キルストゥの分岐点(3)

「マ―チェが、死んだ?」
 カスケード・インフェリアはその言葉を受け入れられずにいた。
 だが、大総統は冷酷なまでに告げる。
「病室で頭を撃ち抜かれていたそうだ。――伝えるかは迷ったが、そういうことが平気でできる相手が我々の今の敵だと、わかってほしい」
 生半可な覚悟では死ぬと。
「あの親子は医療班が預かることとなった。知り合いもいるだろう? 会いに行くか?」
 それは、インフェリアである彼を遠ざけるための言葉でもあった。
「マーチェはあれで人を殺したこともある人間だ。覚悟はあっただろう」
「……では、キルアウェートは……」
「そういうものに狙われていた。元ベルドルード中将からも、カーテンコール中将からも、話は聞いている」
「インフェリア、気を落とすな……お前たちがあの場にいなければ、きっとあの親子も殺されていた。人を、救えたんだ」
「どう、して」
 こみ上げてくる感情に、彼は耐えられない。
「皆、遠くへ行ってしまうんでしょうね」
「全員ではないだろう? ツキ・キルアウェートの居場所はわかり、弟もいる。ギャンブルの町。あそこに全ての真実がある」
 きっぱりと、大総統は言い切った。
「知りたい答えがあるのなら、行き給え。ここも、安全ではない。だから――」
「スピードスターだ。インフェリア」
 ヘルメットをした少年が、いつの間にか部屋の隅に隠れるようにいた。
「ったく、ショートケーキのおもりの次はお偉いお家の坊っちゃんの護衛か?」
 と、憎まれ口を叩きながらも、大総統を見る。
「途中で呼び戻してすまない、スピードスター」
「この件、放っておくと死者が増えそうだし、軍の信用もガタ落ちするもんな」
「えっと……?」
「あー、広報課のスピードスターだ。テレビやラジオ、その他もろもろ広報活動をしてる」
 あくまでヘルメットは外さずに、彼は語る。
「なあ、お坊ちゃん、ショックを受けてる場合か?」
「いや、その、お坊ちゃんって言い方は、ないだろう?」
 カスケードは、なんとか言葉をひねり出す。
 マーチェがもういない。
 もう会うこともなく、短い間だったが、病院に行かなければきっと生きていた少女だ。
「甘えるな。この国はどうも死人が出ないようにするのが好きらしいが、軍人は死ぬのも覚悟して入るもんだ」
「死ぬのが、当たり前、だと?」
「スピードスター、急げ。インフェリアも、だ」
 険悪になっていく雰囲気を遮ったのは、大総統だった。
「時間が迫っている。詳しくはスピードスターが説明してくれ」
「了解」
 大総統にする挨拶ではないが、大総統は特に気にしていなかった。
 対して、もしの場にいれば、助けられたかもしれない、そう思うカスケードは、敬礼して出ていく。



「空き巣していたのは、娘さんを人質にとられていたから、なんですね」
 医務室で、カイ、ラディア、リア、クリスたちが男とミストを見ていた。
「はい……何に使うかはわかりませんでしたが、パソコンのある家に忍び込んで、データをコピーしてました」
 素直に罪を告白された。彼はその行為によっぽど堪えているのがわかる。
「それ、今持っていますか?」
「はい……」
「お父さん、わたしのために空き巣してたの? ごめんね、身体が弱くて」
「お前が謝ることじゃない……悪いのは、俺なんだから」
「そうですね」
「ちょっと、クリスさん!」
「まず、休んでください。そんな青い顔していたら、娘さんも、そしてこちらも満足に質問できませんから」
 ぐいぐいと、大の男をベッドに押し倒す。
「――いいん、ですか?」
「健康第一ですよー。それと、精神の疲労まで回復してあげられませんから」
 ラディアが申し訳無さそうに告げた。
「一度、眠ってください。それからです」
 各自の優しさに、男はシーツの中に入り込み、顔を隠して瞼を閉じた。
「さて、クレインにでもこれ、渡しに行きますかね」
「私が行くわ」
 と、リアが手をあげると、カイも手をあげた。
「軍内部も危険はある、と先程ざわざわ言ってきてくれたので。護衛は必要でしょう?」
「……逃げないでくださいね?」
「クリスさん、目が怖いです」
 元々、志願したわけではなく、その能力を評価しての配置だ。
「はぁ。外に行きたかった。今頃皆さん、楽しそうにしてるんですよね」
「えっと、お仕事だと思いますよ? それに、死者も、出てしまいましたし……」
 リアの声に、一同は沈黙する。
「中央の方ではなかったみたいですけど、犯人は許せないです」
「早く、真犯人見つかるといいですね!」
 怒りがこもっているラディアたちは、しかし待つことしかできずに、悶々とする。
「でも、被害者の保護はできました。今はできることをしましょう」
 眠る親子を見つめて、軍人たちは思う。
 犠牲はあった。
 だがそれに固執していては、助かった者に失礼だと。
 空は、次第に夕方へと向かっていた。



「僕はお前が嫌いだ」
 二人乗りバイクが、夕闇の中を駆けていく。
「楽に生きてると、思うか?」
 カスケードの言葉に、スピードスターはそれもある、と偏見を肯定する。
「死者なんて出て当たり前だ。軍人なら、それくらい覚悟してないと死ぬのはこっちだ」
 一度死んだことがあることは伏せて、彼は言葉を放つ。
「楽なんかじゃない。失ったものだって、多かった」
「地位や名誉? 人間? 人なんて簡単に死ぬんだ。でも、偉くなる人間ほど、権力にこだわり、下の部下たちを使い捨てにしていく」
「まるで、そうされたみたいだな」
「今の上司はましだが、以前はそんなもんだったんだよ」
 ギャンブルの町までの距離は長い。
「知ってるかもしれないが、魔――『神』は一度恨みを持って死んでから蘇る。今日みたいな星空の下でな」
「何を言ってるんだ?」
 カスケードの言葉に、スピードスターはしばし、口を閉じた。
「いや、戯言だ。無視してくれ」
「そこまで言われると気になるが、まるでおとぎ話みたいだな」
「そうさ。信じてる方の頭がおかしい」
 言いながら、スピードスターは速度を上げる。
「うお!」
「しっかり掴まってろよ。振り落とされても知らないからな!」
 ニヤリと笑って、スピードスターはアクセルを踏み込んだ。



 夕焼けに空は染まりかけてきていた。
 そんな中、暗がりの倉庫が立ち並ぶ一体を、歩く四人組がいた。
「こっちだ、アクト」
「ディアの勘、当たるといいな」
「ねーねー、こっちさっきも通ったよー」
「ハル、あまり言わないであげて」
 ギャンブルの町についた別働隊の四人は、徒歩で倉庫の立ち並ぶ世界を巡っていた。
「迷子?」
 ふと、ハルが口にした言葉に、ディアは思わず睨んでいた。
「ああ?」
「アーレイドー、ディアが怖いー」
「ま、まあそれは置いといて。って睨まないでくださいお願いします」
「とにかく、大勢の人間がここらを通ったっていう目撃情報があったんだ。何かはあるだろ」
「――ちょっとまって。何か、聞こえる」
 ハルが足を止めると、前に巨大な倉庫があった。
 ドアが、指先一本分だけ、空いている。
 そして、無線から全く知らない声がする。
 剣戟と、町長の息子確保、応援頼む、と、途切れ途切れにそれは響いていた。
「これは当たりかもしれない」
 そして、彼らは武器を構えると、ドアを思いっきり開いた。



 彼らが来る数十分前のこと。
 薄暗い倉庫に、夕日が差し込む中。
「ここにいたぁっ!」
 わんっと犬も吠え、その顎をなでてやる着物の女性がいた。
「姉御、あまりもたついてると、軍の連中やってきますぜ?」
「わかってるわよ! おい、気がつけ町長の息子!」
 ごつんと、頭に拳を振り下ろした。
「ん……いた、いけどここ、は?」
 手足を紐で縛られ、目隠しもされていた青年は、いつの間にか拘束がないことに驚いた。
「あんた、誘拐されてたのよ。あの女に」
「姉御、ああいう輩は軍に任せてさっさととんずらしましょうよー」
 と、筋肉隆々のくせに弱気な青年に、紅葉は立ち上がる。
「あんたは匿名で軍に通報して」
 手分けして倉庫を探していた――荒らしていた女性、紅葉は黒髪をなびかせながら指事を飛ばす。
「あくまで一般人を装うこと。ま、今の軍なら、詳しく調べられることもないでしょうし」
「は、はい姉御!」
「ふふ、怨念がまた一つ、増えるわ」
 黄金色の着物が似合う、鬼のような人。
 それに対し、炎を体現したような黒髪の女性が、にらみ合う。
「もう一人、いるんでしょう?」
「あら、お気づきになるとは」
 少年が、さっとナイフをかざして金色の女の横に立つ。
「あそこしか出入り口なかったわよね。はぁ、あれを突破かぁ。どうしようかなぁ」
「姉御ぉ」
 今にも泣き出しそうな部下を労る暇はない。
 紅葉は、ナイフを構えた。
「二人で来たのは良かったのか悪かったのか……」
 社会の裏側、ある組織の長を務めている紅葉は、んーと首をひねった。
「逃げたいんだけど、ここ最奥なのよね」
「その男の子、殺してくれたら、生きて出してあげるわ。あなた達には関係のない人でしょう?」
「あのねぇ、助けに来たのにそんなことするわけがないでしょーが! 馬鹿なの?」
「ふふ、譲歩したのだけれど、それがわからないなら、皆殺しにしてあげるわ」
「姉御、本気で言ってますよあの人」
 とにかく震えている部下に、相性悪かったか―と紅葉は舌打ちを返す。
「連絡だけする。この無線で誰か拾えたら、応援を呼んで」
 この周囲にも、きっと誰か人はいる。
 それが軍人かもしれないが、この際構わない。
 メリテェア、可愛い妹のためにも。
 死ぬわけにはいかないのだから。
「カワウソ、走って!」
 その名前どうなんですかね、と言われつつ懐いている犬を追いかけるように、紅葉は黄金と少年へ向かっていく。
 手にはナイフ一本。
「ああ、くそ、死にたくないのに!」
 筋肉男は、腰から下げている銃を取り出すと、物陰に隠れながら出入り口に立つ二人へ弾を放つ。
「ふつう避けるぅっ!」
 驚きに犬だけ真っ直ぐ逃げていったが、上へ前触れなしに飛んだ二人にこのままだと囲まれる。
 素直に後ろへ跳び、紅葉は舌打ちした。
「せめて、もう一人いれば援護もらえるのに――とっ」
 素手とナイフが間一髪、首を狙って放たれた。
「ああ、もう! メリテェアー! 助け呼んでー!」
 なんて願いは届かず、二対二の戦闘は、片方は追い詰められ、もう一方は遊びだった。
 町長の息子であるアイスを逃がすためには、どうしてもこの状態では人手が足りない。
「しかも殺しに来るしぃっ」
「姉御!」
 部下の援護があってなんとか持ちこたえているダンス。
 だが、それも部下の弾が尽きつつある今、終わりを迎えようとしていた。
 いつの間にか、ドアはほとんど閉じられている。
 それだけの余裕が彼ら黄金にはあったのだ。
 完全に遊ばれていた。
 だが。
「ここで、終われるかぁっ!」
 活を入れるように、紅葉は叫ぶ。
 途端、ドアが大きく開かれた。
「これは――?」
 ぎいっと開かれた倉庫の先には、四人の軍人が立っていた。
 状況は理解していないだろうが、それでも紅葉たちにとってはチャンスだった。
「ドーナ、さすがに六人相手は分が悪い。引くわよ」
「あ、ちょっとぉっ!」
「そろそろ夜。お嬢さん、もう会わないことを祈るといいわ」
 だん、だんと倉庫の天井の窓をぶち破って、黄金色の女性と少年は消えていった。
「おい、そこの女」
 ディアたちは、武器を下ろさない。
「あー、うーん」
「町長の息子、守ってただけです」
 銃を床にばらまきながら、筋肉の青年が降参の意を込めて、両手を上げた。
「本当だ。俺を守ってくれていたんだ。この二人がいなかったら、殺されてたと思う」
 アイスの言葉に、全員が武器をしまう。
「たしか、町長の息子は氷色のペンダントを持ってる、と聞きましたが……」
「ああ、これ? 親父が肌身離さず持ってろって言ってたから、持ってただけだけど……?」
 服の内側に手を入れて、アイスは氷のような青いペンダントを取り出した。
「なんか、すごい大事な物ってことは知ってるけど」
「……あの、誘拐された経緯を覚えていたらでいいので、教えてくれませんか?」
 アクトを見て、アイスはああ、と頭をかく。
「ツキ、に突き飛ばされたんだったかな。それで、いつの間にか手足と視界が真っ暗で拘束されてるのがわかった。俺が人質、ってのはわかったけど、それだけだ」
「ツキさんの居場所は?」
「え、あいつに何かあったのか!」
 起き上がり、餌を得た魚のように食いついてくる彼に、一同は本当にただ誘拐されただけなのか、とちょっと残念ムードになる。
「え? 何この雰囲気」
「えーと、何も知らない、と」
 ハルが言うと、彼は頷いた。
「なあ、次に危ないのって、町長じゃないか?」
 アーレイドが告げると、ハルたち軍人組ははっとなる。
「あれ? 着物の人たち、いつの間にかいない!」
「もしかして、あの黄色の着物となんか因縁でもあったのか?」
「ま、助けてくれてたのは本当みたいだし、アイス? だっけ、こいつを家まで送り届けるぞ」
「他の軍人に保護してもらったほうがいい」
 と言ったのは、アーレイドだった。
「もしさっきの二人組が町長を狙うなら、間違いなく彼も狙われる」
「それもそうだな。とりあえず、ここ出るか」
「立てますか?」
「うん、ありがと……」
 立ち上がるアイスは、空を見る。
「親父……何を隠してたんだ?」
 ぽつりとこぼした思いは、宙へ溶けた。



「とりあえず、武器は用意した」
 戻ってきたネームレスは、今までのことを話した。
「だいぶ軍人が集まってきてる。ツキの傷は?」
「人よりは早いが……ふむ、緊急事態、か? なら、これでも使ってみるか」
 そうぶつぶつ呟いて、闇医者は一本の刀を手にした。
「ある異国の商人から買ったんだが、使う機会がなくてな」
「なんか、赤黒くて物騒なんだけど」
「持ち主を選ぶ代わりに、なんか運が良ければ治癒能力を高める効果があるんだとか」
「パチもん臭がしますけど」
 クライスが嫌な予感を感じたのだが、医者はそれをツキの手に握らせる。
 瞬間、刀の鞘が蠢く。
 そして、むき出しのツキの胸元を食らうように、赤黒い生き物のようなものは動いた。
「……あ、適合した?」
「おい、麻酔止めろ」
 ネームレスの言葉に、医者ははっと興奮しかけた自分を戒めるように、麻酔を止める。
 そして、ツキの腹部の傷を見る。
 嘘みたいに、綺麗に傷があったのか? と思うくらい傷がなくなっていた。
「ん……」
 麻酔が切れたからだろう、ツキは目を開く。
 はっきりと、天井が見えた。
 と同時に、胸元が熱い。
「オレ、寝てたのか?」
「腹に異常は?」
 医者は医者らしく問いかける。
 冷や汗をかきながら。
「いや、さっきまでの痛みがない……って、なんで武器握ってるの? しかもなんか赤黒くてグロテスクだし!」
「はっはっは。異国の刀はすごいな」
 楽しげに笑うが、ツキは何をされたのかとクライスとネームレスを見る。
「いや、うん」
「生還率百パーセントになったから良かったよ」
「おい!」
 明らかにふつうの回復力じゃないのは理解できたツキは、叫ぶ。
「あ、そうだ。こっちの武器も」
「小さいけど、杖ならいいや」
 大きさのことは何も言ってなかったし、とツキは思い返す。
「それ、知ってたのか?」
「……夢で、見たんだ。それだけ」
「ふーん」
「それより、クライスお前の怪我も治してもらわないと」
「あ、ラディアに頼むよ。少しはましになるだろうし、いつまでもここにいるわけにはいかないから」
「医療費は気にしなくていい。ベルドルード父からしこたまいただくから」
 クライスがジト目で医者を睨むが、彼は肩をすくめるだけだった。
「あの、皆、ありがとうな」
「回復したなら、さっさと真犯人探しに行くぞ」
「真犯人?」
 ツキは何のことかわからず、首をかしげる。
「あー、今ツキは、殺人犯にされてるんだ」
「それじゃあ、アイスは! フォークも、どうなったんだ!」
「じゃあ、それを確かめに地上へ行こう」
 ネームレスが言うと、そうだ、とツキへ白装束を渡す。
「元の服、血まみれだから」
 ――夢で見た衣装と一緒だ。
「これ、どこで貰ったんだ?」
「ん? そうだな、どこだったろう」
「お前、ミステリーの塊だな」
 と、冷めた目で、医者が嘆息した。
「男の姿なんて見たくもないからさっさと着替えて出てけ出てけ」
 しっしとハエを追い払うような仕草をして、彼はカルテらしきものに書く。
「ベルドルード」
 ツキが着替えている間、医者は言った。
「父親に、これからもよろしく言っといてくれ」
 そして、三人は暗くなった外へ出た。



 空は人工の光に包まれる夜の景色になっていた。
「てか刀軽い。杖のほうが重いくらいだ」
 背中に刀をくくりつけ、杖を手にツキは外へ出る。
 だいぶ方向感覚が狂うような構造の建物を出た先は、アイスの家に近かった。
「軍人とマスコミが集まってるな……」
 路地裏に三人で様子見をしている。
「あれだけいたら、敵も近づけないだろうな」
「そこでなにしてる?」
 急に声をかけられ、振り返ると見慣れた姿が揃っていて、ツキは安堵した。
「ブラックにアルベルトに、シーザライズさんと……あと、どなた?」
 なんとなく、ツキはエイクを見て目を丸くした。
 がそれがバレると良くないと思い、目をそらす。
「大丈夫、お兄ちゃん。ここにいる人はみんな知ってるから」
 えへん、と胸を張るフォークに、ツキはそうか、と微笑む。
「エイクの知り合いか。なら名乗ろう。ファーガルだ」
「は、初めまして」
「あ、クライスくんも! 久しぶり!」
「あ、フォーク、……だよな? なんか声は変わらないけど、見た目がジャイアントになってないか?」
 ブラックがため息をついた。
「再会はともかく、先程アイス――町長の息子が保護されたそうだ」
「わあ!」
「無事、だったんだよな」
「無線だから、あまり詳しいことはわからん。って、ツキ、お前どこに」
「アイスが無事で、オレも無事だってことは、次に町長が狙われるんじゃないか? それか、軍にいる内通者」
「真犯人のか? いるのか、そんな奴」
「可能性はあるよね。例えば――」
 アルベルトが言う途端、近くで鼓膜を突き破るような爆音が響いた。
「は……」
「え……」
 路地裏にいたのが幸いした。
 だが、町長の息子、アイスの家は、爆発物でも仕掛けられていたのか、ぼうぼうと、赤黒く燃えていた。
 周囲にも炎が伝播したのか、炎が燃え広がっている。
「中に、アイスのお母さんがいるはずだ――!」
「馬鹿!」
 駆け出そうとしたツキを、ファーガルとシーザライズが止める。
「あそこは、あそこはあいつが唯一安らげる場所で」
 不意に、ツキは思い出す。学校時代の話だ。
 なんでギャンブルの町の町長の息子なのに、こんなところに来たんだ?
 ツキは、レジーナの商店街にある学校に通っていた。
 家が近いからだったのだが、アイスは違う。
「あはは。家に居づらいんだよ。でも、たまには帰りたくなるから、きっと、だから良いんだよ、俺にとっては、さ」
「居づらいのか?」
「うん。あの町、落ち着かないし。ここも、無理言って通わせてもらってるし」
「あいつにとっては、居心地が悪くても、帰る場所だった、のに――」
 不意に、気配がした。
 前にも感じたことがある。
 けどその時よりももっとはっきりとした、魔の気配。
「皆は避難を手伝ってくれ! オレは――」
「あの火なら消火できる。エイク、一緒に行ってやってくれ」
「勝手に話を進められても困るんだが」
 ファーガルがシーザライズ達を見て、ふくれっ面を見せる。
「ツキさん。これが真犯人のやったことだって、わかるの?」
「ああ。今回ばかりは、オレたちの手で終わらせなきゃいけないことなんだ。というか」
「ぼくたちの手でしか、終わらせられない」
 エイクが、バンダナを外す。
「フォーク・キルストゥとして、お兄ちゃんを手伝うよ」
「お前……」
「エイク、ごめんね。ぼくは、キルストゥとしての役目を全うするよ」
 そして、三人は走り出す。
「おい! 待て!」
「皆は手当とか手伝ってあげてー!」
 フォークが告げ、シーザライズは安全な壁を蹴って高度を取ると、バケツをひっくり返したような水をぶちかました。
「ちっ、消えないか! 消防車レベルかこれ!」
 舌打ちし、シーザライズは力を込めた。
「シーザライズ!」
「フォア!」
「雨だよ!」
 仕組みはわかっている。なら、やることは一つだけだ、とシーザライズは局地的な雨雲と雨を、イメージし。
「降れぇ!」
 と、まだ燃え盛る炎に向けて、放った。
 力が失われるどころか湧いてくる。
 それでもまだ、完全には遠かったが。
 そんな中、路地裏から出た面々は、しかし完全に消えきってない火と、爆発に巻き込まれた人たちの元へ行く。
「なんだ、よ、これ」
「――できることを、やるよ、ブラック! ぼさっとしないで手伝う!」
 匂いだけでもう助からないのはわかっていた。
 時間が巻き戻ればいいと、思った。
 でもそんなことは不可能で。
 直撃を受けた軍人やマスコミの人々は、黒焦げになっていた。
 ――吐き気をこらえて、次々に何事かとやってきた軍人に、アルベルトは指示を出す。
「くそっ」
 敵は、平気で民間人を巻き込んだ。
「くそ、くそ、くそっ!」
 ブラックは助かろう人を選んで。
 ファーガルは焦げた人間を選別し。
 ――死人と出会うこともあるのはわかっていたのに。
 そこに、アイスたちがやってきた。
 家の前にたむろする人々。
 姿をなくした家。
「あ……」
 現実味がなかった。
 でも。
「母さんは?」
 建物の中には、一人分の焼け焦げた遺体があって。
 シーザライズは地面に降りると、アイスを真っ直ぐ見た。
「生きてない。もう、助からない」
 消防車がやってくる。
 アイスは、目を見開いて。
「――俺の、せいなのか?」
「違う、とは断言できないな」
「どういうこと? 何があった!」
 後ろからやってきた四人に、シーザライズは首を横に振った。
「町長の家が爆発した。それで、押しかけてたマスコミと、それを取り押さえていた軍人と、奥さんが巻き込まれた」
 淡々と、事実だけを告げる。
「助からなかったの?」
「遠くにいた人は、助かっただろうが。家に押しかけていた連中は、無理だった」
 ぐっと、アイスはシーザライズに掴みかかる。
 がすぐ、手を、離した。
「……軍人は、仕事があるだろ?」
「そうだな」
「アーレイド!」
「助かる命があるなら、やるだけだ」
 ディアが告げると、彼らはアイスとシーザライズの横を通り過ぎていく。
「お前にできることは、大きなことだ。生きててくれて、良かった」
「よく、なんか、ねぇよ」
 嗚咽が交じる。
「人が、死んだんだ。俺のせいで」
「本当に、そう思うか?」
「そうだろ! 母さんどころか、関わった人も多く死んだんだ!」
「ああ。それは事実だ。でも、それはお前のせいじゃない」
「けど! 俺が、もっと注意していれば、死なずに済んだ命がたくさんあったんじゃないか!」
「人は、必ず死ぬものだ」
 シーザライズは、アイスの顔を平手打ちした。
「いっつ」
「ツキとフォークが、お前の代わりに敵討ちに行ってる。お前が無力だからな」
「そうだよ……無力なんだよ、何もできないんだよ!」
「それを選んだのはお前だ!」
 はっと、顔を上げると、シーザライズが涙を浮かべていた。
「信じた者が、お前の代わりに真犯人と向かいあってる。立ち会うなら、俺がお前の盾になってやる。無力で役立たずだったのは、同じだったから」
 そして、シーザライズは手を伸ばす。
「ずっと泣いてるつもりか? ツキの勇姿を、見てやれよ。お前のために、全土で犯人扱いされたのに、それでも真犯人に向かい合おうとしてる」
「ツキ……は、軍人、だから」
「違う。これは、お前のためだ」
 シーザライズは手を差し出す。
「それに頼まれたんだ。行こう。もう次の悲劇は起こさせない」



 エイク――フォークはツキを抱えて、町長の屋敷の前に立っていた。

「家、違うんだね」

「昼はこっちで仕事らしいからな」

 と、ツキは告げた。
「降ろしてくれていいぞ、フォーク」
「うん」
 そこには、夜であっても黄金色が鮮やかな女性と、少年が立っていた。
「あら? 余興は楽しかった?」
 挑発には乗らず、フォークは木製のナイフを取り出した。
「殺す気はないのか」
 少年が馬鹿にされたかのように、苛立ちを隠さずに舌打ちをする。
「白装束――いいわね、死装束にしてあげるわ」
 手を突き出すと、レーザーのような光がツキへ迫る。
 だが、彼はそれを杖の一振りでかき消した。
「え?」
「無駄だ。もう、ここに来た以上、勝負はとっくについてるんだ」
 少年がツキへ消えるように迫るが、フォークが足蹴りでそれを拒む。
「な――」
「キルストゥ、青と赤が揃ったんだ。もう、魔であるあなたは無力だ」
「キルストゥってだけで、殺されるんだぞ……だったら、魔と組んだほうが救われるに決まってる!」
 少年が叫ぶ。
「わかってて、彼女と一緒にいたのか――いや、オレもそうしたかもしれない。一人なら」
「だろ、なら、魔と共にあの国で戦乱を起こして、皆死んじゃえば良いんだ!」
「そのせいで、どれだけの人が悲しむか、わかってるのか!」
 怒声に、少年は怯む。
「人は、皆人だ。魔だって、人と結びついた、悲しい人だ。オレはだから、これから魔を、祓う。きみの大事な人を、祓う」
「祓ったこともない者が、偉そうに――」
 少年は、フォークと間を開け、間合いを見定める。
 同じリーチ。
 だが、武器が徹底して違った。
「はぁああああ!」
「お兄ちゃんを、今度こそ、ぼくの手で、守るんだぁっ!」
 交錯する思いは同じで。
 殺す意図がないなら、少年のほうが有利だった。
 ――赤の宿命は、護身術を殺人術へと変貌させるほどの身体攻撃への特化。
 それは、一部の人しか知らない技術。
「ぁあ、え……」
「ごめんよ。ぼくは、赤。殺さないために、木のナイフなんて使ってるんだ」
 急所を打った木製のナイフを受けて、少年は目を見開いて膝をつく。
 倒れ込む少年を、フォークは抱きしめる。
「人って、あったかいんだよ」
 いつか、フォアさんがしてくれたように。
 名も知らぬ少年を、抱きしめた。
「あ、ああ」
「『夜空に浮かぶ星々よ』」
 すっと、短い杖を、ツキは持ち上げる。
 黄金は知らない。
 だが、ツキも本来は知らぬこと。
 後押しするのだ。血が。血に刻まれた青の宿命が。
「『万を超えた恨み、辛み、嫉妬を抱きし者よ』」
 祝詞に、青い石が白い輝きを帯びて、光を天へと放っていく。
 一直線に。迷わないように。
「『結びついた歳月は数知れず。しかし、終わりの刻は、今ここに』」
「あ、な、なに、が、起きてるの?」
 伸びていく。
 キルストゥの真の力が、天へ、宇宙へ、外界へ。
「『恨み、辛み、嫉妬、負債を背負う必要は、もうない。キルストゥの名はツキ。青き宿命の元、あなたの背負いし苦しみを、不運を全て、天へと返そう』」
 少年は、見た。
 空には、星座が描かれていた。
 いつかの魔が描いたもの。
 それが、輝きを増していく。
 誰もが、それを見上げる。
「ぁ、いや、死にたく、生きたく、こんな、いや違う、キルストゥは滅ぼさないと、じゃないと、わたくしが、消えて」
「『本音は根底に。奈落ではなく、空から人々を見守る、遠い遠い夜空へ帰ろう』」
 ツキの声は、子守唄のようで。
 誰もが、空を見上げた。
 星座がある。
 プラネタリウムでもないのに、だ。
「『悲劇の時間はお終い。さあ、来たれ、終わりの時、歌を歌おう、詩を語ろうぞ』」
 頭を抱える黄金が、座り込む。
 いつの間にか、赤の宿命の少年が、涙を流す万の怨念を、見下ろす。
 そして、フォークが木製のナイフで。
「さようなら」
 と、その心臓の位置にナイフを当てた。
 それで人なら死ぬことはない。
 だが、彼女の身体は、薄れて溶けて消えて。
 神々の遺産たる、腕輪がからんと、落ちた。
「終わったね、お兄ちゃん」
 ぎぃっと、何かが急停止する音がした。
「やっと見つけた!」
「ツキ!」
 それは、スピードスターとカスケードだった。
 バイクから乱暴に降りると、カスケードはツキのほうへと駆け出す。
 だが、ツキは見ない。
 聞こえてるはずなのに、無視している。
「おい、こいつに傷ついたら……キルストゥ?」
 スピードスターも、異変に気づいた。
「だめ、お兄ちゃん、それ以上は――!」
「『我は告げる。終焉の鐘を』」
 ツキは、フォークを見ていない。
「『すべての罪を、ツキ・キルアウェートが被ろう。それこそ、彼の者への手向けなり』」
「ちょっと、何して――」
「何を言ってるんだ、ツキ」
 海色の瞳が、心配そうに揺れる。
「『完成された星座よ、人々よ、聞け。殺人犯はツキ・キルアウェート。そして、軍に所属してはいない、一人っ子の、一般市民の暴走として全てを書き換えよう』」
「なに、言ってるの……?」
「『天よ、星々よ、我が願い、我がままを全ての知りゆる者へ刻み給え』」
 真犯人はもういない。
 フォークもカスケードも感じている。
 けれども、そっちは見れない。
 だから。
 ツキは、一筋、涙をこぼしながら。
「『さあ、今こそ全てを解決しようぞ!』」
 かっと。
 フラッシュがたかれたように、世界中――正確にはエルニーニャ大陸が、その光に包まれた。



 スピードスターは、昏倒させたカスケードを背負った。
「バイクで走り回ったんだ、この馬鹿キルストゥ」
「ごめんごめん」
「ツキの、馬鹿」
 シーザライズを背に、ツキは杖を持ちながら、眠りこけているアイスを見て、微笑んだ。
「真犯人はもういないからさ」
「もう、お兄ちゃんは……」
「フォーク、もう互いに他人扱いだからな。間違っても、おにいちゃーんってこれからは言っちゃ駄目だぞ」
 フォークが頬を膨らませているが、見なかったことにしよう。
「おい、ツキ、アイス、急いで乗れ!」
「あ、リタルさんとクルアさん!」
 車がいつの間にか、町長が昼間いる建物の前に来ていた。
 ドアが開いている。
「今まで何してたの?」
「キルストゥを助けるための根回しができた。だから、乗ってけ!」
「あとフォークくん、これを!」
 ぽいっと投げられたものは、筒だった。
「私の知り合いに渡してください。そうしたら、無事に料理学校に通えますから」
「え、リタルさん……」
「ここで、お別れです」
「あの国をちゃんとふつうの国に変えるんです。キルストゥにかけられた賞金も消せるよう、ちゃんとした王様が必要でしたから」
 そう言って、アイスを見下ろす。
「アイスって……王様なのか?」
「そうですよ。そうでなくては困ります。お母さんの件は、私たちの配慮が足りませんでしたが」
「そっか。もう、ここにも戻れないもんな」
 ツキが辺りを見回して、遠くがざわざわしていることに気付く。
「居場所がないなら、作れば良いんだ」
「にしても、ツキも思い切ったな。まあ、アイスのそばにいるなら、もう問題ないけど。二度とレジーナには近づくなよ? 犯罪者さん?」
「ああ。そうだな」
 苦笑するツキは、振り返る。
 はぁ、はぁと息を切らしながら、フード姿のいつもの人の姿があった。
「あー、間に合ったー!」
「フォアさん!」
「フォークくん、ツキさん、今までありがとう。あとこの子もツキさんにもう一回だけ触ってもらいたいって」
「寝室の置物」
「こいつも、不思議だったな」
 と言いつつなでて、ツキは疲労しきった顔をした。
「一度だけ、レジーナに来たら、会いたい人に会えるようにしてあげるってさ。この子のおまじないだって」
「おい、フォア、お前も……」
「フォークくんへの驚異は去ったっぽいからね。あとは、ぼくから言うことはないよ」
「今まで、皆さんありがとうございました」
「エイクもやめたんだから、ちゃんと立派なコックになれよ?」
「うん!」
「勉強はちゃんとしてくださいね?」
「はーい」
 リタルの声に応えながら、フォークは涙が滲むのを止められなかった。
「きっと、もう一度会えるのはフォークだと思うが……その時は、よろしくな」
「うん! あ、お兄ちゃんも、さっき、格好良かった。アイスさん、支えてあげてね」
「ああ。約束する」
 指切りして、兄と弟は別々の道を歩く。
「じゃあ、そろそろ行くぞー」
「さよならー!」
「またな」
「お兄ちゃん、もう迷惑かけないでねー」
「迷惑かけるのが、仕事だからな」
 三者三様の挨拶を受けて。
「そろそろ行くぞ」
 とクルアの声がする。
「じゃあ、さようなら。もう、会えないだろうけど、元気でな」
「フォークくん、頑張ってくださいね」
「はいっ!」
「アイス攫ってく気もするけど、いいのかな」
「すでに許可は貰っているから、大丈夫です。ね、町長」
 いつの間にか、シーザライズのそばに、彼がいた。
「ああ。元々、レリアの件がなければ、王になっていたんだ」
「ペンダントもあるなら、下手な貴族たちを抑えられる。だから、安心して、アイスを王にしてやってくれ」
 頭を下げられて、ツキは頷いた。
「それじゃあ、ここでさようならだ」
「国を変えてくる――いや。元に戻してくるさ」
「うん、皆さん、ありがとうございました!」
 車は、エンジンをふかして、走り去っていった。
 遠い、東の小国へ、と。



 それを、スピードスターは見送った。
 カスケードは火事場の軍人に預けてきた。
 理由を聞かれたが、犯人に不意を突かれた、と適当なことを言い、やることがある、と逃げてきたのだ。
 そして、上司のカーテンコールも、音もなく現れた。
「キルストゥの賞金首狩りが終わるな」
「だから、見逃したんですか?」
「いや。ツキ・キルアウェートが犯人で、未解決事件としてこの悲劇は終わるだろう。軍内部にあるキルアウェートの書類等は全部処分だ」
「やれやれ、最後に大仕事残してくれましたね、彼」
「そうだな」
「嬉しそうに」
「これで、一つの事件が起こるきっかけが終わるんだ。嬉しいに決まっているだろう」
「で、エイクは? どうする?」
「行方不明として処理しよう。上が何を言おうと、裏工作して押し通す」
 えげつないと思いながらも、フォークとツキがいなければ、町長も殺されていたのかもしれない。
 それをおさえただけでも、あの二人には感謝しかなかった。



「シーザライズ、君の能力を世界と循環するようにするから」
 フォークが寝静まった頃、彼の家でフォアが切り出した。
「お前も、去るのか」
「うん。でも残ったのは、シーザライズの能力が強力すぎること。だから、世界そのものと結びつけて、循環させる。並行世界と繋がれるくらいにね」
「意味がよくわからんが、フォアの能力だから信じるさ」
「ありがとう」
 そして、フォアはシーザライズに手を当てる。
 次第に、フォアが薄れていく。
 代わりに、世界、が理解できていく。
「これでおしまい。ぼくは、もう行くね」
「フォークに言わなくて良いのか?」
「えへへ。ぼくにはぼくのやるべきことがあるから。それを、済ませてから」
 そうして笑うと、フォアが、消えた。
「……最後に、挨拶くらいしてやれよな、馬鹿」
 シーザライズは、静かになった部屋で一人ごちるのだった。



 ギャンブルの町で起きた、町長の家の爆発事件。
 謎の雨雲と消防車で起きた火は鎮火した。
 そして、やはり犯人だったのは、ツキ。
 暗部は調べなかった。
 もう表で十分、公表されていたからだ。
 行方知れずのまま、未解決事件として、裏社会が関わっているとか、町長に恨みがあったから、とか、いろんな憶測を呼んだが、誰もわからなかった。
 真実を知るのは、現場にいたごく一部。
 大総統さえも、彼が内通者だったのか、と暗部に回したが、そもそもそんな人間は軍にいない、と返ってきた。
 カーテンコールが言うなら、書き間違えだったのだろう、と彼は引っかかるものを感じながらも、その名を軍から完全に消し去った。
 ただ、彼には言わないことを条件に、調べることはあったが。



 そんなことなどつゆ知らず。
「フォーク! 遊びに来たぞ!」
「クライスくん! 腕大丈夫?」
「ああ。でもツキ・キルアウェート見つかってないんだろ? 気をつけろよ」
「クライスくんが守ってくれるんでしょう?」
「う、そ、それはそうだけど……今は、やっと腕が上がる状態だから」
 クライスは、フォークを見て、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ベック―も一緒なんだ」
「土産だ」
「もー、そうやっていじめるー」
 東の国の小国の、キルストゥへの賞金首は、なくなりました。
 これも、お兄ちゃんたちの努力が実った結果だと、ぼくはわかります。
「しっかし、なんか、変なんだ」
「なにが?」
「誰か、軍人っていなかったっけ、って、カスケードさんがめっちゃ言ってた」
「親友のニアさんを思い返してるんじゃないかな」
「そっか。そうだよな」
 お兄ちゃんのことは、あのあとすっかり犯罪者扱い。
 軍に所属してたなんてことも、皆忘れて。
 クライスくんいわく、書類類も全部なかったそうです。
 もしかすると、軍の内通者だったかも、と思ったので、大総統命令で調べたとのことです。
 なぜかカーテンコール中將には極秘に、といってました。
 ちなみに、クライスくんとその上官さんはこってり絞られたそうです。それはそうだよね。
 クライスくんの怪我は、ツキにつけられたことになった、と言ってました。
 そして、一般人による、爆発事件。そうして、死人も多数出した事件は大事になりましたが、すぐニュースから忘れ去られました。
 これが正しかったのか、ぼくにはわかりません。
 けれども、自分を犠牲にして、今はキルストゥやあの小国の多くの人を助けたお兄ちゃん。
 大好きです。
 また会える日を、楽しみにしています。
 だからその時までぼくは、待つのです。
 夢を追いながら。



 ある日の、軍の墓地。
 なぜ東から中央へ戻ろうと思ったのか。
 カスケード・インフェリアはかつての親友に語りかける。
「なあ、ニア。なにか、忘れてる気がするんだ……誰も、知らないって言うけれど、大切なことを」
 小骨が引っかかったような、もやもやが、彼を苛んでいた。ずっと。
 誰に聞いてもわからない、もやもやが。
「あの、墓地はここでしょうか」
 不意に、聞き覚えのない男の声がした。
 黒いフード姿の男だった。
「あ、民間の墓地は、どちらでしょう? 両親の墓が共用墓地なので、迷ってしまって……」
「それなら、案内しますよ」
「ありがとうございます、親切な方」
 そして、ふさあっと風が舞った。
 フードが取れる。
 茶髪の髪が、あふれだす。
「ツキ――」
 未解決事件にあった、ギャンブルの町で起こった事件の真犯人。
 悲劇を起こした本人が目の間にいるのに。
 捕まえるべきだというのに、カスケードは動けなかった。
「まったく、変わってないな」
 苦笑する姿に、覚えがないのに。
 かちり、と歯車が噛み合う音がした。
「元気そうで良かった、カスケード」
「名前……」
 悪戯めいた笑みを浮かべて、ツキは、会いたい人と一回だけ、会えるというおまじないを果たした。
 少しの偶然を装って。
「じゃあ、元気でな」
「ま、」
 砂埃を上げて、また、風が吹き荒れる。
 カスケードは思わず目を閉じた。
 たんっと音が何度かしたあと、目を開くと、誰もいない。
「幻覚、か……?」
 けれども、胸のもやもやは、晴れていて。
 なぜか泣きたくて、でも心はすっきりしていた。
 だから、ぱんっと頬を叩いて、気持ちを切り替える。
「さて、仕事があるから戻らないとな」
 すぐこの出会いは忘れるだろう。
 その後姿を見届けて、ツキは自分を抱く少年に笑いかけた。
「ありがとう。さて、行こうか」
「はい!」
 春の光を浴びながら、彼らはその墓地を後にした。
 もう交わることのない人生を、それぞれ歩みながら。



~キルストゥの宿命編・完~