フォークとリタルの山ごもり生活

 車はゆっくりと、草木が覆い茂った山道に入ります。
 ぼく、フォークはリタルさんとクルアさんの二人とともに、山ごもりで勉強することになったのです!
 ででん!
 ……誇れない……。
「あの、本当に、勉強できる場所なんですか?」
「ええ、山の上にある小屋ですが、電気も水道も通しましたから、問題ないですよ」
「お前、脅したんだろうが」
 まあ、それくらいのことはしそうだな、と納得してしまう。
「失礼ですね、脅してません」
 きっと、睨みつけたのだろう、クルアさんの声が震えている。
「い、いや、お前電気水道は最低必要だって、無茶振りしてくるから、おれがどれだけ手回ししたと」
「その点は感謝しています。おかげで都市から離れるときの隠れ家になりましたから」
 隠れ家?
「ああ、フォークには言ってなかったな。隠れ家って言っても、畑で自給自足できるし、他に管理してるやつもいる」
 クルアさんの説明に、ぼくは揺れる車内で考える。
「あの、ぼくは……」
「アダマンタイトさんから話は聞いていますよ。彼の鍛え方も良かったでしょう?」
「えっと、はい」
 ぼくは端的に答える。
「スパルタだろ? 元暗殺組織にいた連中で、お前殺すために派遣されたやつらだし」
「え」
「あいつは確か対人殲滅を得意としてたよな」
「血が好きだと言ってましたが、今は農家です。いいですねー」
「お前の頭がおかしいんだよ、リタル」
「農家の子ですから」
「それは全農家を敵に回す発言だぞ」
 クルアさんは睨んだような声音だった。
「だいたい、農家の子を攫う組織のほうがおかしいんです。畑仕事は気持ちいいですから」
「……その感覚はわからないんだよなぁ」
 口を挟めず、ぼくはその会話を静かに聞く。
「まあでも、そんなお前がいてくれたから、生きてられたんだけどな」
「クルアなら本気で逃げれば神々の遺産で逃げれるでしょう?」
「それは、最後の手段だ」
 照りつける太陽が緑に遮られる中、ぼくは口を開いた。
「あの、神々の遺産って、『神』っていう人たちとどう関係あるんですか?」
「あれは、ゲームで言うところのレアドロップだ。星の光を浴びた『神』――彼らが残した、残滓で、特殊能力を備えてる」
「特殊能力」
 ますますゲームみたいな話になってきた。
「鋼糸を面に変えることや、変装などができるようになるんです」
 リタルさんが補足してくれて、そうなのか、と納得する。
「便利なアイテムですね」
「ああ。だから、『神』を――魔を、追っていた」
 そこで、会話が途切れる。
「あいつらは、死人だ。でも、運が悪かっただけのやつもいる。キルストゥは、そいつらを葬ってやれる存在だ」
「素質があれば、一般人でもできないことはないらしいですが」
「そうなんですか……」
「そういや、『神』にあったこと、あったか? フォーク」
 クルアさんの声に、ぼくはしばし思考を巡らせる。
「えっと、あったような気がしますけど……あまり記憶に自信がありません」
「そうか。いや、単なる好奇心だ、忘れてくれ」
「はぁ」
「クルアはキルストゥであるフォークくんに興味津々なんですよ」
「そりゃ、魔に会って生きてるんだ。興味も湧くさ」
「それ、珍しいんですか?」
「あの小国ではな、行方不明者はだいたい魔に食われた、と言われて子供を脅してた……そうだ」
「まあ、一部でしょうけどね。よくある都市伝説的な話です」
 リタルさんの言葉に、ぼくはふむふむ、と首を振った。
「っと、上に行けば良いんだからある意味楽だな」
「土砂崩れ起こらないといいんですけどね」
 と、二人の会話の先、車のフロントガラスの先には、小さな小屋と、広がる茶色の世界があった。
「わぁ……」
 クッキーのお師匠さんの畑と同じなのに、広さが段違いだった。
「あの、山の上、なんですか?」
「一応、もう一人いますよ。管理を頼んでるんです」
 一人で、この畑の管理を。
 言葉を噛みしめていると、畑にできているわだちに沿って、車はバックで小屋の前に止まった。
 よく見ると、近くにもうひとつ、小屋があった。
 お店にも見える、ちょっと綺麗な小屋だった。
「ここが、リタルさんの隠れ家? ですか?」
「あっちは一応、カフェというていにしてあります。ちゃんと人もいますよ」
 のほほんとリタルさんが言うと、荷物を持ってくれた。
「あまり座り心地良くなかったでしょう? とりあえず、先に荷物を入れましょう」
 ということで、ぼくらは三人そろって、小屋へ入る。
 ドアの前で、リタルさんがしゃがみこんで、何かを押した。
「お前、まだそれしてんの?」
 と、クルアさんがびっくりした声を出した。
「いつ誰が来るかわかりませんからね」
「仕掛けですか?」
「お、勘がいいですね。その通りです」
 ちょっと誇っているリタルさんの目尻が下がった。
「野生動物がでますからね。その対策の一つです」
「あ……山ですもんね」
 言いながら、ぼくは辺りを見渡すと、ぐいっとリタルさんに引っ張られて小屋の中へ無理矢理ひきづりこまれた。
「綺麗です……でも、全部木でできてるんですね」
 居間も、それからドア一が左右に二つほどあった。
「えっと……?」
「あっちが寝室、そしてこっちは物置です」
「物置は危険物も置いてあるから、あまり漁ったりしないほうがいいぞ」
「え!」
「フォークくんにはあまり関係のないことですよ」
 ふんわりと口元を緩めたリタルさんは、寝室へのドアを開いた。
「こっちへ」
「は、はい。失礼します……」
 入った途端、既視感に囚われた。
 二人分のベッドが綺麗に置かれていた。
 そして、その間に、棚がある。
「あ、机広いですね」
「ええ、いろいろ書き物をするときに便利なので」
 リタルさんが荷物をベッドに置きながら告げた。
「勉強するときは好きに使っていいですからね」
 まるで心を見透かされたような気になって、ぼくはこくこく頷いた。
「浪人生脅すなよ……」
「ああ、それと。これ、もしもの時の、私からの推薦状です」
 リタルさんは言うが早いか、丸まった紙をぼくのバッグに入れていた。
「え、それ不正入学に」
「なりませんよ。それに、フォークくんはこれから身体を鍛えないとなりませんからね」
 にこっと笑われる。
 えっと……。
「完全なずるではないから、安心しろ」
 クルアさんが耳元で囁いてくれた。
「えっと……」
「これから教えることは、本来は護身術。前にもやりましたね。けれどもフォークくん、君は簡単にそれを殺人術に変えてしまう」
 すっと、リタルさんの細い目に見つめられただけで、背筋が凍る。
 その雰囲気は、殺気に似ていた。
「だから、私は命をかけて、殺人術を教え込むことにします。魔――『神』を殺せるほどに成長させます」
「それに、フォークはもう十分なほど成長してるしな」
「あ……ま、まあでもぼく、身体が痛むんですけど……」
「それは良いことです。ここで成長速度が一気に花開いたのでしょう」
 ぽかんとしてしまう。
「元々、フォークくんは鍛えればがっしりとした体格だった、ということです」
「別人に思えるのに!」
「ええ。それほどの成長速度だったのでしょう」
 さらりとリタルさんが言い切った。
「潜在能力を引き出すには、死ぬ気で特訓したほうがいいのかもしれませんね。血の経験を実際の血肉に覚えさせるといいますか」
 いま、すごく不穏な単語を耳にしたぞ、ぼく。
「安心してください。ワイヤー1本でお相手いたしますから」
「縄は使いづらいからか」
 クルアさんが呆れたように言った。
「とりあえず、今日は疲れたでしょうから、明日の準備をしてくださいね」
 リタルさんの優しい言葉の裏を知った。
 つまり――。
「え、すぐに!」
「善は急げ、ですからね」
 と言ってウィンクする黒ずくめの元暗殺者は、微笑みを絶やすことなくぱたん、と木製のドアを閉じたのだった。



 空は、快晴。
 それを見上げてげんなりするなんて、ぼくもやきが回った。
「フォークくんの料理、美味しかったですよ」
「うぅ、ありがとうございます……」
 ため息交じりにぼくが告げる。
 これから茶色に満たされた畑を見て、数メートル距離をとったリタルさんを見つめる。
 相変わらずの、黒装束と言っていい格好に、指輪が一本、右手の人差し指にはまっていた。
「さて、フォークくんにこれから攻撃いたしますので、それを避けるなりナイフで弾くなりして生きて下さい」
「え」
「本当は縄とかがいいんですが、使いづらいので……」
「いやいやいやいや、リタルさんなんかおかしい」
「まともで暗殺者やる人はいませんからね」
 まったくの正論に、ぼくは頷くしかなかった。
「殺す気でいきます。まあ、一本だけなので、最悪な事態は免れるとは思いますが――」
「いやいや、リタルさん、それって――」
 びゅっと、鞭のようにしなる音に、身体が反応した。
 あれに触れてはいけない。
 細長い糸は、黒い暗殺者の手だけで縦横無尽に場を制圧する。
 それは目視で避けられるものではない。
 ぼくは自然と動く身体に感謝しながら、間一髪のところで糸を避ける。
 どんなに細い糸でも、加速していれば立派な刃物と同義。
 しかも細い、周囲が明るくて見づらいというリタルさんにとっての好条件下。
 ぎりっと歯を食いしばりながら、かすかに聞こえる――空気を割く音で、身体が動く。
「いいですよ、では、私に一本入れられたら、フォークくんの今日の訓練は終わりにしましょう」
「な、ナイフ、ですか?」
「糸切っちゃってもいいですから。それで、私のところまで来て、ナイフの腹でどこでもいいから傷つける」
 簡単でしょう? という目をしている。
 うう、人を傷つけるって、嫌なんだけど。
「フォークくん、心を鬼にしてください」
 見抜かれて、心臓が跳ねる。
「見知った相手だから、というのは弱さです。あなたは見知った相手であっても殺さねばならない時が来るんです」
「リタル、さん」
「そうならないように、動く人たちもいます。ですがあなたはキルストゥの赤」
 その意味は、よくわからないけれど。
「武力制圧が、主なのですから」
 それは、なんとなく理解していた。
 骨格、肉体ががっちりしてきて、見知った相手でも変装すればばれないくらい身体付きが変わったから。
 ――成長と言えるのだろうか。
「リタルさん、本気で、行きます」
「ええ。そのための特訓でもありますから」
 生き延び続けた元暗殺者に勝てるとは思わない。
「でもぼくは、生きなきゃならないから!」
 ふっと、かすかな笑みを、リタルさんから見た。
 まるで待っていたかのように、鋼糸が水面が揺れるように動く。
 知っていたかのように、ぼくの身体は身を低くする。
 そのまま足を伸ばしていく。
「まだっ!」
 ざっと、土埃に視界を封じられる。
 心の中で舌打ちし、ぼくは脳裏に閃きに似た勘に頼って横に飛ぶ。
「さあ、転がってたら死にますよ?」
「死ね、ないっ!」
 涙がこぼれ落ちるが、そんなことを気にしてられない。
 ぼくは、生きなきゃいけない。
 リタルさんは縦横無尽に動き回り、止まることはない。
 たった一本の鋼糸。
 それがどれだけ恐ろしいか、身を以て思い知らされる。
「暗殺、者……」
 糸一つで人を殺せる人。
 躊躇も、手加減もしない人。
 でも、負けるわけにはいかない。
 首をはねられるわけにもいかない。
「終了しますか?」
「いいえ。ぼくは、誰にも負けちゃいけない気がするんです」
 口の中に入った土を吐き出して、立ち上がる。
 糸がどこにあるかはわからない。
 けど、大丈夫だという確信があった。
「だから、勝つまでやります」
「うーん、その意気込みは良いんですが、お客さんが来ちゃったみたいで」
「え?」
「自分で言っておいて申し訳ないんですが、明日までに対策考えておいてくれます?」
「……リタルさん、それは」
「勉強もそろそろしないと、ですしね」
「うっ」
「学生の本分を疎かにさせてしまってましたしね。お客さんは家には寄りませんから、先に戻っていて下さい」
「は、はい!」
 ぼくは答えると、すっと背を向けて小屋へ戻る。
 ちらりと振り返ると、リタルさんの背中しかもう見えてなかった。
 あとは樹々や空など自然がそびえるだけ。
「リタルさん、どこ行ったんだろ?」
 首を傾げて、ぼくは仕掛けを解除してから小屋へ入った。
「ふわぁああ。眠いなぁー身体痛いし」
 ぼくは思い瞼をなんとか開きながら、木製の自室へと入り込む。
「勉強……よりお腹空いたー」
 ふああっと、あくびも出る。
 軽食でも作ろうかと、筋肉痛で痛む身体に鞭打って、ぼくは台所へ向かう。
 そこで、足を止めた。
「サンドイッチが作れたかな……」
 一人暮らし用の冷蔵庫のドアを開きながら、ぼくは豊富な食材を漁る。
 いろいろ準備されていて、けっこう便利だ。
「んー、悩むなー」
「おや、フォークくん、お腹空きましたか?」
 丁寧な物言いに、リタルさんだと振り返る。
 そして、血が滲んでいる黒服に、目を丸くした。
「――え?」
「ああ、返り血ですから心配しなくて大丈夫ですよ」
 にこにこ笑いながら、リタルさんが微笑む。
「え、ええ、えええええっ!」
「さっきのお客さん、刺客だったみたいで。今手当させてるんですが……あの組織があんなに追い詰められてたとは思いもしませんでしたね」
 他人事のように告げるリタルさんは、くるっと反転して無傷な背中を見せる。
「着替えてきますので、適当に食事取ってていいですから」
 これまたいつも通りの言葉に、ぼくはその異常性を再認識するはめになる。
「あの、その……いいんですか? また殺しに来るかもしれないのに、助けて」
「仕事なだけですからねぇ。それに、首もなく組織に戻ったとしても、待ってるのは役立たずの処理、つまり殺されるだけですから」
 私は、とリタルさんは遠い目をして言葉を紡ぐ。
「死ぬなら死ぬで放っておいてもいいんですが、私の前で亡くなられるのは、ちょっと嫌でしょう?」
「えっと……」
「こういうところ、おかしいって言われる所以なんですよね。自分では自然だと思うんですがね……」
 すっと、細い目をさらに細めて、リタルさんは呟く。
「死体の処理を一人でやるのは面倒だし、それなら巻き込んじゃえば? って教えられたんです。それから、好きなことに彼らを巻き込むようにしたんです」
「え……」
「私は、農業が好きですから。何よりも、誰よりも。その自負があります」
 はっきりと言い切った姿が格好良くて、魅入られる。
 妥協しない姿勢は、ぼくの胸を打つ。
 もしぼくが料理人になれたとしたら、リタルさんみたいに……。
「いやいやいや、リタルさんの姿勢は素敵ですが、あの、ぼく特に人に狙われる理由ないです……」
「キルストゥの赤の使命が、きっとフォークくんを巻き込んでくれますよ」
 そういう意味では、似た者同士ですね、と悪気なく言われる。
 う、そうなんだろうか。
 複雑な想いがぼくの中で絡まる。
 喜ぶべきことなんだろうか……わからない……。
「でも、フォークくんも相当体つきがしっかりしてきましたね」
「全身毎日筋肉痛です……」
 はぁ、とぼくはため息をつく。
「料理人になって、お兄ちゃんたちのお手伝いができたらいいなーとかちょっと思うけど……」
「軍に入るのは、やっぱり抵抗があるのですね」
「お兄ちゃんはあっさり入ってるし、本当なら離れないほうが良かったんじゃないかって思うんだ」
 思いの丈をぶつけると、リタルさんはしばし、口を閉ざした。
「選択をしたのは、フォークくんです。私たちは、贖罪の意味を込めて、あなた達を守ると決めたんです」
「しょく、ざい?」
「元の原因はレリアさんが王族殺しの指名手配を受けていたせいでもありますが……」
 と、そこでリタルさんは息を止める。
「クルアとシーザライズの接触。彼はレリアの技量に惚れていた。そして、彼女の身を匿っていた」
「クルアさんは、情報屋さん、なんだよね」
「ええ。彼がシーザライズを裏切って、彼らの居場所を密告して――キルストゥの一族の恐ろしさを、広めてしまった」
 本来なら、王族を守る一族のはずが。
「今もあの国で王族に復讐しようとしているキルストゥの一族がいる……という確定した情報があります」
「ふ、復讐!」
「キルストゥも一枚岩ではない……というか、懸賞金をかけたのがそもそもの間違いでした」
「リタルさんたちで、なんとかできなかったの?」
「クルアが裏で根回しをしたとは聞いてますが、王族が皆殺しでしたからね。次は我が身と怯えた貴族たちには意味がなかったそうです」
 そう言われると、ふつふつと胸の底に秘めていた怒りが込み上がってくる。
「でも、勘違いしないでください」
「お母さんと、お父さんは――」
「もしレリアさんが生きていても、結果は同じでしたでしょうね。そして今、赤と青のキルストゥが目覚め出している」
「そんなの、意味ないじゃないですか!」
「いいえ。レリアさんが王族を殺した理由はご存知ですか?」
 言われて、答える。
「家族を殺された、から」
「フォークくんも同じ道をたどる可能性があったんです」
「そう、だね……」
 フォアさんのことを思い浮かべる。
 あの時、抱きしめてくれなければ、きっとぼくは彼女と同じことをしていただろう。
 そして、お兄ちゃんが生きてなければ。
「さて、話はこれくらいにして、食事作りましょう」
「あれ、さっきの暗殺者さんは?」
「任せてきましたよ。だから、問題ありません」
 さらっとすごいことを言ったような気もしたけれど、リタルさんが言うのならそうなのだろう。
 だいぶぼくも感化されてるなぁと思いながら、ぼくはどんな料理にしようかな―とのんきに考えていた。



 勉強はリタルさんに見てもらえて、だいぶ進んだ。
 というか、ぼくは料理の学校に入る以前に基礎ができていないとはっきり言われた。
「外は綺麗だなぁ……」
 太陽の光が消えた世界は闇に包まれていたけれど、星空が胸を打つ。
「星座がわかったら、もっと楽しめるのかな」
 寝室から見える夜空の遠いところで、お兄ちゃんも同じことを考えてくれているといいな、と思う。
「『神』の作った『星座』なら、ありますよ」
「うわ! リタルさん起きてたんだ」
「ふふ、眠りが浅いんです。熟睡してみたいんですがね」
 語尾が悲しげだから、ぼくは口を閉ざした。
「ああ、気にしないでください。いつ殺されるか、って世界で生きてると眠りが浅いことが多いんです」
「でも……」
「私のことより、『神』の『星座』の話をしましょう」
「あの、ふつうの星座と違うんですか?」
「ええ。『神』の『星座』は、その『神』にしか扱えず、しかも大陸全土を荒野へ変えることができる、とても危険なもの――と伝えられています」
「なんか、実感がわきません」
「でしょうね」
 あっさり認めたリタルさんは、ふう、と息をついた。
「私も半信半疑です。まあ、神々の遺産を持っている以上、『神』の存在は嫌でも信じますが……」
「あの、それって誰でも使えるんですか?」
「ええ。『神』を殺すことで手に入る、戦利品です」
「なんか、敵を倒すと手に入るって、ゲームみたいです」
「ふふ、その例えは外れてませんよ?」
 弾む声に、ぼくはなぜか身震いしてしまった。
「『神』はキルストゥの一族が天敵です。だから、本来ならレリアさんのことは起こるはずなかったんですが……」
「それをせねばならないほどのなにかがあった、ってことですか?」
「ええ。単にキルストゥへの恨みが激しくて、『神』であることを隠して行動した者がいたのか、単なる偶然か」
 そこまではわからない、とリタルさんは細い目を閉ざさず告げた。
「しかし、両親を目の前で殺された。その時の気持ちは、フォークくんには理解できるのでは?」
「……そういえば、あの場にいたんですか?」
「間に合いませんでしたがね」
 ぎゅっと胸が締め付けられる。
 もしリタルさんが間に合っていて、あの軍人を殺していれば、お母さんたちは助かったかもしれない。
 そう思えば思うほど、後悔と理不尽な恨みが募っていく。
「殴っても、いいですよ」
 そういう目をしていたのだろうか。
「ある意味、知っていたのに止められなかったのは、私たちの責任でしたから」
「……いいえ」
 なぜか、口からそんな言葉がこぼれ落ちた。
 叩いても、当然の権利をぼくは持っているはずなのに。
 殺されなかった未来を、この人は知っていたというのに、殴る気は起こらなかった。
 いろいろと親身に守ってくれていたことを知っていたからかもしれない。
「今更、です」
「今更、でしたか。タイミングが悪かったです」
 ふっと瞼を閉じて、リタルさんはため息をついた。
「もっと、前に言えばよかったですね」
「それ、きっとぼくと同じ気持ちです」
「そうでしたか。……クルアによく、お前は人の気持ちがわかってない、なんて言われてますけど、今日は違うみたいですね」
「……リタルさん……」
「ごめんなさい。あなたの家族を守れなくて」
 それは、フォアさんと同じ言葉。
 霧散した恨みの裏側の気持ちを知った。
「今更、です。ぼくも、こうして鍛えてもらえたのは、――あの事件があって、出会えたから、ですから」
 ぽかんと、リタルさんの手が止まる。
「ふふ、不出来な暗殺者に向ける言葉じゃないですよ、それ」
「でも、ぼくは救われたから」
 笑顔を作って、空をまた、見上げる。
「綺麗ですね」
「ええ。この先、何事もないといいんですがね」
 ちょっと不穏なことを織り交ぜながら、リタルさんが告げるのだった。



「フォークくん、起きてください」
 硬い声に、ぼくは全身の痛みと同時にその声に目を覚ます。
 外は相変わらずの快晴だった。
「んー、リタルさん、身体痛いです……」
「それより、夜に外出ませんでしたか?」
「え?」
 ぐっすり眠っていた。はず。
 そもそも、この山に来てから、ぼくは夢見る暇もなく眠りに落ちている。
「『神』の遺産が落ちていました」
 その言葉と意味に、ぼくは身を強張らせる。
「私が落とした物ではないんです。可能性があるとすれば、フォークくんが滅ぼしたか、昨日の暗殺者が滅ぼしたか、です」
「でも、どうしてこんなところに『神』様が来たんだろう?」
「……試されたのかもしれませんね」
 腕輪状の神々の遺産を見下ろすリタルさんは、小さく息をついた。
「防犯用のカメラを見てみましょう。何かわかるかもしれません」
 と言った途端、ぐぅうーとお腹が鳴った。
「ふふ、では、料理を作ってからにしましょうか」
「はい」
 恥ずかしさで頬が赤くなるのを感じながら、ぼくはリタルさんのあとに続いてベッドから起き上がった。



 ほかほかのじゃがいもスープを食べる。
 さりげなく、居間にテレビがある。
 それを見つめながら、ぼくは先に食事をいただいている。
「こういうのは、クルアのほうが、得意なんです、よっとこれでいいはずです」
 てきぱきと防犯カメラの記録が、テレビに映る。
 静かな暗い夜なのに、赤色の人が来る姿が見えた。
「真っ赤!」
「夜なので動物や熱を持つ者は、赤色一色で表示されるんです」
 詳しくないのか、リタルさんは眉を寄せて呟く。
「背丈を見るに、子供ですね。まあ、子供の『神』もいますが……」
 ゆっくりと、こっちへ向かってくるようだった。
 そこで、画面が真っ赤に染まる。
「わあっ!」
 ホラー映像のようで、思わず声が出た。
「誰かが防犯カメラの前に出たのでしょうね」
 冷静なリタルさんに飛びつきながら、ぼくはじっと画面を見つめた。
 次第に動いているのか、黒い夜空が見えてくる。
 そして。
「え?」
「フォークくん?」
 ぼくが外に出た、としたらリタルさんが気付かないはずがない。
 同じ部屋で寝ているし、元暗殺者で気配に聡い。
「え、え?」
「気配遮断……今のフォークくんなら、出来ても不思議ではありませんね」
「えっ!」
『どこ? ここに、いるんだよね? もっと、もっと僕は、キルストゥを、殺さないと』
『哀れな魔。幽霊にもなれず、魔の道に引きずり込まれたのか』
 音声が、明瞭に聞こえる。
 眉をひそめていたのは、リタルさんだった。
「このカメラ、音声拾えませんよ?」
 ぞわっと、得体のしれない悪寒が背中を駆け巡った。
「誰かが、カメラを取り替えた?」
『ならば、我が赤、武力にて祓いを行うフォーク・キルストゥの名において滅びを与えよう』
 こんな記憶はない。
 ぎゅっと、ごつくなった手のひらで、胸元を握りしめる。
『きるす、とぅ……ころ、す――』
『遅い』
 一言。
 確かにぼくの声は、その子を殺めていた。
「首を掻っ切りましたね」
「う、うん……」
 なぜだか、本当にぼくがやった気がしてきた。
 でも記憶にないし、音声が残る防犯カメラなんかじゃないってことは、ぼくではない。
 なら、誰?
『疑問に思うだろうけれども、これはぼくだよ、フォーク・キルストゥ。いや、キルアウェートか』
 その人はそう言うと、ふふっと、おかしげに笑い声を上げた。
『この防犯カメラに音声を拾わせる機能をつけたのは、クルアさんだ。リタルさんにわからないよう、こっそりね』
「なんですと?」
『もうキルストゥの赤の宿命の花は開いた。あとは、それをどう活かすか、ってところだよ、ぼく』
「え、ええ」
 混乱する。
 あの子を殺したのは、ぼくなのか?
 『神』とか魔とか呼ばれている存在を滅したのは、本当にぼくなの?
『じゃあ、そろそろ寝に戻るね。じゃあね』
 真っ赤な画面の向こうにいるぼくが告げると、画面はブチンと音を立てて切れた。
「……これは……クルアに事情を聞くべきですね」
 どこか怒った口調で、リタルさんが呟く。
 それに若干恐怖を感じながら、ぼくは先程の言葉を反芻していた。



 曇り空の夜。
 リタルさんと、クルアさんが話をすると言って、ぼくは外へ一人、畑を見つめた。
 手にした勉強道具を開きながら、昨日のことを考えていた。
 いつもリタルさんはかなり高いハードルのことを要求してくるから、ぼくはずっと熟睡していたはず。
 なのにどうして。
「記憶にないって、なんか心配になるなぁ」
 そもそも、あれは本当にぼくだったのかさえ疑問がある。
 誰かが、真似した可能性もあるけれど……クルアさんさえ教えてくれれば、解決する問題だ。
「そもそも『神』様とか、こんな都合よく来るわけないよな……」
 たしか、死人とお星さまが結びついて蘇るのが、『神』様、魔だったような……。
「んー、考えても仕方ないか」
 画面越しのもう一人……いや、ぼくは確かに言った。
 だいぶ筋肉もついた身体になったけど、あのカメラと音声だけではわからないことだけ。
「クルア、わかっていたのですか?」
 怒鳴り声が、外にも伝わる。
「いや、無線で……『神』のほうはおれがフォークから頼まれたんだ。見つけてくれってな。まあ、あとは裏のコネ使って……」
「フォークくんが起きていたなら、私が気付かないはずがありません」
「ってことは、別の世界のフォーク、か?」
「それはない。絶対、キルアウェートだ。どうしておれの無線機知ってたのかは謎だけど」
「……それならますます別の時間軸のフォークくんの可能性が高いのでは?」
「ないんじゃないか? 起きてるに決まってる。リタルが気付かないのかとおもってたけど」
「私は……水飲みに行くだけでも起きれます。無線を使うために外に出たなら――」
「気付かないわけがない、か。まあ、それもちょっと過大評価入ってそうだが」
「……そうですね。フォークくんはキルストゥ。赤き宿命を背負った、私よりも血の色が違う」
「いや、そこまで落ち込む必要はないと思うんだけど……」
「……成長速度が早すぎます。少年漫画じゃあるまいし、もともとの素質が高いんです、フォークくんは」
「まあ、半月で下手な軍人なら拳銃打たせる前に鎮圧できそうだもんな」
「ええ。スピードスターさんほどではありませんが、すぐに私を追い越して――魔に、狙われるでしょう」
 心配を込めた声に、胸が痛む。
「彼は基本一般人です。鍛え上げても、数十年生きた経験を塗り替えるのは容易ではありません」
「だな。ツキも軍人にはなれたが、通信課なのはそのせいだろうし」
「私のように血濡れた道を、わざわざ歩ませるのは――万の怨念を喰らった彼女を排除する、そのためです」
 誰のことかはわからない。
 でも、ぼくたちに関係があることだけはわかった。
「でもクルア、勝手に防犯カメラに音声録音機能なんてつけないでください」
「悪かった。あ、でも作ったのはシーザライズだぞ」
「あの反則級の青年ですか……なら仕方がない、とでも言うと思いましたか!」
「いてっ、いやその程度の進化は大事だろ?」
「全く、今度から一言言ってくださいね」
 怒っているけれども、リタルさんはため息を一つついて許していた。
 生死を共にした仲、というのだろう。
 その信頼感は、ちょっと眩しく見えた。
「あ、サボってるのバレる前に勉強しよっと」
 ぶーんと飛んできたハチにはらはらしながらも、日差しを浴びながらぼくは受験勉強を始めるのだった。



「――キルアウェート、モデラートは寝てる」
 そう口の中で呟くと、曇り空の憂鬱な天気を見上げた。
 暗殺者Xも起きる気配がない。
 ここに来てから、もしもの時のための訓練をしている。
 フォーク・キルアウェートは寝ている。
 寝ながら、キルストゥとして起きている。
 あまり長く起きていると、次の日に差し控えるから注意はしている。
「今日も成功、か。魔もいない。……料理人を目指す、か。甘い夢だ」
 だがその平穏こそ、キルアウェートが望むもの。
 キルストゥには不必要なものだ。
 理解はしている。
 だから。
「さて、今日も成功したことだし、眠ろう」
 キルストゥであるぼくは布団をかぶり直すと、そのまま夢の世界へ落ちていく。
 ねえ、レリア・キルストゥはどんな人だったの?



 復讐の女神。殺戮者。呼び名は様々。
 ねえ知ってる? キルストゥは私達を裏切った。
 ねえ知ってる? キルストゥは王たちを殺して回って、悦に浸っている。
――そんなわけが、ないのに。
 ただ、悲しかったのだ。
 それを受け止めてくれる人が、誰もいなかった。
 こんな赤の宿命、いらなかった。
 同じ。
 違う。
 女として生まれたキルストゥと。
 男として生まれたキルストゥ。
 違いは男女だけ。
 それは運命の悪戯。
 神なんていない。やつらは魔だ。
 魔にも、言い分はあるのに、狩り殺してきたのはキルストゥだ。
 狩られる側になった気分は?
 見知らぬ人たちの声がする。
 ――せ。
 ―ろせ。
 ――ぼくは、料理人になりたいから。
 もう、キルストゥは死んだから。
 だから。
 でも、その力を目覚めさせているのに、どうしてそう思うの?
 願いだから。夢だから。
 でも必ずフォーク・キルアウェートは魔を殺す。
 人の姿をした魔を殺す。
 殺人者の料理なんて、求められる?
 君は、耐えられる?
「大丈夫」
 抱きしめられる。
 この安心する優しさは、覚えている。
 だからぼくは、笑顔をこぼす。
「お母さん」
「あんたは、フォークは殺させない。いや、まあ散々傭兵として殺してきた母さんが言うのもあれだけど」
「大丈夫。この世界の未来は、ちょいとばかしフォークには冷たいけれど、あんたを守ってくれた人たちが、殺しを止めるから」
「どうして、分かるの?」
「だって、フォークは殺したくないだろ? あんたの赤の宿命は、そう長くはもたない。だって」
 菩薩のように、ふんわりとした笑みを浮かべて。
「あんたは料理人として生きるって決めたんだろ? 母さんの言いつけを守って、軍人にならなかったし」
 たとえ、キルストゥの血が濃かろうとも。
「母さんから言えるのは一つだけ。ツキに何かあったら、真っ先に飛んでいけ!」
 最後の家族を、守れと。
 お母さんは、言い切った。
「ん……」
「目が覚めましたか、フォークくん」
「ぼく、料理人になっても、いいんでしょうか」
「藪から棒に、ですね。嫌な夢でも見ましたか?」
「だってぼく、ぼくはキルストゥで、魔といっても人なんだよね? 殺人、するんだよね?」
 くすり、となぜか黒ずくめの青年は噴き出した。
「な、なんで笑うのさ―!」
「もうあの国は終わるでしょうから、この国にいる限りは夢は叶えさせてあげますよ」
「でも特訓だってたくさんしたよ!」
「体作りは何事も基本ですからね」
 あっさりと言い切られる。
「それに、料理も頭を使うものですよ。勉強に意味がない――そういう人もいますが、私は生涯のものと思いますからね、勉強は」
「生涯、の?」
「常に新しいものを取り入れていかないと、いつか壁にぶち当たった時にどうしようもなくなってしまう……」
 リタルさんは遠い目をして、呟く。
「けれども、勉強をしっかりしていれば、その壁を避ける道も見える可能性がある、ということです」
「わぁ……そんなことまで考えていたんですね」
「フォークくんも、もっといろいろ勉強しないと駄目ですよ」
「はい」



「リタル、寝たな」
「はい」
 クルアさんが怒られに来た夜。
 ぼくは、リタルさんが起きないよう、足音を殺して床を歩いた。
「あいつも、本当は親に会いたいんだよ」
 居間に来ると、物音を立てないようにクルアさんが告げた。
「もうだいぶ歳だろうけれどな。生きてるかもわからない」
「……気にはなってたんです。水飲みたくて起きた時、リタルさん、寝てたから」
「本物の暗殺者モードじゃないからな、今は。神々の遺産も離してるみたいだし」
「忙しいから、腕輪外してるんですか?」
「……どうなんだろうな」
 難しい顔をして、クルアさんは腕を組む。
「でも、起きてる時はしてるからなぁ。あまり、暗殺者だった頃のこと、本当は思い出したくないんじゃないかな」
 そうか、とぼくは目を伏せる。
「じゃあ、今日も基本になる数学の初歩をやろうか」
「はーい」
 と答えながら、ぼくは苦手な教科に向き合うのだった。



「フォーク! 起きてるか!」
 無線機から慌てた声が、響き渡った。
「クライスくん?」
 ごそごそと、荷物の中に入れていた無線機を取り出す。
「持ち歩いてるのか?」
 呆れ顔のクルアさんを無視して、ぼくは起きてるよ―と声を出す。
 ノイズが酷いけど、聞き取れないほどではなかった。
「どうしたの?」
「ツキが大怪我した。というか、殺されかけた」
「クライスくんは?」
「……気にすんな。ちょっと軽い怪我しただけだ」
「どうかしましたか?」
 目を丸くしながらも、リタルさんが出てくる。
「それが……」
「軍人の殺害事件なんて、たまにあるが、今回はちょっと違うみたいだな」
 いつの間にかクルアさんは、耳にイヤホンを当てていた。
「軍の許可なく、ツキ・キルアウェートが殺人犯にされてる。目撃証言によると、どうもアイスっていう友人がその場から消えてるらしい」
「お兄ちゃんが、アイスさんを殺すなんてしない!」
「ですね。まるで見せしめるような行動――おや、クルアどうしました?」
「レジーナの軍のネット回線にハッキングしてんだが、パンクしてるみたいでな……」
 繋がらない、という。
「フォークの出来はどうだ? リタル」
「少し不安はありますが、大丈夫だと判子を押します」
 真剣な様子に、ぼくは一瞬、誰のことだろうかとまばたきを繰り返した。
「フォーク、君がこの事件を解決するんだ。少なくとも、相手はツキを陥れることに成功した」
「……でも、ぼくたちだけじゃ、どんな相手かわからないのに、立ち向かうのは無理です……」
 ふっと、クルアさんが笑った。
「なに、大丈夫だ。そこはなんとでもなる。北軍に殉職した、ちょうどフォーク似の男がいてな――」
 ふっふっふ、とクルアさんが怪しい笑みを浮かべる。
「えっと」
「レジーナに戻る。そして、中央司令部に入って、内部から情報を集めてくれ。ネットが駄目ってことは、アナログが命だからな」
 なんて、簡単に言ってくれちゃう。
「ぼく、知り合いたくさんいるんですが」
「今の自分と変装で、誤魔化せばいい。その間、おれが情報収集しておくから。なに、どうにでもなるさ」
「シーザライズさんとフォアさんには連絡しておきましょう。でも、フォークくんは会っちゃだめですからね」
「え? どうして?」
「相手が相当の手練ってことはわかったからな。罠に釣られる形になるが、こうなる可能性は考えてないとは言えなかった」
「……怒っていいですか?」
「それは、全部終わってからだ」
 びしっと指を立てて、クルアさんはリタルさんに目配せする。
「さあ、フォーク・キルアウェートから、これから生まれ変わるんだ!」
 そう叫ぶクルアさんは、すごく楽しそうだった。