記者の過去

 夢であってほしかった。
 わたしは、死神だとまた突きつけられた
「せん、ぱい?」
 丸い月夜に、白いコンクリートの壁が薄灰色の影を地面に落とす。
「ウィズベット。お前だけでも、エルニーニャ王国の中央に戻れ。ここには俺しかいなかったと証言する。あいつらも、お前のことは夢で見てない限りは追手を放つこともないだろうしな」
 座り込んでいるのは、脂汗を滴らせている本名も知らない、けれどもわたしにたくさんのことを教えてくれた人。
 頭が悪いわたしを、親友のアガルタみたいに、見捨てないでくれた黒髪黒目で、鋭い目つきの割りに、軽く障害を乗り越える、人。
「南の大国サーリシェリア……まさか、あんなことまでしていたとはな」
 そこで、耳障りな警報が鳴り響いていることに気付く。
「ここの情報は誰にも漏らすな。殺されたいなら別だが――な? ウィズベット、お前だけは、生きてくれ」
 片足から銃撃で赤い血が今も流れ落ちている先輩は、時計を取ると、それを差し出してくる。
「処刑されるかもしれない。遺品だ。……南の大国サーリシェリアの狙いは、北や東、西の大国よりももっと悪質だ。でも、一記者の俺らにはどうにもできない。エルニーニャでさえ気付いていないことだ」
「先輩――」
 見聞きしたことが、真実なら。
 この国は、狂っている。
「記者がよく行方不明になるって話なら、よく耳にしてたが、人体実験に他国の人間をさらってたとは知らなかった」
 行け、とばかりに、わたしの最初の先輩が、諦観の瞳で、告げる。
 震えるわたしを、叱咤するように。
「追っ手をまけたのも、予知夢は万能じゃないみたいだ。俺はここに残って、まあ、なんとかするさ。ウィズベット。永遠の別れじゃないんだ、そんな自分を責める顔するな、似合わないよ」
「せん、ぱい。それでも置いて、行けません……」
「おいおい、もう見つかっちまう。俺が誰だかわかってるだろう? エルニーニャ王国一のペテン師。自分の命くらい、守ってみせるさ」
 ――それと、記憶の改ざんだ。
 先輩は得意げに言っていた。いつも違う名前を名乗るのは、それが為せるから。でも、戯言だと思っていた。
 例えどんな予知夢を見ていても、先輩の本名を知った人間は、先輩の言葉を無条件に信じ、自在に書き換えができるのだと。
 記憶が、変えられると。
 わたしはだから、先輩の本当の名前を知らない。
 記事に載せる名前だって、ペンネームだ。
 受け取った腕時計を両手で握りしめる。
 重い。
 このまま、この人を置いていって良いのか。
「国家プロジェクトだからな。まあ、政治犯として捕まる程度で努力するよ。上の人間が、夢でこのことを知ってたらお手上げだが、ウィズベット、お前が逃げる時間くらいは稼ぐよ」
「でも、ここが犯罪組織の拠点の可能性は」
「中身を見ただろう? 今は友好的だが、国ってのは本来領地を奪い合うもんだ。エルニーニャの裏社会の連中と繋がりがあっても、――もう行け、お別れだ」
 一人で。
 また一人で。
 置いていかなければならない。
 わたしは、やっぱり死神なんだ。
 アガルタ以外の友も、無敵と信じた先輩も、みな見捨てて、一人のうのうと生きている死神だ。
「ああ――月が、綺麗だ。フェアルスト・ロス」
 不意に、単語が聞こえた。異国の言葉。しかしその意味を知った――聞いてしまったわたしは、目を見開く。
 喪失。
 横顔に浮かぶのは、諦念から、幼い子供のような、後悔を吹っ切った笑みだった。
「ウィズベット。先輩――フェアルスト・ロスはサーリシェリアの機密事項を一人で知ったが、君には一言も告げることはなかった。君のもつ記憶はフェアルスト・ロスが引き受けた。サーリシェリアはエルニーニャと友好国だ。ここで政治犯として捕まるのは、俺のミスだ、わかったか? ウィズベット」
 情報の多さに、頭が痛む。
 けれども、わたしは自然とそうだと頷いた。
「フェアルスト・ロスは偽名。ウィズベットは一人で裏の柵を越えて、なんの成果もなく、エルニーニャに戻る」
「――あなたは、誰ですか?」
 ――先輩、さ。政治犯としてのな。



 いつもの夢に、わたしは目をぱちりと開く。
 警報が鳴っているのに、見つからないという明らかにおかしい夢。
 ふぇなんとかっていう偽名を使った、先輩。
 そもそも、記憶の改ざんなんて、できるわけがないのだ。
 偏頭痛みたいな痛みが、眠気を追い払う。
 いつものこと。
「はぁー。あれ、今日は、アガルタとー、約束した日だったっけー?」
 エルニーニャは今、爆発事件で政治部はてんてこ舞い。
 それとは違い、先輩と二人で特ダネだと南の大国サーリシェリアに行ったわたしは、なんの情報も持ってなくて、先輩が捕まったことだけ告げて左遷? させられた。
 元々頭はよくないし、料理は嫌いじゃないから、良かったと思う。
 記憶の改ざん。
 なぜか、その言葉が引っかかる。
 いつもそうだ。
 休みの日、適当につけたテレビドラマの中の話でもその単語を聞くたびに、この夢を思い出す。
 サーリシェリアに行った特ダネは、先輩の頭の中にしかないし、当の先輩は、その特ダネとともに南の大国の牢屋の中だ。
 友好国であり、それ以上に北となにかやってる最中なのだ。でも、政治犯ということは、その特ダネはガセではないが……。
 ということをいつも、考えてしまう。
 わたしは、死神だ。
 これも、いつものこと。
 わたしの近くで無事なのは、ゲームで例えれば幸運EXのアガルタくらいだ。
 彼女は頭もよく、料理学校の先生として立派にやっている。
 それに比べて、わたしは勉強が苦手すぎて、周りに迷惑をかけっぱなしだ。
 でも、とサーリシェリアから戻る際に持っていたお守り代わりの先輩の腕時計を手にする。
「今どきアナログなんだから……」
 長針と短針が、丸い中をチクタクと回る。
「先輩……」
 本名は決して教えてくれなかった、わたしのせいできっと、牢獄に捕らわれた人。
 生死すらも今は不明なのだ。
 確かめるすべもないわたしは、腕時計を見つめる。
「どうして、みんなを、わたし……殺しちゃうんだろう」
 口にのせた言葉は、飴玉みたいにころころと口の中を転がる。
 わたしが死んでしまえば、助かる命は多いのだろうか。
 でも、死ぬのは痛そうで怖い。
 不意に。誰かの子供っぽい笑顔が浮かぶ。
「先輩、かなー」
 一年以上、物わかりの悪いわたしに付き合ってくれた、名前だけは決して教えてくれなかった恩人。
 先輩の時計を見つめて、古いアパートに持ち込んだ白いベッドに座り込む。まだ時間はある。
 チクタクチクタク。
 アナログ時計を見つめて、思い出す。
 そういえば、先輩って――いや先輩は――。



「全く。ウィズベット。嫌いなものでも残すなよ」
 安いホテルでの朝食、それも味は一般家庭以下の味付けだ。
 これをなに食わぬ顔でぱくぱく食べられる先輩がすごかった。
 今日はエルニーニャの軍人の護衛依頼の取材だ。
 許可は先輩がすでに取っており、なんと、大総統――国のトップに近い人の護衛取材だという。
 大総統の代わりに、各地を見て回るという。
「でも、どうしてわたしたち、こんな安宿に泊まってるんですかー?」
「金が出てないんだ、辛抱しろ。それに、東は犯罪が多いからな。ここは贔屓にしてるから、っておねーちゃーん酒」
「だめですー! 仕事前の飲酒は禁止ですー!」
 黒髪を揺らしながら、わたしはウェイトレスに睨まれます。
 こ、この駄目先輩!
「人のこと言う前に、まず仕事に来てることを意識しましょー」
「言うようになったじゃねえか。それじゃあ、さっさと食うから」
 と、有言実行、先輩はさっさとわたしの残したものを食べる。
「――!」
 いつものことながら、遠慮がない。
 頬がかっと赤くなるのを感じる。
「さ、行くぞ。ありがとな」
 さりげなくウェイトレスにチップを渡しながら、わたしは頷いて荷物を持って立ち上がる。
 取材陣はわたしたち以外にもいたが、ここを使ったのはわたしたちだけだった。
「それじゃあ、待ち合わせの場所にいたいた、挨拶回りしてんなー」
「先輩、カメラカメラ」
 カシャカシャとシャッターを切りながら、わたしは微笑む。
 いたって今は、平和な町に見える。
「まあ、上将様が直々に来てるからな。なにかあったら国の威信にかけて下手な組織は潰される」
 ぽつりと呟くと、先輩は他の雑誌や軍の広報部に混じっていく。
「待ってくださーい!」
 と声を張り上げて、わたしはその後姿を追った。



 そう、そんな平穏な取材が続いていたおかげか、せいか。
 わたしたちのコンビは編集室でもいい成果を上げ、先輩が特ダネを拾ったということで、南の大国サーリシェリアに行くことになったのだ。
 雑誌の売上も好調ということもあった。
 編集長はいつもより内容を言わない先輩に不快な顔をしていたが、周囲の好奇心もあって一緒に取材へ向かって。
 それから、先輩が撃たれた。
 死ぬような怪我ではないとはいってたけれど、先輩は、なにか言っていた。
 特ダネの入手は失敗。そして先輩は生死不明だったが、軍国家で友好国であるサーリシェリアにエルニーニャが国として先輩を取り戻すことなんてするはずもなく。
 自己責任。
 その失敗を背負って、わたしは、曖昧な記憶がとてもとても大切なことに蓋をしていると理解してるのに、なにも出来ないまま、料理記者のほうに配属を移された。



 だから、死神。
 幼い頃、友達と遠足できて、わたしが好きな花を摘んでる間に崖から足を踏み外して落ちたのも。
 好きだった男の子に告白したら、次の日彼が交通事故で昏睡状態になったのも。
 それがおさまってから、油断してたのかもしれない。
 アガルタは、唯一の親友はふつうに生きていたから、勘違いしていたのだ。
 でも、過去は過去だと、仕事とは別だと、割り切れと言ってくれたのは、先輩だった。
 先輩。
 わたし、あなたを不幸にしてしまいました。
 だから、次こそは、一人で、幸せに過ぎることを願います。
 もう、不幸にならないように、アガルタに託された学生さんたちのためにも。
 ――先輩。頑張りますー!