色と覚醒の予兆

 星も、人と同じように、恨み辛みを孕んでいる。
 だから、怨念同士が引き合い、奇跡として『神』が生じる。
「でもな、僕は呼ばれてここにいる」
 エルニーニャ王国、遊撃隊の隊員で普段は中央の広告課所属――という表向きの肩書を背負ったスピードスターの二つ名を持つ少年は、空を睨んだ。
「『神』になっていただけだ。お前もわかるだろ?」
「一般人的には、『神』は『神』同士で戦い合ってて欲しいな」
 と答えたのは、元異なる大陸で生きていた少年兵であり、今はネームレスとしてあちらこちら部署を転々としている青年。
「銃弾も効かない、通常攻撃では一切ダメージを受けない……ゲームならチートだろ、『神』は」
「だが殺していた。いや、祓っていたな。普通なら無理なことをやっていた。僕は怖いよ」
 スピードスターは壁によりかかりながら、目を閉じる。
「キルストゥにいつ祓われるか、それとも同じ『神』に食われるか……それとも」
「キルアウェートは、祓わない」
 断言したネームレスを、睨みつける。
「なにせあれは青、だろうが覚醒していない。そもそも軍に入った理由も、弟を助けた軍人に礼を言うためだ。クライス辺りと同じ考えしていたんだな」
「ずっとキルストゥ姓名乗ってたから、『神』殺しに来たのかと思ってたんだけど、そっかー、それじゃあ、暗部には関わらせないのがいいね」
「一般人のクライスはいいのか?」
「ベルドルードはああ見えて人殺しに躊躇がない。まあ『神』だから殺されることもないし、ベルドルード自身、死を恐れない。国の歯車になるために暗部に入ったってきいたぞ」
 その精神は素晴らしいだろう。
 まるで国を英雄になぞらえたようで。
 眩しい、子供の在り方だ。とスピードスターは思う。
「で、ネームレス。仕事取ってきたんだろ?」
 廊下でわざわざ待っていた同僚に、彼は頷く。
「教会と一緒で、何人か一般人が失踪している場所がある。来てくださいというようにな」
 頭が痛い、とネームレスはスピードスターを見やる。
「で、僕が駆り出されると?」
「いや、まずは様子見らしい。教会と違うのは、軍人はまだ被害にあってない。そして依頼主は、キルアウェートを指定して、見回りをしてほしいそうだ」
「臭うな」
「……それが、お前友人いないから言うけど」
 ネームレスの目が、逸れる。
「いなくて悪かったな! 僕だって努力してるんだ! でも皆死んじゃうんだから! お前以外」
「いや友達になった覚えないし。あと、死なないことには慣れてる」
 死と隣り合わせだった日々を想えば、なんと今の平和なことか、と思う。
「リザとツキ、二人で行くらしい。依頼主は、シーザライズ。暗部の長へ直接依頼を出したのは、その傭兵だ」
「へぇ、こりゃリザ死ぬんじゃ……って、また友人死ぬ!」
「リザは弟みたいに可愛がってるだろ? お前のこと」
「歳だと僕のほうが上! わかる?」
 階級も誤魔化している二人が煩かったのだろう。
「こんなところで遊んでる暇があるようだな、スフィア、ネームレス」
 スピードスター――スフィアとネームレスは、硬直する。
「リザほどの歳の軍人は少ない。また、ツキもな。さすがに左官級を死なせるわけにもいかない」
「『神』、が関わっているということでしょうか?」
 怖気が走るその目に、ネームレスの声が緊張する。
「だろうな……本来ならスフィアに組ませたいが、場所が場所だ」
「色街、だ」
 ぼそり、と告げる。
「まあ、簡単に言うと、ラブホテルとか、そういう風俗街だ。少年少女が来るような場所じゃないだろう」
「僕こう見えても――」
「はいはい。ベルドルードの親とも面識あるほど軍にいるんだったな、知ってる知ってる」
 ネームレスは適当にあしらいながらも、目を伏せる。
 新人のキルアウェートは幸運が強いと聞く。
 だが、リザにそれが効くかは別問題だ。
「まあ、いきなり当たりを引くことはないか」
「ネームレス」
 不意に、強い口調で呼ばれる。
「一応、暗部としての依頼だ。スフィアは尾行には向かない性格だ。無線を持たせるから、彼らを尾行しろ」
「了解しました」
「形だけの形式、似合ってるな」
「スフィアも、いつでも動けるように今日の夜は開けておけ。まあ、広告課にも話は通しておく」
「いやー、いい上司を持つと涙が出るねぇ」
 スフィアより若い広告課の無能上司を思うと、今日は無線だけは持っておこう、と決意した。
 ネームレス――暗部の手伝いは、表業務より劣ると考えていい。
 なにせ、スピードスターの真価は戦闘にあり、デスクワークにはとことん向いてない。
 その上、先程からブラインドタッチもできない若い大佐が広告課のトップなのだから、スフィアは肩を落とした。



「リザよ。階級は中尉。あなたの教育係兼おねーさんよ」
 オレは、初めて通信課の扉を開いた直後、そんなことを言われて鼻白んだ。
 まるで来るのがわかっていたかのような登場に、場が湧く。
「いやー、ここはよく部署異動が多くてねー、リザには助けられてばっかりだよ」
「今日もお弁当、弟さんですか? いいですねータコさんウィンナーがあったらそっち食べますー」
 がやがやと賑やかな通信課に、ツキは苦笑する。
「新人は大歓迎さ! もう何人もいなくなったり異動してるからね。トバチも異動したみたいだし」
 ケーキをよく差し入れで持ってきたいい軍人だったという。
 南にとばされただの、死んだだの、噂が絶えない。
 それと、電話のベルもしょっちゅう鳴っていて、誰がいないだのそんなこと誰も気にしてないようだった。
「はい、こちらちゅう――」
「ここ、民間人からの依頼とかクレームも受け付けるから、まずは電話の受け答えから教えてあげるわ」
 こっちよ、とリザさんの後ろをついていく。
 誰もが電話や書類に目を落としながら、真剣に仕事をしている。
「……オレも、頑張らないと」
 せっかく見つかった仕事だ。追い出されないように、とオレも気合を入れた。



「はい、だめ」
「はい……」
「まあ、落ち込まなくていいわ。最初は誰もそんなもんよ」
 二人きりで、電話を取る練習をしている。
 書類のとり方とかいろいろ教えてくれるが、思ったよりもスパルタだった。
 だが、そこには仕事への誇りを感じさせる。
 不思議な人だと思った。
「ここは、こう。うん、それでよし。また忘れたら訊いて頂戴」
「はい!」
 答えながら、いい人だと思う。
「じゃあ、クレームも様々なところからあるから――聞いてる?」
「え、あ、はい」
「二人っきりだから、緊張しなくていいわ」
 お姉さんを見るような優しい姿に、オレの胸は初めて会った人なのに、惹かれる。
「さあ、昼になったわね」
「あ……」
 集中していたからだろう。気付かなかった。
「おーぅい、二人とも、揃ってるか」
「はい、どうかしました? またパソコン壊しましたか? 今月で何度目です?」
 容赦ない切り口に、オレは苦笑した。
「いやいや、さすがに一回で懲りたよ。そうそう、任務を預かっていてね。それを置きに来た」
 二人揃ってるならちょうどいいなーと言いながら、上官は一枚の紙を置く。
「今日の夜、って急ですね」
「依頼主からの要望さ。国民の声を聞くのも仕事のうち。そうだろう?」
 と、ウィンクして、上官はさっさと出ていった。
「――!」
 書類に目を落としたリザさんが、ぱくぱくと口を開いては閉じる。
「つ、ツキ・キルアウェート軍曹」
「は、はいっ!」
「今夜、風俗街の巡回に行きます――」



「ということで、私服に着替えに家に戻ってきました」
 学校から戻ってきたフォークと、ローブ姿のフォアさん。
 家は、しんとしていた。
「初任務が風俗街での失踪事件って、通信課がやることなの?」
 訝しむように、フォアさんが告げた。
「なんでも、依頼主がオレを指名したって」
「ああ。それ俺だ」
 階段を降りてきたシーザライズさんが、感情を殺した声でいった。
「え?」
「軍人とはどういうものか。ちゃんと知っておかないと、お前のためにならないからな」
「お兄ちゃん、危険な任務なの?」
「いや、そういうわけじゃない、けど」
「ちょっと、シーザライズ。どういうこと?」
 フォアさんがこめかみに怒りを浮かび上がらせて、問う。
「フォア、お前はフォークのためにいるんだ。黙ってろ」
 強い口調に、フォアさんはいつもと違う気配を察して、フォークを連れて二階へ行く。
「ありがとな、フォア」
「どういうことです?」
「ツキ・キルアウェート、軍人になったからには、昨日のようなリタルのように怪我をして、死が近い任務につくこともある」
「……」
 わかっている、と言い返したかった。
 でも、自分は守られてばかりだ。
 特に秀でたものもないのに。
 大人になっても、子供のままの気がしていて。
「その時、判断が遅いせいで他人を死なせることもある。まあ、今回はそんな任務にゃならんだろうが、心に留めておけ」
「シーザライズさんは、――人を、殺せますか? オレや、フォークを」
「金にならん仕事はしない主義でね」
 傭兵らしい返しだった。
「なら、お金払ったら、すると?」
「……暗殺者に殺されるリスクは、負わない」
 急に、出会った時のことを思い出す。
「あなたは、殺せるんですね」
「んー、必要があればな。それが、傭兵さ。お前のお母さんも、言わなかったか?」
 ああ、そういえば、言っていた。
「オレは今回は何もしない。気をつけろ、とだけ言っておく」
「――はい」
 オレはそれだけ答えて、背を向ける。
 覚悟を求められていたんだと、気付いて。
 外は、雲のない夜空だった。



「えー! お兄ちゃん、任務行かせちゃったの?」
 居間に戻ってきたフォークに、俺はああ、とだけ答えた。
「はぁ。でも見に行くんでしょ?」
「いや。今日は待つさ。見回りに行くだけだ、他の軍人が混じってるだろ。あいつもいるだろうし」
「あいつ?」
「スピードスター。軍人であり『神』――キルストゥで言うところの魔、さ」
「え、え?」
「……本当はな、こうして待つのは趣味じゃないんだ」
 だろうね、とフォアがため息をついた。
「風俗街での失踪事件なんて駆け落ちなり、嘘のこともある。俺が調べた限りじゃ、『神』は関係ない。社会の裏の組織が関わってるだろうが」
「ああいうところも、情報っていう価値が集まってくるんだっけ」
 フォークはぴんときていないらしく、首を傾げていた。
「男と女の関係だと、愚痴の一つや二つ、こぼしちまうんだよ」
「ふーん」
 でも心配だな、と顔に書いてあるフォーク。
「ああ、同僚とカップル装って歩くらしいから、そういういかがわしいことはないらしいぞ」
「え! あ、そ、そうだよね、お兄ちゃん、女難だし」
「そうなの?」
「あーうん、いわゆる、いい人で関係が終わっちゃって、彼女作ったことないんだよね。お母さんの目が厳しいってのもあるだろうけど」
「あいつ、過保護に育てられたのか、それが幸運だったのか。判断つかないな」
「単に縁がないだけじゃないかなー」
 フォアが唇を尖らせる。
「なんか、胸騒ぎがするなぁ」
「帰ってくるのを待つってのは、そういうもんだろ」
「……シーザライズさんも、嘘、下手だね」
 核心をつかれて俺は思わず、レリアの姿とフォークが重なる。
「本当は見守りに行きたい。けど助けてばかりじゃ自立ができないから、たいしたことのない依頼して、お兄ちゃんが軍人でいられるか試す――とか?」
「噂は本当だ。調べたからな。たいしたことのないってのは確かだが」
「ずっと、眉間に皺寄せてたら、フォークくんじゃなくても気付くよ、シーザライズ」
「待つのは苦手なんだって、知ってるだろ?」
「でも今回はツキさんのためにしない。立派立派」
「頭撫でるな!」
「連日『神』が来ることはなだろうし、今日は大丈夫だね!」
 ――?
 フォアの表情が、こわばっている。
 些細だが、長年付き合ってる相手の様子はわからないわけがない。
 だが、気付いてない弟は、学校のため寝るーと言っていなくなる。
「フォア?」
「『神』……気のせいだといいけど、レジーナの風俗街って行ったことないからよく知らないんだよね」
「安全じゃない可能性がある、と?」
「うーん、それを言うと、ね……どこにも安全地帯なんてないよ。まあ、それはともかく。待つんでしょ?」
「……ああ。それであいつが死んでも、悲しんだりしないし」
「……ツキさんのこと、言えないじゃん」
 フォアにとっては子供じみた態度なのだろう。
 でも。
 確かに、言われてみれば。
「――再検証だ。噂の、な」
 『神』が関われば、行方不明で扱われる。
 彼らは血肉も食うから。
 食卓に地図を広げ、調べた失踪者を確認する。
「星座?」
 そのフォアの一言で、俺は動いていた。



 夜の風俗街は、ライトアップされていて賑やかだった。
「リザさん、近い、近い」
「うぶねー。おねーさんが怖い?」
 髪の色を金色に統一した、カップルを装って、オレとリザさんは道を歩く。
「変装する意味、あるんですか?」
「ツキくんは甘いわねー。何かあったときに知らぬ存ぜぬを貫く。それが軍人ってやつよ」
 卑怯だな―と思いつつ、オレたちはゆっくり歩く。
「どこで失踪してるんでしょうね」
「ふふ、仕事はともかく、今は二人っきりを楽しみましょう?」
「いや、仕事しましょうよ……確か、カップルが狙われているんですよね。失踪者届け確認したら、男女の組み合わせが多かったとか」
「そうよ。だからここの問題が絡んでるのかもしれない」
「情報の集まる街……でしたっけ」
「ついぽろって言っちゃうこと、あるからねー」
 舌を出すリザさんは、昼間とは全く違う顔をしていた。
「さ。ちょっと路地に入りましょ」
「あ、人の流れを見るんですね」
「そういうことよ。一通り歩いたけれど、おかしいところもない」
 そうだろうか?
 なぜかそんな問いが、脳裏をよぎった。
「こう、して」
 薄い化粧のリザさんは、色っぽく、告げる。
「顔、近づけて。別にキスとかしないから」
「女性を抱きしめるとか、初めてですからね、オレ」
 と、断りを入れると、笑われた。
「ふふ、そんな顔してる。もう、金髪も似合うわね」
「リザさんこそ――」
「誰か見てるわ」
 人気のない路地。
 チンピラだろうか。
 薬物の取引現場か。
 なにもないことを祈りながら。
「ああ、いいわぁ、男女の交わり。見てるだけで快感に落ちちゃいそうで……」
 誰もいなかったはずの場所から、こつこつと、乱れた着物――の女が現れた。
 オレたちはとっさに離れ、静かすぎる違和感に今更気付いた。
「ここで、最後なのよぉ。ほな、最後の失踪者になってくれないかい?」
「いきなりビンゴ引くなんて……」
「無線で連絡――」
 互いにやるべきことをしようとして。
「ああ、カップルさんのフリかいな。全く、軍人さんにはばれんようにしてたんだけどねぇ」
「馬鹿言わないで」
「まあ、軍人の『神』に今更バレても、人間相手じゃ話にならないからねぇ。無駄に抵抗するかい? それとも、こう」
 瞬間、リザさんの腕がちぎれた。
「え――?」
 思わず、ノイズしかない無線を落としそうになった。
 血。
 血が吹き出していた。
「ツキ、にげ、て」
「あ、リザ、さん」
「置いてかないのは、怖いから? この程度で怖じ気つくなんて、入りたての子かい? ふふ、いい歳していいこやねぇ」
「ツキ! 命令よ、援軍を――スピードスターを」
「呼ばれるわけにはいかんのよ。もうちょっとで完成するんよ? やっと見つけた『神降ろし』、邪魔はさせられないんよ」
 オレは衝撃波に弾かれたように、地面に打ち付けられる。
「く……ぐぅ」
 手から無線が離れる。
「お嬢さんのほう、もう助からないわねぇ」
「ぐっ、なめ、んじゃないわよあばずれぇ!」
 片腕なのに、リザさんは拳銃を取り出すと女へ向かって打ち込んだ。
 着弾してるが、彼女は傷一つなかった。
「星の神は星座に。星座は星と人を結ぶもの。『神』という怨念から、『星座』に至るのよぉ。人間にしか効かないもので、頑張る姿は健気だけど」
 リザさん、助けなきゃ。
 キルストゥなら、どうにかできるって。
 でも、何も浮かばない。
 『神』と怨念を離す方法も、思い浮かばない。
 だからといって、諦められない。
「オレ、は」
「軍から応援を呼びなさい!」
 見捨てるのか?
「ああ、いいわ。やりがいがあるわぁ。でもなぁ、キルストゥは――逃がすわけにはいかんのよ」
 獣の目。
 獲物を仕留める仕草は、まるで行為をするようで。
 色っぽくて、目が、離せない。
 動かない。
 どさ、とリザさんが倒れる。
「頑張った。だから、我の一部になりぃ?」
 女が手をのばすと、リザさんの姿は消えていく。
「あ……ああ……」
「見てて、色っぽくて、運がなかったねぇ」
 影が、食っている。
 それを見て、オレは――動けなかった。
「さあ、誤魔化してもキルストゥに変わりはないお兄ちゃん? 我がきもちよぉくさせたげるからねぇ」
 手が伸びる。
 頬に触れられる。
 どくん、と何かが放たれたいと動く。
「見分け、つかん『神』も多いけれども、『星座』に近い我にはわかるんよ? だからせめて」
「『この、悲しみをどう現そう』」
 リザさんは、消えた。
 この女のせいで。
 オレのせいで。
 オレが軍に入ったせいで。
 他人の幸運を食っているのは、オレなのかもしれない。
 そういう意味では、『神』とオレは、同じで。
 薄れていく、罪悪感。
「『ああ、色に堕ちた哀れなる犠牲者に、鎮魂歌を』」
「ん?」
「『我が為に、多くの血が流れ落ちた。我はそれに報いろう』」
 意識が朦朧とする。
 女から目が離せない。
「キルストゥの、気配が濃くなってきてる――!」
「『ああ、男に犯されつくされ、死に至った悲しき聖少女よ』」
「その、祝詞。意味あらへんで?」
「『捨てられた怨念は星と結びついた。そして、血の中で笑い狂いし運命を、我だけは抱きしめよう』」
「――言うな」
 喉を、締められる。
「『死、を、色、で、与えられたが、ゆえに、死を、忘れようとした哀れな犠牲者よ』」
 男たちに、回され犯され、疲れ切って亡くなった一人の少女がいた。
 彼女は快感を覚え、人々を食らう『神』として、怨念となった。
 『星座』が何を意味するかはわからないが、オレの身体が、どうすればいいか、わかっている。
 人並み外れた筋力で、首を締められる。
「『憎しみ、を、全て、我が身に、受け、と、め、よ……う……』」
 ああ、死んだ。
 確信する。
 オレの幸運は、他人の幸運を奪っているのだと。
 だから、きっと。
「『愛、知らぬ、悲しさ、共有、する――終わり、眠れ――』」



 ここはどこだ?
 真っ白な世界の中、オレは彼女と向き合っていた。
「ふふ、まだ生きていたのね、キルストゥ」
 着物姿の、リザさんを殺した女が、妖艶に微笑む。
「ここは『星座』の中。この都市の住民全員を苦しませて殺せるほどの場所よ?」
 意味はわからないが、理解はした。
「でも、我を殺せれば、『星座』はなくなるわぁ――どうする? 青のキルストゥ」
「オレ、は――」
 気付けば、ナイフが手の内にあった。
 これを、余裕ぶっている、人殺しの女――いや『神』に突き立ててれば、全てが解決する。
「さぁ、おいで」
 殺されたがっている。
 オレの首を締めた女が、幼子を呼ぶように。
「あの女のほうが良かった?」
 今日だけの、教育係になってしまったリザさんを思い浮かべる。
 厳しくも、もしかしたら、ずっと一緒に過ごせたはずの人。
「ふふ、さあ、殺さないなら、ずっと、ずーっと二人で一緒にいましょう? 快楽の海に溺れてしまいましょう」
 こつこつと、軽快な足取りで女が来る。
 『星座』は、核となる『神』を滅ぼさなければ殺せない。
 なぜか識っていることが不思議だった。
 でも、オレは、怒りが湧いてこない。
 悲しみも、無力感で満たされたオレは、ただナイフを握っているだけだった。
「レジーナ一つだけじゃない。空にある星の力を借りれば、キルストゥだって助けられる。ふふ、聞いてないみたいねぇ」
 女の指が、顎を撫でる。
 動けない。
 動きたくない。
 オレは――消えなくても良かったリザさんのことしか、頭になかった。
 守るどころか、殺すのを止められなかった。
 なら――。
 オレは――。
「ねえ、あんたさんも、我のモノに、なりなさいな?」
 心が、ひび割れる音がした。
 ずしゅっと、赤色の刃が――フォークが、持っていた。
 それは着物の『星座』の胸部を正確に貫いていた。
「『眠れ、夜空へ還れ、罪なき魂よ』」
 それは女性の声だった。
 フォークに瓜二つなのに、声は女性だった。
「か……は……な、ぜ、キルストゥが、まだ、い、る……ん?」
「そりゃ、怨念は『神』だけの専売特許じゃないってだけ。ツキさんだっけ。ずいぶん驚いてるけど、そんなに弟似?」
「え……」
 理解が追いつかない。
 着物の女ははらはらと、消えていく。
 まるで最初からいなかったかのように。
「わたしはレリア・キルストゥ。その様子じゃ、よっぽど平凡に生きてきたんでしょうけど、もう戻れないわ。残念ね」
「オレは、人を、見捨てた――殺したんだ」
「見てたから知ってたわ。でもそれはあいつの手落ちよ。『神』の目的も見落としてたね」
「レリア、君は、なぜフォークなんだ?」
「ああ、偶然よ、それ。納得しないと思うから、好きに思って。それに、ここでのことは、記憶には残らないし」
「待ってくれ、どうして、助けてくれた?」
「――シーザライズが、守りたい人だったから。すごく他人行儀でしょう、笑っちゃうくらい」
 彼女は、微笑む。
「あなた、そのままだととーっても心配だから、ちょっと手助けしてあげる。だから、安心して」
 レリアが、悲しそうに微笑む。
「全部悪かったのは、わたしなんだもの。そのくらいさせてよ」
 告げた途端、オレたちは暗闇に囚われた。
 ――またね。
 最後に、フォークに似た女の子の声が、いつまでも木霊した――。



「お兄ちゃん!」
「ん……」
 誰だっけ。
 ああ、フォークだ。
「なあ、フォーク」
 誰か、違う人がいた気がしたが、思い出せない。
「オレの他に、誰かいなかったか?」
「いない」
 答えたのは、通信課のトップに立つ、大佐だった。
「リザは行方不明で、ツキだけが首を絞められた痕だけ残して倒れていた。それで、急いで軍部の医務室に運んだ」
「……遺体は?」
「彼女も、逝ったか」
 事情が飲み込めないフォーク以外は、皆、黙祷していた。
「こうなるって、知ってたんです、か?」
「リザくんのことは残念だが――」
「オレが、殺した。オレの運は、他人の運を奪ってるんです! だから、オレが、オレがいなければ、リザさんは死ぬことはなかった! なにが幸運だ、運がいいだ! オレは、オレは――」
「一番悪いのは、俺だぞ、ツキ」
 そこに。
 今回の依頼主が、冷めた目でオレを射抜いていた。
「これが、軍に務めるということだ。な、大佐さん?」
「誰もが、多かれ少なかれ死ぬ覚悟をして入隊する。リザは、運が悪かった。だがなぜツキがそこまで言うのかはわからん」
 フォークが、触覚をぴょこぴょこさせながら、手の中に矢印に目と口を書いた物を持っていた。
 あれは――記憶が、ない。けど、悪いものではなさそうだから、無視しておく。
「オレは、ギャンブルでも外れを引いたこと、殆どなかったんです。だから、イカサマだのいろいろ言われて……」
「今回も、運がいいから助かった、と。そうだな」
「はい。オレは――」
「似たような道はな、誰もが通るんだよ、ツキ。大佐にゃ悪いが、こいつは甘ちゃんだ。親の死体は棺桶で、本当の血が飛び交う現場は今回が初だ。まあ、まさかあれ絡みとは思わなかった俺の失態もある。無事、生きてるだけましさ」
「ああ。私からしてみれば、キルアウェートだけでも生きていてくれて嬉しいよ」
「……」
 本当なら、これからもずっと一緒にいれただろう、女性を思い浮かべる。
 たった一日もない時間だったが、真剣にオレを見てくれた。
「オレ、勘違いしてたんです、きっと、もっと楽なところだったって」
「辞めるか?」
「――オレは、守られてばかりで。自分の意思なんて、ない」
「そんなこと、言わないでお兄ちゃん」
 そうだーと、赤い矢印が看板を出す。
「お兄ちゃんは、生きてるんだよ。生きて、軍人さんになったんだよ。選んだのは、お兄ちゃんの意思だよ。本当なら、入らない道だってあったんだから!」
 声が、響くけど、届かない。
「泣いていいんだ、ツキ。お前、両親の葬儀でも泣かなかったんだろ?」
 ――泣いても、戻らない。
 シーザライズははぁ、と息をついた。
「ああ、いらいらする。お前、生半可な気持ちでこの道に入ったんなら、親のためにも辞めておけ。これからは何倍も人の死を見るんだ、それで心壊されたら守ってるほうが辛いんだ」
 守る力が欲しい。
「守ってほしくない、自分の力で立ちたい、そういう気持ちもあったんだろ? だからフォークが嫌いなの知っててあえて軍に入隊した。違うかもしれねえがな、守るほうとしては立ち位置が中途半端なのは迷惑なんだよ」
「オレ、は」
「リザは張り切ってたぞ。今度こそ、いなくならないように、守ってあげるんだってな」
「え?」
 大佐の言葉に、オレは顔を向けた。
「通信課は、軍の暗部が多いから、入れ替わりも激しい部署だ。まあ、ふつうのもいるけどな、カモフラージュしてるんだ、けど、リザは暗部じゃない。そしてツキもだ。だから、嬉しそうだったよ」
「――オレは、それを裏切った。あの人こそ、生きてるべきだったんだ」
 心が、沈む。
 比べれば比べるほど、いかに自分がとんでもないことをしてしまったか、思い知らされる。
「軍に必要な人を、殺した」
「それが、軍人だ」
 不意に、シーザライズさんが何かを投げてよこした。
「それ、睡眠導入剤だ。フォーク、ついててやれ」
 苛立ちを隠さないシーザライズさんに、オレは目を丸くした。
「考えるな。俺が言えるのは、それだけだ」
 怒りをこらえた声に、オレは背を見つめることしか出来なかった。



「守りたいものがあるやつってのは、案外難しい難題を背負うもんだ」
「大佐?」
「弟くんはそっちのベッドで寝るといい。少し、昔話をしよう」
「はい……」
 と、大佐に従い、フォークがシーツに包まった。
「リザも、ツキと似ていてね。両親を亡くして、軍に入隊して、でもそんな過去を感じさせないよう、無理をしていた」
 自分が頑張れば、頑張るほど皆を守れる、とね。
「でも、世の中そんなに甘くない。最初の一人は、知り合いではなかったから良かった。でも、親友を作戦のミスで亡くしたんだ。ツキの時と同じだ」
「彼女は、泣きましたか?」
 オレは、眠くなりながらも、問いかけた。
「いや。虚勢を張っているのは目に見えてわかっていた。でも、それを指摘してもかわされた。だが、班が彼女を残して全滅した時があってね。今のツキみたくなっていた」
「どう、したんですか、リザさんは」
「あいつはなぁ、自殺しようとしたんだ。だから言ってやったのさ」
 シーザライズさんからもらった薬が、眠りに誘う。
 それを知っていながら、大佐は続けた。
「助かった命は盾だ。軍人は、民間人を助けるためにある。お前の盾は、誰よりも強かった。負けることは許されない。その時は、盾が壊れるときだ、と。軍人を辞めるなら自殺しようがのたれ死のうが構わん! だが、命ある限り、軍人でいる気があるのなら、国に生きる全ての人々の盾として命の華を散らせ! できないなら、辞表を書かせる! とな」
「盾……」
「そうだ。だから――フォークくん、軍人が民間人を殺すというのはどういうことか、わかっているだろう?」
 眠気がとんだ。
 フォークも驚いていた。
 大佐の手には銃が握られていたから。
「フォーク!」
 大佐になんとか立ち上がって飛びかかる。
 カチッと言う音が、虚しく辺りに響いた。
「ああ、それだ! それが正しい軍人の姿だ、ツキ・キルアウェート軍曹! それに敵へ銃口を向けていれば最高だ!」
「狂ってるな、あんた」
「まともなやつが通信課にいるわけなかろう! はっはっは!」
 それにな、と言葉が続く。
「大佐という身分は、なにかと知ってしまうのだよ。そして、失うのは日常茶飯事。民間人といっても、犯罪者ならとっ捕まえるだろう?」
「つまり、優先順位をつけろってことですか」
 最近、聞いた気がする。
「そうだ。人の死を嘆くのはいい。まともな人間のやることだ。だがな、そう思っていても軍人は民間人の味方――盾でなければならない。どんなに不条理でも、どんなに嫌いなやつでも、味方として生きねばならない。ツキ、守りたいものを間違えるな」
「むー、ぼくに謝罪はなしですかー」
「すまない、弟くんよ。だが、兄は君を選んだ。なら、例え軍人が敵に回っても、守るべきものがなにかはわかったと、思うがどうかね?」
「ええ、痛いほど」
「リザは泣いたぞ?」
「男は泣きません」
 言い返しながら、皆、そうして生きているのか、と自分の甘さに気付かされた。
 なんていい人なんだろうか。
「お兄ちゃん、泣いてる」
「え?」
「やっと、心の荷がおりたか。面倒な奴め」
 大佐は腕を組むと、ふむ、と息をつく。
「ガス抜きは大切だ。特に、我らのような軍人にはな。内緒にしてやるから、思いっきり泣いていい」
 そんなこと言われたら。
 母さん、父さん、そしてリザさん。
 それから、守ってくれている、皆。
 フォーク。
 オレ、間違ってなかったんだよな?
「く、ふぁ、ああ、ぁ、」
 大佐の言うような盾にはなれる気はしないけど。
 目指すくらいなら、間違ってないですよね?



「というわけで、傭兵さん、カウンセリングは必要かい?」
 屋上にいた彼の横へ、通信課の大佐が現れる。
「いや。あいつ見てたら、昔の自分見てるようでな。苛ついてた」
「まあ、誰でも若い時ってのはありますからな」
「いいのか? 部下が死んでも泣かないのは」
「――上に行けば行くほど、慣れちまうもんでな。傭兵ってのもそうだろ?」
「恨みを買うのは専売特許だ」
「軍人もな」
 夜空を見上げ、二人の男は声を揃える。
「「この、馬鹿野郎!」」
 それは誰に向けた言葉だったのか。
 本人たちにしかわからない言葉だった。