兄と妹

 まあ、はっきり言ってしまえば。
 おれがやる仕事ってわけじゃないんだ。
 これは、面白い話じゃない。
 どちらかと言えば胸糞悪い話だ。
 でも、愚痴る相手があなたしかいないから、おれはそれを話そうと思う。
 ……人の死を死と思わない、二人とおれの、とある任務の話だ。



「んー、服が塗れて最悪ー」
 ざあっと降りしきる雨が、休憩室の窓を叩いた。
「もうっ、こうなったら着替えるしかないね! でも、本番後で本当に良かったよねー」
 フリル全開のスカートに、給仕姿に見えるステージ衣装。
「ショートケーキの護衛なんてな……」
 おれはタオルで濡れた頭を拭きながら、はぁ、と息をついた。
 軍の民衆に向けた広告柱とも言える二人組のグループ、ショートケーキ。
 代々二人組のユニットで、歌って踊れるアイドルだ。
 まあ、そのために熱狂的なファンやアンチがいる。
 その護衛として、男の軍であるおれが選ばれたのはまあわからんでもないが。
「クライスぅ、どう?」
「ああ、殺害予告だろ? ステージにもスタッフにも怪しいやつも、怪しそうなやつもいなかった」
「ふうーん? まっ、それより、イチゴ、任務覚えてる?」
「当然、ケーキ! クライスには関係ないけどねー」
「おれの知らない任務?」
「言っちゃう?」
「だめー」
 くすくすと、二人して口元を覆いながら笑う。
「まあ、クライス、どうだった? 舞台袖から見て?」
「最近、好きな子と離れて寂しいって言ってたしー」
 全力で煽ってくる姿に苛立ちを覚えないでもないが、ここは我慢だ。
 ネームレス先輩も出かけざま、言っていたじゃないか。
『ショートケーキには気をつけろ。ある意味殺害予告よりも危険だ』
 と。
「どこから情報が漏れてるんだ……」
 フォークのことを言ってるのはわかるが、ツキと先輩くらいにしか話していないのだが。
 恐るべしは暗部の情報網か。
「ここに、こんな可愛い姿してる女の子よりも、よっぽど好きな子いるんでしょう?」
「ああ、可哀想なクライス」
「煽っても何もでませんよ」
「だって、イチゴ」
「残念、ケーキ」
 からかっていただけのようだ。
 いやー、なんか無性に腹立つわー。
「それより。ザックは?」
 子猫が首をかしげるような仕草に、おれはああ、とドアを見る。
「ショートケーキさん、遅くなりました! これ、更衣室で着替えてくださいとのことです!」
「ザック遅い」
「まあまあイチゴ。そう可愛い子を責めないの」
 睨まれたザックという軍人は、びくっと身体を震わせた。
 なんか、可哀想なやつだ。
「お二人の役に立てるのなら、俺、頑張ります!」
「入ったばかりだからって、そう畏まらなくてもいいのよ?」
「同僚なんですから」
 くすくすと、ショートケーキの二人は彼の手に乗っていた衣服を手に取る。
「じゃあ、更衣室にいるから、覗きのファンが来たら追い払ってね?」
「くす、王子様に守られるお姫様みたいね、ケーキ」
 面白がりながら、二人に付き添いながら廊下を歩く。
 と、腕のすそが遠慮がちに引っ張られる。
「あの、クライスさん……」
「気にするな。ああいう女は、まともに相手にするな」
 とは、ネームレス先輩の言葉だ。
 だが、後輩であるザックは、天敵にでもあったような怯え方をしていた。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
「いえ……大丈夫であります!」
「ならいいけど……」
 と言いつつも、子犬のような震えは、雨に濡れたわけでもないのに尋常じゃなかった。
 緊張してるのだろうか。
 とも思って、歩き出した。



「んー、いい天気っ!」
 湿気った気配がまだ残る中、ホテルへ向かう。
 車の窓から差し込む夕日を見ながら、おれは三列シートの真ん中にショートケーキら、そして後ろにザックとおれ、そして運転手という配置で乗っていた。
 他にも、ボディーガードの車で前と後ろを固めている。
「あの、都外のコンサートも、やってるんですか?」
「ん? そりゃあ、こう見えて歌って踊れるアイドルだもんっ! 当然っしょ?」
「軍人は一人でも多いほうがいいの。そして、国を守るっていう目的のためならば、命をも惜しまない正義!」
 びしっとこっちを振り返りながら、ショートケーキたちは告げる。
「まあ、今日は雨降りで衣装濡れちゃってたし、ファンのみんなも悪いことしちゃったけど」
「ステージから見えた笑顔を見ると、こうして軍人としても働いてるの、いいなって思うよ?」
 まだ入りたてのザックにはわからないかーと二人はくすくす笑う。
「お前らに人並みの感性があることのほうがびっくりだな」
「あらクライスだって、守りたいものができたんでしょ?」
「でもおかしー。資料ちゃんと見といて性別勘違いしてるんだもん」
 いやーあれはないわーという女子の騒がしさに、首をかしげる奴が一人。
「なんでもない」
「ええっと……」
「聞いちゃえ聞いちゃえ」
「減るもんじゃないし」
 囃し立てる女子たちの声に、おれは勘弁してくれという本心をぐっと飲み込んだ。
「黙秘する」
「えっと、その……」
「後輩だからって遠慮することはないのよ、ザック」
「その通りよ。だって、クライスのまわりのことはネームレスにでも聞けばだいたい答えてくれるしね」
「あのなぁ、いい加減にしろよ」
「本気にならないならない」
「くすっ、本気で怒ってるクライスも好きだけど。弱いのが玉に瑕ね」
「弱い?」
 思わぬ単語に、おれは目を丸くした。
「弱いじゃない。でも、それがいいところね」
 ケーキの一言は、重い。
「ザック。クライスは暗部としてはそんなに向いてるとは思えないんだけど、走り出したら止まらない」
「例え弱くとも、工夫で乗り越える頭の良さがあるの」
「……褒めてる?」
「ええ、あまーいあまーいケーキのように」
「そりゃ、勝手に食べられたイチゴのように」
 何をドヤ顔で言ってるんだこいつら、と思いながら、おれはザックを見る。
 金魚のようなぽかんとした顔に、笑みが灯る。
 ああ、良かった。
「先輩方は、どうして、暗部にスカウトされたんですか?」
「ショートケーキは代々よ?」
「まあ、各地を興行するのも仕事だからな。で、諜報が主な任務だ」
「クライスはその場その場で変わるわね」
「まあクライスだし」
 どう見ても褒めてない。
「あの、俺は……」
「んー」
「とりあえず、先輩方ばかりだからって、緊張しない!」
「そうそう、イチゴもそう思うよ!」
 がたごとと揺れる車内で、二人は新人にアドバイスを飛ばす。
 あまり役に立ちそうにない。
「ザックはこれからだろ? 今回の諜報任務が初だと聞いてる」
 カーテンコール中将直々の任務を思い出す。
 ザックの教育係としておれが呼び出された。
 暗部の人は、多ければいいというものでもないと思うのだが……。
「ええ……先輩方に遅れを取らないよう、気を付けます」
「……まあ、無理はしないでね?」
「後ろからぐさーってことも、ないことはないからね」
「お前ら、煽るなよ」
 でも、嘘ではないことはわかっている。
 嫌でも命令ならこなさねばならない。
 それが、軍人で、それも暗部にもぐった人間の定めとも言える。
 おれは国のために入ったが、事情は人それぞれだ。
 ――今では、それだけではないと、心臓が、脳が、囁いている。
「や、やっぱり、こういうのって、向き不向きってあるんでしょうか」
「あるある」
「結局は軍人なんて使い捨て、上官の駒ってところあるしー?」
 イチゴたちはなんでもないことのように言うが、こと暗部においては正しい。
 嘘は言わない。
 だが、真実だけでもないってのが、こいつら二人を相手にするときのコツだ。
 ネームレス先輩も相当はぐらかされたことがあったらしく、珍しく同情の眼差しを向けられたものだ。
「諜報は暗部の基本! 情報がないと挟み撃ちってこともなくもないんだし」
「ひいては、軍の作戦を左右するものだからね!」
 くすくすと、二人は楽しげに笑う。
 どうして、背筋が凍るのか。
 その理由がわからない。
 まるでおれは何かを見落としている、そんな気になる。
「で、ショートケーキ様方、そろそろホテルですよ」
「護衛します」
「ここ、とある組織の根城って噂があるの」
 ぽつりと、耳元でケーキが囁いてくる。
「まあ、ショートケーキだから問題ないと思うけど、油断はしないで。今夜は何もしないから」
「作戦か?」
「うん。噂を確かめるために、ちょっとやるけどね。疲れちゃうわ、本当に」
「一般人巻き込むなよ」
「今回は気をつけるわよ」
 む、とわかりやすく表情を変えながら、ケーキは言った。
 組織の根城がホテル、か。
 ある意味、わかりやすすぎて笑えてくるが……噂の出どころがはっきりしていなければ、わざわざ敵地に入らないだろう。
 ふと、ホテルを見上げて青ざめたザックを見た。
「どうかしたか?」
「いえ……なんでも、ないです」
 疲れているようにしては、顔色が悪い。
「おーい、ザックの顔色悪いから、先に入るからなー」
「うん、スタッフさんとちょっと話があるから、先行ってー」
 ぽいっと無造作に無線機が渡される。
「何かあったら、それに連絡入れるから。男二人と女の子二人、それぞれ隣同士の部屋ね」
 語尾にハートをつけるような甘い仕事用のショートケーキの態度に、ため息をついた。
「ああ、わかってる」
「何かあったら即時連絡対応。ね?」
「頼むわよ、クライス」
「ああ、わかってる」
 おれが答えると、二人はくすくすと笑いながら部屋へ消えていった。
「おれたちも入るか」
「は、はい」
 まだ緊張してるらしいザックを引っ張って、おれたちも隣の部屋へ入る。
(――先に得たという情報通りなら、今夜か)
 頭の中でショートケーキたちの任務を思い浮かべる。
「あ、あの……クライスさん」
「どうした?」
「苦い顔してましたが、俺、なんかやっちゃいましたか?」
「んにゃ。すまんな、変な顔してたのはショートケーキのことだ。苦手だろ?」
「……えっと」
「素直に言っていいぞ。ただし、小声でな」
 ふつうに喋っていたら聞こえそうだしな。
「あの、いつもああなんでしょうか」
「まあなぁ。あいつらも、ああ見えてかなりの腕前を持つ軍人だ。下手に手を出そうとした馬鹿に鉄槌食らわせられるほどの、な」
「……そうでしたか……」
「あまり関わりたくはないだろ?」
「ええ……」
「とりあえず、食事は持ってきてるだろ? さっさと食って、明日に備えようぜ」
「はい……」
 意気消沈しているのか、疲労がたまっているのかはわからない。
 ただ今夜は、途切れない雨音がかき消してくれるのを、静かに待つだけだ。
「二人一組とは聞いていたが、ベッドは一人一つでよかった」
「それ、ふつうじゃないでしょうか、クライスさん」
「以前の任務では二人で一つだったことがあるんだよ。男同士だからよかったが」
 しかもネームレス先輩とで寝付けなかったし。
 ――まあ、今夜も。
「でも、広い部屋ですね」
「仮にも軍人国家の広告柱、ショートケーキが泊まるってんだ、並みの部屋じゃ失礼だろ」
「……」
「寒いか?」
「いえ……」
 何かに怯えているようにも見えた。
「そういや、クライスさんは、妹さんがいるんでしたよね」
「ああ。今頃家でパソコンでもいじってるんじゃないかね」
「……元気なんですね」
「ザックもいたよな。病院に入院してるんだろ? 大変だな」
「そうでもないですよ。妹も気に入ってるようで」
「……そう、か」
 病院を気に入るというのは、よっぽど長くいるということだろう。
 ということは――。
「大変だろ。お金、けっこう入用じゃないか?」
「ええ。軍に入るまでは、かつかつでした」
 目を逸らし、考えにふけるザックに、おれは背を向ける。
「なあ……」
 教育係として、言葉が持てない。
 おれには、家族がいるから。
 資料によれば、ザックは妹以外の身寄りがない。
 ……何もできない。
「明日も早い。早く寝ろよ?」
「はい、おやすみなさい」
 答えが返ってくると、シーツを軽く引っ張って、寄せる。
 おれは、背中合わせで寝るはめになったが、ちょうどよかったかもしれないと思いながら、無線機を寝間着のポケットから取り出した。
「こっちは寝る。あとは任せた」
 返答はない。
 重い湿った空気を感じながら、おれはこれから起こるだろうことに思いをはせる。
「教育係、か」
 囁いて、おれは目を閉じる。
 任務の最中に深い眠りに落ちないよう、訓練は受けている。
 今日は、浅く。
 降り続く雨に、赤い色が交じる気がした。



 ふと、起き上がる気配がした。
 目が覚めた、ということは何らかの異変が起きた、ということだ。
 そう、近くから。
「すみません、クライスさん」
 おれは、寝入った振りをする。
「あなたを、俺、は、……」
 声が泣きそうに震えている。
 金属が、後頭部に当たる音がした。
 と同時に、轟音が耳を穿つ。
「じゃっじゃーん!」
「クライス死んだー? 死んだら生き返らせるからねー?」
 と、能天気に花を咲かせたような声が聞こえた。
「え」
 窓ガラス側に寝ているおれからわかるのは、出入り口側のフロアを手榴弾でも投げつけてぶっ壊した、ということくらいだ。
 薄暗い部屋に、二輪の花は似合わない。
「うふふ、わたしたち、二丁拳銃が趣味なの」
「そうそう、今回はここが敵地ってことで、久しぶりに高ぶっちゃってるの」
「え、あ、なん、で?」
 理解が追いついていないのか、ザックは瞬きを繰り返す。
「もうちゃんと証拠も裏も取れてるのよん。ここが敵地だってわかってて入るってことは、相応の対応ができてるってことー」
「うんうん、表の軍人なら知らないけど、暗部の人間はね」
 そうして、呆然とおれから目を離したザックから、おれはその手首をひねって銃を落とさせる。
「っ! クライスさん!」
「悪いな。おれの仕事は、お前の教育係だ」
 昔は喜ばしいと思っていたのが、嘘みたいに吐き気がする。
 きっと、おれはフォークに恋をしたことで、変わったのだろう。
 それが良かったのか、悪かったのかはわからないけれど。
「こ、こんなことしても、そ、組織は――」
「私たちのボディーガード? ふふ、軍の上層部も甘く見られたものね?」
「まさ、か……全部わかってて、やった……?」
「そうに決まってるじゃない。ボディーガードなんていっても軍人の広報課、暗部での血なまぐさーいお仕事いっぱいしてるの」
「スピードスターはいないんだな」
「あれは別対策。ボディーガードに紛れて、ネームレス先輩もいるよん」
「いたのか……気付かなかった」
「なんで、でも、どうして」
 ショートケーキの二人は、黒いスーツに身を包みながらも、華やかさを忘れずに、微笑んだ。
 冥界の女神のように。
「まあ、放っておいても良かったんだけど、どうしても兄を始末してほしいって依頼が表に来てねー」
「困ったので暗部に回されて、ちょうど調べたらザックくんにも関わるし、一緒に始末して? みたいな」
 どこもおかしいところなどないのに、二人の花は四丁の拳銃をザックに向けていた。
「く、クライスさんにも当たるし、お、俺は妹がいるんだ、だ、だから」
「気持ち悪い。妹のためって苦労してるふりが醜い」
「少しは自分を顧みられないの? 犯罪組織にも、軍にもいい顔なんてできないくせに、妹をだしにやれるなんて思わないで」
 凍てつく、刃物のような言葉だった。
「もう構わないでって言ってるの、わからない? 兄だからって、妹にいいとこ見せようとしないで、気色悪い」
「もう二度と目の前に現れないで。お願いだから、神様、わたしを殺して。でもあんな兄なんて呼ぶのも吐き気がするものを、消してからにして」
「お金の代わりに、命を捧げます。兄を売ります。だから、いい加減わたしを、あの正義感ぶった男から、解放させてください――」
「や、めろ」
 それは、おれの声だったか。
 それともザック本人の声だったか。
 わからない。
「あいつが、いつも病室に花を持っていくと笑ってくれたあいつが、そんなこと言うわけが、な、ない」
「弱虫ザック」
「糞虫ザック」
 綺麗な花には棘があるように、ショートケーキの二人は微笑のまま、語る。
「その名で、俺をよぶなあああああああああああああああぁっ!」
「「じゃあさようなら、妹より、お兄ちゃんっ!」」
 反動すら彼女らは上手く利用し、ザックの身体が、倒れる。
「お前ら……」
 ふつふつと、怒りが湧くのが抑えられない。
「クライス、教育させられなくてごめんね?」
「でもこれ、ザックの妹本人からの依頼で、本気でうざがってたの」
 てへ、と、ザックの手から落ちた銃を見る。
「即死はせめてもの情けと思って欲しいわね」
「外は雨。『神』になることもない」
「──お前らの本当の任務は、ザックの殺害だったの、か?」
「ふつうの軍人ならしないけど、犯罪組織と繋がってた。そして、リーク通りだったみたい」
 拳銃を腰におさめえると、二人は震える無線機を取り出す。
「あっちも片付いたみたい」
「組織の、壊滅か?」
「そうそう、このホテルを通じた麻薬や武器の売買記録とか、もろもろね。あと死人も出てるけど、闇に葬っちゃいましょう」
「ザックも、か?」
 自然と、怒りが込められていた。
「クライスは今回は巻き込まれただけなんだから、怒るとこじゃないと思うけどなー」
「そりゃあ、赤の他人なら、な。でも、こいつの妹、本当にそんなに兄のこと、嫌ってたのかよ」
 毒の花のように、二人は口元に手を当てて、笑った。
「ねえケーキ。わたしたち嘘ついたこと、ある?」
「ないわよね、イチゴ」
 思わず、殴りたい衝動に駆られる。
「お前ら、わかってるのか」
「わかってなかったら、どうなの?」
「人を、殺したんだぞ!」
「クライスも、殺しは覚悟したでしょう? 理由は関係無い。人は自分だって殺す生き物よ? 他人でも、理由があれば殺しちゃうことだってあるわ」
「本当に、クライスも変わったわねー」
「……ああ……」
 おれも、暗部に関わる人間だ。
 理不尽な理由で人を殺そうとしたこともある。
 でも、あんな言葉責めで、絶望させて殺す必要は、ないはずだ。
 ――クレインも、おれのこと、どう思っているのか。そんなことが、脳裏にちらつく。
 いつも馬鹿馬鹿言ってくる。
 ……おれは、あいつの立派な兄でいられているか?
「おれは、お前たちとは、違う」
「なにか守るものがあるのなら、当然でしょう?」
「もしかして、クライスにも心当たりあるの?」
「ちがっ」
「ん、そろそろ出るって」
「ザックの遺体は置いてくわ」
「ああ……」
 壊れた部屋の入り口を通りながら、薄暗い廊下を歩く。
「お前達は、国のためなら、何でもするのか?」
「当たり前でしょう? 国に生きるみんなが、力の元」
「軍の広報として、もっと張り切らないとね!」
 まるで人を殺した罪悪感も持っていない。
 それは、ツキと戦ったおれを見ているようで、複雑な気持ちになる。
 ホテルは、もう瓦礫の山と化していた。



 なあ、クレイン。
 いつも馬鹿馬鹿言ってくるけど、お前は、おれのこと、どう思っている?
「朝早くに出勤とは、いい心がけだ、ベルドルード」
「……」
「考え事か?」
「はっ、いえ、カーテンコール中将、大変失礼いたしました!」
「そのまま切腹しそうな勢いにならなくていい。家にいると、辛いか?」
「……先日の、ザックの件は……」
「裏切り者の処刑など日常茶飯事だ。だが、兄を妹が売るとなると、珍しい」
 こほん、と一拍置いて、中将は目を見た。
「病院から、彼の妹が飛び降り自殺した。遺書には、兄を殺してくれてありがとう、とあった」
 唯一の肉親が死んだことを、喜んでいる?
 おれには理解できない、事実だった。
「これは公には伏せられることとなった。だが、クライス、教育係だったお前にだけは、伝えておきたかった」
「ありがとう、ございます」
「あと一つ。今回の件みたいな関係はまれにまれを重ねたものだ。お前たち兄妹には当てはまらんさ」
 静かに、しかししっかりとした声に、おれは頭を上げる。
「腹を割って話せる関係なら、今回のような悲劇は、起きる土台がない」
 それはそうだ。
「そういえば、情報処理室に妹の姿を見たな」
 そう言い残すと、暗部を統べる中将は廊下をつかつかと執務室まで歩いていく。
 おれは反対に、情報処理室へ向かった。
「クレイン、おれのことどう思ってる?」
「あ、びっくりした。馬鹿兄」
「いや、そんないつものじゃなくて、だな」
「馬鹿兄は馬鹿でしょ? 男ってわかってたのに女の子だと思ってたり」
 なんのことかと、クレインは椅子に座ったまま、瞬きを繰り返す。
「逆に聞くけど、クライスは私のこと、どう思ってるの?」
「妹だ」
「……馬鹿らしい答え」
 苦笑された。
「でも、クライスはそれくらいがちょうど良いかもね」
 なんて、馬鹿にされたような、褒められたような、中間な意見に落ち着く。
「何があったかは知らないけれど、私はクライスの妹だからね」
「馬鹿でもか?」
「本物の馬鹿なら、軍人になんてならないわ」
「それもそうだな」
 こんな気持ちが、ザックと妹の間では嘘だったのだろうか。
 それは、胸が張り裂けそうなほど悲しいことだ。
「まあ、いつまでもクレインもパソコンと恋人でいるのはやめろよ?」
「わかってるわよ、馬鹿兄――クライス」
 小声でも、聞こえた名に、おれは頬を染めるのだった。



「ザックさんも、来たばかりなのに異動なんですか?」
 オレは目を丸くして、大佐が頷くのを見ていた。
「タコさんウインナー入ってない。手抜きだー」
「弟が修行に出たって言ったでしょう」
「……今回も、どこかは聞いていない。上から圧力がかけられててな」
「毎度のことじゃないですかー」
「そうでしたか?」
「ああ。ま、すぐ新しい奴が配属になるだろうから、頼むぞ、二人とも」
「はい!」
「あ、トマト食べよう」
「きみはいつも話を聞かんな!」
 怒鳴りながらも平穏な日々が、続いていく。
 守られてばかりだが、戦いはフォークの役目だと誰も教えてくれない。
 まあ、家にはフォアさんしかいないし、フォアさんも戦闘は苦手らしいので軍で鍛えるしかないのだが。
 そんなとりとめのないことを考えながら、ツキは昼休みを通信課でエンジョイするのだった。