窓から、飛び出しては着地をする。
「さあ、悲劇を始めましょうか」
 嬉しそうに、彼女は告げるのだった。