怨念の浄化

「らー、らーららー」
 少女が、口ずさんでいる。
 夜空の下、両手を祈るようにしながら。
「ここで何をしている!」
 不意に、黒い学生服の少年が来た。
 二人。
 ただの学生でないのは、胸につけたバッチが示していた。
 石造りの廃れた教会の前で、彼女は左手を黒髪の年若き軍人へ向ける。
「らー、ららーらー、ららーらー」
「――なっ!」
 瞬間、銃口を向けようとしたかの軍人は、地面に倒される。
 と同時に、首と手首から先が、木製の板に挟まれる。
「らーらー、らららららー」
「トバチ!」
 エルニーニャ中央軍司令部、暗部の若き軍人へ叫ぶ声は、同僚だった。
 少女は、黒いシスター服をまといながらも目は、幼子のように無垢。
 口から漏れる歌にあわせて、右手を天へともち上げる。
 トバチと呼ばれた軍人は、顔を真っ青にしていた。
「らららっ、らららっ」
 まるで痴呆のような少女だが、誰がみてもそれは――昔に使用されていただろうギロチンを操っていた。
 彼は、頭だけを上げて、サビのついたそれを見上げる。
「いやだ、いやだいやだ嫌だ、死にたくない死にたくない」
 少女は、その言葉に首を傾げて応答する。
「一人は、嫌?」
「何をしている! そいつは殺せ! なんの為の銃だ! ああ、なんだ、どうして」
「あらぁ、楽しそうだから私もぜひ混ぜてほしいわぁ」
 トバチの同僚は、気配なく忍び寄っていた銀髪のシスターと目を合わせ――叫んだ。
 その瞳は真っ赤。
 充血したようだった。
「鋼鉄の処女に抱かれて逝けるなんて、幸せね?」
 彼の背後にあるのは、これまた大昔に使われてたろう、内部に棘が無数もついたもの。
 生かさず、殺さずの拷問器具が、なぜ突然現れたのか。
 二人の暗部の人間にはわからない。
「ああ、軍人さんよぉ。目の付け所は悪くなかったが、いまいち運がなかったな」
 野太い男も、黒い法衣に身をまとっていた。
「そろそろ血に飢えていんだよ、俺らはさ。だから――死んでくれとは言わねぇ。血をくれよ?」
「らーららー」
「うふふ、若い子の血で、若さを保てるのよ?」
 その人並み外れた狂気の果て。
 トバチは失禁だけはしまいと、そして天を見ず、歌う少女だけを見る。
「みんな、すぐ逝くから。ここの人たち、みんな、みーんな、一緒。ずっと、ずーっと一緒だよ」
 にこっと、ひまわりのような笑みと共に、少女は右手を振り下ろす。
 首と手首が吹き飛んだ。
 血潮が、濁流のように地面を濡らす。
「と、トバチぃいいいいいぃいいいぃっ!」
「じゃあ、お友達の所に送ってあげるわ」
 血を味わえる。
 その我慢から解放されることに絶頂しながら、鋼鉄の処女は棘を持って、軍人を飲み込んだ。
 大地を割らんとするほどの絶叫が、面白いと女は笑う。
「最近、この辺りで行方不明事件が多発してるのよねぇ」
 女は体の中にどういう理屈かはわからないが、入ってくる血の感触に酔いながら、嗤う。
「らー、ららららー」
 ギロチン台はすでに消え去り、首と胴が離れた遺体を、影がくるむ。
 そして、地面に撒き散らされた血も、首も胴も、全て幻のように消え去った。
「お前ら、けっして表の軍人は食うなよ」
「わかってるわよ神父様?」
 沈黙した鋼鉄の処女を手首を払うように動かして消した女が答える。
「首斬りのシスターに、血吸いのシスター、そして、武の神父。今回はいないけど、発火のシスターはどこに行ったの?」
「さあなぁ。あいつのことなんて知ったこっちゃねーだろー?」
 なあ、と同意を求められても困る、と二人のシスターは瞬きを繰り返す。
「それもそうねぇ。しかし、ここの軍人は若い子が多いから、私、若返っちゃうかも」
「寝言は寝て言え、馬鹿」
「そろそろ、おねんねの時間。わたし、寝るね」
 まるで人を殺したとは思えない呑気さで、彼らは教会へと戻る。
 そう、人なんて殺してない。
 ただのおもちゃ遊びだった、と言わんばかりに。



「暗部の頭領が、俺のような傭兵になんか用、だよなぁ。あれか?」
「ふふ、理解が早い人は、手間が省けて助かります」
 シーザライズは、商店街の刃物を扱う店の奥で、軍服を着た男と対峙していた。
 ちなみに店主は表に出ており、会話は聞こえない。
「北区の奥で噂になってる、悲鳴。あっちにも教会があったよな?」
「ええ。そこを是非調べてもらいたいのです、シーザライズ。キルストゥと共にいた人殺しに」
「あまり責めないで」
 と、ローブ姿に身を包んだ青年が、口を挟んだ。
「あなたも『神』なのだから。人を守る側でなければ、今ここで存在否定したいところですよ」
「怖いことを言いますね、相方は」
「俺も、お前は信用しないが、暗部の頭がわざわざ足を運んできたんだ、相当被害でかいんだろ?」
 シーザライズも元軍人だ。規模は違えど、分かることも多い。
「ええ。昨日で二人死にました。目に見えずとも、時間通りに招集にこなかった、ということは察しが付く」
「で、何人目だ?」
「これで五人。ネームレスやベルドルード、ショートケーキはまだ使い道があるため、除外としても敵へ貢ぐ気はない」
「で、捨て駒で傭兵使うってか。面白い」
「そちら、『神』を殺せるのだろう? この怪奇は教会に全ての原因があると見ている」
「そして、『神』が関係していると?」
「感じるんだ。裏社会の連中とは違う。死体もないところを見ると、血肉が食われている。一滴も残らずな」
「それを俺に調べろと?」
 シーザライズは気乗りしない様子で、フォアに助けを求める。
「その教会、何人いるんです?」
「一応神父が一人、シスターが三人だ」
「とすると……」
 フォアはシーザライズを見る。
 こんな近くにキルストゥを恨む者たちがいるという事実に、軽く下唇を噛んだ。
「これは、放っておくわけにはいかない。けれども、シーザライズとぼくたちだけでは厳しい」
「なら、私たちもお手伝いいたしましょう」
「わーわー、リタルさん勝手に奥に行かないでー」
「シーザライズさんは無から有を生み出す異能力者でしたね。その力とフォアさんの力なら、『神』を無効化できる」
「じゃあ、あなたは? リタル・モデラート。いや、元暗殺者X」
「今は学校の用務員をしてますよ。で、私はクルアを巻き込んで、フォアさんにもちょっと力を貸していただきたい。簡単なことですけれども」
「内容によるけど」
「例えば、銃弾に『神』を封じる力を込めていただけますか? 遠距離射撃は久しぶりですが」
 黒ずくめのリタルの言葉に、軍人はふむ、と手を組んだ。
「倒せるか?」
「相手の力がわからない以上、暗殺者は卑怯な手段で手の内を明かさせる。そう教えられました」
 にこにこな笑みの裏に、血に飢えた獣のような獰猛さを隠していた。
「まあ、報酬は、わかってるだろうな?」
 シーザライズは、暗部の頭領を見て手のひらを見せた。
「相手のことを言わねえは、他のやつと手を組むわ、ってことでいつもの五倍はくれ。無敵に見られるが、フォアのおかげで助かってるところもあるんだ」
「わかりました。そこは経費で落としましょう。くれぐれも、被害者にならぬよう、お祈りしますよ?」
 くすり、と笑うのは、シーザライズと同じ背丈の軍人。
 それも、表向きはこんなところを平気で歩き回るような身分でないこと。
 裏側――それも、同じ軍人の粛清など、同胞殺しすらいとわない暗部の人間だ。
「あー、行ったか?」
「裏口から出てったけど、師匠、話終わったんなら手伝ってよー」
 もー、変な人としか縁を持たないんだなぁと愚痴る同居人を適当にあしらう。
「さて、教会に行ってみますね」
「あんた、いいのか?」
「昼間に悲鳴が聞こえた、っていう話は聞いたことないから、大丈夫だと思うよ」
「フォアさん、心配してくれてありがとうございます。一応、偵察です。怪しまれないよう気をつけます」
 格好からして怪しい男に言われても、とシーザライズは思いながら、その後姿を見送った。
「さて、フォア。できるか?」
「銃弾にこめるのはできる。当たれば『神』から怨念を切り離せるから。で、シーザライズが」
「物質化って話だな。要領はフォアのおかげでわかってる。ありがとな」
「いえいえ」
 師匠、そんな無視しないでーという家主なぞ欠片も気にせず、シーザライズは傭兵としての自分を取り戻していく。
「さてフォア。下見に行くか。外れの可能性はないと思ってるが」
「うん。実際、近くに住む人が悲鳴らしきものを聞いてるし、根拠なく軍部の裏の偉い人がわざわざ一傭兵を訪ねてくるなんてないからね」
 彼がいけばいいのに、とシーザライズは思うが、立場が上になればなるほど、人間とはなかなか自由に動けなくなる。
「ま、金五倍ならいっか」
「だねー。ぼくは会わないほうがいいだろうから、近くにいるから」
「そうだな。もしもの時は、助けてくれ」
「一般人には無理です。ところで、教会、どんなところだろうね」
「あー、ふつうに寂れてたな」
「師匠? 出かけるの?」
 と、世話になってるんだかなってないんだかの青年が、シーザライズに問いかける。
「明日、いなかったら死んだと思って喜べ」
「え! 何その危険思想」
「生きて返ったらしごくから」
「そのくらいにしなよ、シーザライズ……」
 呆れたフード姿のフォアが、目を細めた。
「これならキメラのほうが楽なんだがなぁ。相手は『神』、キルストゥを抹殺しようとする連中だ」
「夜までに、情報収集だね。クルアさんたちも下見に行ってるみたいだし、有益な方法は考えてくれるでしょう」
「あ、そういえば遠距離射撃用のライフルとかリタルさんから預かってた。弾はこれ。フォアさんがまた祝詞するんだよね?」
「それはありがたい。正体不明のやつが四人も相手となると、ちと生存率下がるからな」
「師匠でも?」
「ああ。ただ突進してくる獣より、頭が回るわ、通常攻撃は効かないわ、数は多いわ、で相性まで最悪だったら俺死ぬわ」
「……大丈夫? そんなの受けたりして」
「元軍人に言う台詞か? 調べてみないとわからんが、最低五人は犠牲になってると思っていい。助からなかっただろうしな」
 フォアも頷く。
「今まで気付かなかった……いや、無視していたけれども、下手するともっと『神』はいて、キルストゥを探してるかもしれない」
「まあ、あいつらを巻き込まないように殺しやるのが俺らの仕事だ。じゃ、行ってくる」
「んー、こういう武器は便利そうだけど使い方わからないんだよねー」
 と言いながら、フォアは店主の青年と向かい合う。
「追わないんですか?」
「すぐ行くけど、その前に祈り、込めとくよ」
 ふふんと鼻を鳴らしながら、フォアは口を開いた。



 シーザライズは商店街を歩きながら、思う。
「死体もないってことは、そこが殺害現場でないか、そもそも血肉も食らってるか。どちらかだな」
 地下に――いやそれはないか。
 『神』にとって夜空は神聖なものだ。
「……ま、行ってみればわかるか」
 ゆったりと歩いていると、銀髪の軍人たちとすれ違う。
 仲間が死ぬのは当たり前。
 レリアも、王族に両親を殺されたからこそ、覚醒し、血の海を作り、断罪された。
 もしかすると、フォークもそうなのかもしれない。
 と、思っていたら、遠くから喧嘩の声が聞こえる。
「軍人が民間人に突っかかってる……」
 面白そう、という好奇心を押し殺しながら、俺は北区へ入る。
 それなりに住宅で埋まっている中、教会はここから真っ直ぐのところで、朽ちていた。
「――行ってみるか」
 廃墟のような作りに違和感を覚えながら、ノックする。
「あ、らーららー」
 不意に、教会の裏からだろう。シスター服の少女が出てきた。
「なに、かー、御用、です?」
 こんな廃墟に人がいることのほうに驚いた。
「ここのシスターか?」
「はいー。といっても、まだ、見習い、ですー」
 妙に間延びした声と姿が一致して、一瞬敵だと忘れてしまう。
「おや、こんな寂れたところに客かい?」
 同じく、裏から出てきたシスターは、嗜虐的な、好戦的な意思を宿していた。
「あー、人を探してて。この裏にでもいるかなぁと」
 適当な嘘を言って、裏側に行けないか試してみる。
「神父様くらいしかいないけどねぇ。会っていくかい?」
「いいんですか?」
「ぼろいけど、神様に祈りを捧げる場所だ。害がなきゃ、万人問わず、だよ」
 なんというか、乱暴な仕草で親指を向ける彼女についていく。
 そして、数分も経たないうちに、開けて、洗濯物が干してあるだけの庭に出た。
「ほっ、は、ほっ、は」
「神父様、筋トレ趣味なのよ」
「はぁ」
 どうでもいい知識だけ増えていく。
「あの、噂で聞いたんですが……」
 俺は、あの軍人から聞いた話を思い出す。
 場所は悪いが、聞かれても逃げに徹すれば問題ないだろう。
「夜な夜なここから悲鳴が聞こえるって噂、ご存知ですか?」
「ほお?」
「らーらーら?」
「何か、混じったんじゃない。まあ、死者の声が聞こえる輩か、狂人の戯言でしょそれ」
 三者三様の対応だった。
「そういえば、知人から聞いたのですが、シスターは三人と聞きましたが」
「ああ。彼女は商店街のほうの教会を任されている。ここにはいないよ」
 ――やばいなぁ。
 脳裏に、作戦の穴を見つける。
 確か、フォークはよく教会に行くとか聞いた気がする。ツキから。
「わかりました。お邪魔してすみません」
「いえいえ、門戸は誰にでも開かれてこそ、ですから」
 神父が立ち上がり、豪快に笑う。
 その姿がとても似合っているから。
 死合わなければならないということ。
 それが、口惜しい。



 クレイン・ベルドルードは軍人だ。
 その兄、クライス、も。
 国のため、二言目にはそう言っていた兄がいる。
 偶然か必然か、父と同じく、暗部に足を突っ込んだ、馬鹿兄だ。
「そんな兄が、恋? 嘘。気が狂ったとしか思えない」
 今日はすぐ仕事が終わった。
 故に、待ち伏せ出来そうだったので、待っていた。
 兄が恋したという、少女を。
 商店街の近くの学校は、閑散としている。
 何かしらの事情で、軍学校へ行かない人のために、軍とかが建てたという話だ。
「出てこない……」
 帰ろう、と思った。さすがに二時間も待っていたら、体力も尽きてくる。
「フォーク、じゃあなー」
「ばいばーい」
 その名にクレインは反応した。
 その名。
 フォーク・キルアウェート。
 ある事件をきっかけに、姓を変えた家族だ。
「あの、あなた!」
 がっと手を握り、フォークと呼ばれた少年を止める。
「え、え、え?」
「私はクライスの妹よ」
「おお、似てるといえば似てるけど、どうしたの?」
「あなた、クライスに何したの?」
 浮ついているあの馬鹿は当てに出来ない。
「え? あーもしかして、無断外泊した件かな? ぼくもそれは悪いと思ったけど……」
 そこで、気まずそうに、フォークは答える。
「えっと、ぼく、男なんだよね」
「見ればわかるわ。でもクライスは男と思ってない」
「ええー」
「な、何よ」
「名前で家族を呼ぶなんて、仲がいいんだね」
 ぼくなんかはやっぱりお兄ちゃんって呼ぶよ、とフォークは親愛を込めて言う。
「かん、ちがいしてるの、あの馬鹿」
「えっと、実の兄をあんまり馬鹿とか言っちゃだめだと思うよ?」
「考えとく」
 言いながら、クレインはフォークを連れて歩き出す。
「え、ど、どうしたの?」
「付き合って。家知らないし」
「う、うん」
 と頷きつつ、このこ年下だよなぁと思いながら、フォークも続く。
「この教会、よく通ったなー」
 日も暮れてきた中、フォークは懐かしそうに目を細めた。
「学校の通り道にあるんだ。最近シスターさん変わったんだって」
「そうです。フォークさん」
 気配がなかった。
 そのことに事務仕事だが訓練されていたクレインは、気付かなかった。
 シスター服を身にまとい、微笑む姿は聖女と言って差し支えない。
 だが、目は赤く。
 普通ではないものを見ていた。
「恨みはないの。でもね、身体が、魂が叫んでいるの。貴方を、殺せって」
 手を突き出す。
「「逃げるよ!」」
 クレインとフォークは、声を揃えた。
 何をするかはわからないが、良くないことだとは二人、気付いていた。
 だから二人は逃げるしかなく――。
「おっと、その続き、俺が引き継ごうか」
 ぱん、とクレインにとっては馴染みのある声が、届いた。



「まだ夕方だぜ、シスター」
 金髪の黒服に身をまとった少年は、神々の遺産を腕輪にしてつけながら、シスターを見つめる。
 赤毛が胸にかかる、大人しそうな女性だった。
「殺すなら夜だろう? それとも、妹も殺すつもりだった?」
「巻き添えになるだけよ」
「どうかなぁ? でも、押し問答の時間は終わりだ」
 彼は、懐から一枚のカードを取り出すと、シスターへ投げた。
 それは大地に落ち、怪盗Kと堂々と書かれていた。
「それが仮の名だ。まあ、死にゆくあんたにはどうでもいいがな」
 怪盗Kは、折りたたみ式の自己の槍を伸ばし、手に握る。
「さあ、ちょっと早いがこれも国のため。けっして頼まれたからじゃない」
「あなたも、異質な存在ね」
 シスターが、赤色の眼を彼に向ける。
「まあいいわ。我が呪いで、心の髄まで焼き尽くしてやる!」
 なんだなんだと人が集まってくる。
 Kは遠巻きに見ている人々を見て、舌打ちした。
 だから、信頼するしかない。
 我が妹の手腕を。
「おいおい、こんな町中で能力使うのかい、シスター?」
「あなたは、関係者?」
 そうは見えないと語るものに、大きく頷いた。
「怪盗K。キルストゥじゃないが、神の遺産であんたを還せる怪盗だ」
「なら、消え失せて!」
「できるか馬鹿!」
 Kのいたところに、炎がほとばしる。
 赤い目は魔眼――いや、正確には――きっと、怨念の形だろう。
 だから少年は、フォファーの言葉を思い出す。
「『炎に焼かれし、神に見捨てられた子らよ』」
 ぎゅっと、槍を即座に伸ばしてKは祝詞を紡ぐ。
「な――」
 炎はどこまでも舞う。
 そのたびに、Kは床を蹴り、壁を蹴り、自在に動き回りながら、シスターへと距離を詰める。
「『ああ、神は嘆きを聞かぬ。悲劇を求め、汝の無力を嘲笑った』」
「やめて、やめてぇー!!」
 シスターでなかった時のことを思い出す。
 彼女は、ただの会社員だった。
 仕事で友人と愚痴り、あとは家に帰るだけ。
 その時、運悪く通り魔に腹を裂かれた。
 あまりの痛みの後、通り魔は彼女に灯油をかけて焼死体にした。
 通り魔がどうなったかはわからない。
 が、たしかにあの時死んだのだ。
 何かの、音とも声とも取れるものを、聞いてから。
 焼死体の自身を見下ろして、立っていた。
 ――自在に炎を剣のように扱えるようになったのも、それからしばらくして。
 許さない。
 わたしを奪うものは、許さない。
 そう、誓ったのだ。
 だが、ちりちりと肌を焼かれながらも、Kは人離れした足さばきで彼女のもとへ向かう。
「『堕落した神に怒りを抱いた愛子よ。我、汝の無力を労ろう。祈ろう。帰そう。そして――その怒り全てを受け止めよう』」
 祝詞は、そんな過去を受け止める。
 シスターの頭は、混乱していた。
 この男はキルストゥではない。
 だが、この言葉は、紛れもなく祝福。
 星の力と怨念を――自分を引き剥がす、光の音。
 それに縋りたい。
 それに身を預けたい。
「でも! 嫌なの!」
 弱い自分が愚かだった。
 キルストゥ。
 怨念を消し去る者。
 殺された痛みも、焼かれた熱さも、嫌なほど覚えているというのに。
 その無念を、嘆きを、辛さを、こんなところで終わらせない。
 できないのなら――。
「『ああ、嘆け、泣け、それは魂からの懇願で、我が刃がそれを許そう。罪には罰を。それを許そう』」
 Kに向けられるのは、指向性のある炎の刃。
 だか彼はそれを槍であっさりと、振り払う。
「『父に罪ありし、母を愛でたるその身を、死という形で還しましょう。あなたの恨み人はすでに亡い』」
 Kの言葉のせいで、動揺が走る。
 胸が、心臓が、シスターの心が、段々となにかと離れていく。
「わたし、わたしは――あなたを、あなたを殺さないと――」
 夕暮れが、火炎をより赤く研ぎ澄ましていく。
 Kに、一度も触れられない炎の刃を。
「『あなたの行路を開きます。どんな小さな罪でも、裁かれることなくして救われること能わず』」
 Kは避けることを捨て、炎へ突っ込みながら、言の葉を紡ぐ。
 そして、目の前にいるシスターへ、微笑んだ。
「赤い目、似合うね」
 まだ人を殺していない、怒りにだけ任せたその目を見てKは笑う。
 そして、槍の穂先を彼女の胸に潜り込ませた。
「『これは、救済のための一歩。汝にまだ罪はなく。帰還の扉を開きましょう、その憎しみを讃えて』」
「あ、ああ、わた、わたし、の――憎悪?」
「ええ。殺された恨みは理解されず。誰かすらも報道されもせず。だが、それでも」
 これは、Kの心からの最期への送り火。
「他人を食らってでも生きようとしたその執念は、いつか誰かを守る力になりますから」
「あ――」
 そんなことがあるのだろうか。
 そんなことがあっていいのだろうか。
 そんな、陳腐な――けれども、Kの目は優しい空を連想させて。
 星との交信が、断たれる。
 心臓を貫いたと同時に、シスターの放っていた炎も、そして、彼女自身も、塵となって消え去っていく。
「『死を想え……我、灯火を消すだけの神殺しなり』」
 Kは最後にそれだけ告げると、何もなくなった道を見る。
 炎の痕跡は残っているものの、それで家が焼けたということはなかったようだ。
「はーい、撮影終わりです」
 と、場違いな発言を、Kの妹がしていた。
 集まってきた一般人たちへの説明。
 映画の撮影。
 そう言えばいい、と彼女たちはフォファーから受けていた。
「勘違いしないでください。これは撮影です」
 不審に思った人たちが、軍人を呼ぶだろう。
 だが、その頃にはKと彼女はいない。
 そう、本来なら、ここにいるはずがないのだから――。
「撤退するぞ、我が妹」
「どこぞのゲームの真似しないでよ馬鹿」
 槍を収めたKは、妹の手を取って教会へ入る。
 夕日に照らされた教会を見て、二人、顔を見合わせて。
「初仕事、完了だ」
「私、どうやってかえ――って、身体が透けてる!」
「おれらにとっちゃ、夢だしなこれ」
 すっと透けていくのは、目覚めの時が近いからだと、二人は理解する。
「まあ、あとは任せるか」
「ええ、でも、今日が休みで助かったわね」
「ああ」
「でも怪盗Kはないと思う、さすが安直馬鹿」
「いやいやいやいや」
 そうして、教会から二人の姿は消え去り――。
 無人の教会が、出来上がった。



「死んだか」
 ぽつりと、北区の教会で、神父が野太い声で告げた。
「らーらーらららー」
「キルストゥ? あいつら、ゴキブリ並みに鋭いからねー」
 シスター二人が、彼の言葉に反応する。
「そこまではわからん。同じ『神』でも、利害が食い違えば食い合う。そのうち分かるだろう」
 彼はそう言うと、ふう、と息をついた。
「さて、今日は噂に惹かれて何人来てくれるかね? 流石に首都で連続失踪事件が続けば、軍も動かざるを得ないだろう」
「あん、昨日の子たちは良かったわー」
「らー、らららー」
 三者三様に、期待を膨らませる。
「果たして、誰が今日の贄かしら? ふふふ、はははは!」



「あれが映画の撮影?」
 馬鹿な、とクレインとフォークは、シスターの憎悪を思い出していた。
「違うと思うけど……教会には誰もいなかったし……?」
 野次馬に紛れて、現場に戻っていた二人は、顔を見合わせた。
「それに、不可解なことがある」
「あれ、なんとなくクレインさんに似てた……」
「ええ。他人の空似、だと思うけど……」
 暗部に足を突っ込んでいる人間でなければ気付かない、事件。
 それに二人は当事者として関わったが、関わったはずなのだが――。
「誰もいないし、戦った形跡は見られるわ。でも、いない」
 不可解だった。
 死体もなければ、クライスに見えた男もいないし、先導していた女もいない。
「とりあえず、うちに来てみて。きっと、フォアさんなら何か知ってるかもしれないから」
「フォア?」
 初めて聞く名に、クレインは首をかしげる。
「うん、ぼくらの恩人で、こういうことには人一倍詳しかったりするんだ!」
「……まあ、いいけど」
 だが、一点。確認しなければならないことがある、とクレインは口を開いた。
「あなた、男、よね?」
「うん」
 クライスの初恋のために、その事実を告げることだけはやめておこう。
 まあ、豆腐メンタルでもないし、知ったところで困らないだろうとは、思った。



 そんな二人を見下ろす目があっった。
「西司令部から帰ってきたけど、面白い見世物だったなー」
 白髪の少年は、学生服に胸にバッチをつけて、教会の一部始終を見ていた。
「信じられねぇな」
 とは、名無しの名を持つ青年だった。
「スピードスター、お前、知ってたんだろ」
「でも、あれクライスだよねぇ。久しぶりにみたけど、どうして神々の遺産を持ってるんだい?」
「いや、持ってないぞ」
「でも、さっきの祝詞。クライスはキルストゥじゃないし、腕輪あったじゃんかー」
「……あの人がこの件に手を出すなってことは」
「無駄死にするからさ。『神』の前に、ただの人間は無力だからねー」
「『神』っていうだけのことはあるな」
「キルストゥの一族ならともかく、あのクライスはちょっと興味あるねー。ネームレスも気に入ってんだろ?」
「奪うなよ。まだ成長途中なんだし」
「それ言ったら、僕はね、ネームレス、君も成長途中さ」
「老害に言われてもな、嬉しくはないんだぞ?」
「ところで、表はどうだい? インフェリア辺り、速くなったりしてない? 軍人家系だろ?」
「知らん。クライスの担当だ」
「へぇ、まあ、一般人相手としては妥当かもね」
「キルストゥに攻撃仕掛けて、始末書書いてたがな」
「キルアウェート! どこだ?」
「知ってるのか?」
「匂いでわかるさ。自分を殺せる人間だぜ? しかも母親が傭兵ときた。一度手合わせしたかったんだがな」
 残念そうに、スピードスターが肩をすくませる。
「しかし、まるであの兄妹、二組いるような気がしたな」
「そう考えたほうが自然だ」
「『神』がいるなら、ドッペルゲンガーもいる、と?」
「もしくは、平行世界からの干渉者とか?」
「まあ、後始末は表の軍人の担当だ。戻るぞっていない!」
 屋根を伝って走るスピードスターを目の当たりにして、ネームレスは息をついた。
「クライスたちが二組……とりあえず、確証が持てない限り、上官には秘密にしておくか」
 夜の帳が落ちてきた頃、ネームレスはその場を去った。