キルストゥの分岐点(1)

 ねえ、この火事は、いつおわるの?
 だれか、おしえて。
 口を開くたびに、肺が焼けて、息が苦しい。
 路上のゴミみたいに捨てられたわたしのことなんて、だれも気にもとめない。
 もう、しんじゃう。
 やけるのは、住み慣れた、むら。
 わるいことをしていたから、ぐんにやかれるんだって。
 そんなことを、きいた。
 あしも、ても、あつくて、いたくて、通り過ぎるぐんじんに、まだいきてるって、いえない。
 いえないんだよ!
 どうして、むらを焼いたの?
 もう少しで、せいじんになれて。
 くすりももらって、おおきくなって。
 おかあさんやおとうさんやおばあちゃんやおじいちゃんやきんじょの――
 許せない。
 みんな、いなくなってしまう。
 ここで、おわってしまう。
 いたい。
 ひーろーがいるなら、たすけてっていって、ぐんじんたちをおいだしてほしい。
 でも、いくら願っても、そんなつごうのいいゆめは叶わない。
 そう、なら。
「徹底的に火を放て! 生存者は逃がすな!」
 おとがする。
 めのまえに、きれいな――炎のせいでちょっと見えづらいけれど――星の光が、見える。
 星に、届かない、動かない指を、伸ばす。
 ああ。
 人として生きた最期を、幾度も無限に夢に見る。
 それが、分岐点だったからだと思うから。
「あ、ああ、星、が――」
 結ばれた縁は、本当に偶然だった。
 そして、わたくしは立ち上がる。
「わたくしの村は、勘違いで軍人に蹂躙された。この手で、魔となった後、軍人を一人残らず皆殺しにした」
 まるで鍵盤を叩くように、指を動かす。
「もうすぐ。赤の宿命がいない今なら、あのキルストゥを殺せる。そしていずれ、大陸中に混乱を起こしてみせる」
 にたり、と口元が緩む。
 もうじき時間が来る。
「あの時の熱を忘れない――わたくしは、決して。滅びるべきは、キルストゥのほうなのだから」



「ははっ、休暇貰えてよかったな、ツキ」
 春の日差しを浴びながら、オレはため息をついた。
「ギャンブルの町も久しぶりに来たなぁ」
「いいじゃん、ゆっくりしてけよ」
 と、悪友のアイスが嬉しげに告げる。
 賑やかさは首都にも負けない。
 だが、まあ、どこでも犯罪じみたことはあるわけで。
「だ、誰かー!」
 ヒステリックな女性の声に、オレは氷色の瞳のアイスと顔を見合わせる。
「とおっ!」
 現場――というほどでもないが、人だかりの中を走っていったが無意味に終わった。
 黒の長髪が目の前を舞う。
「あれ、あれって軍服着てるから、軍人だよな?」
「ラディア?」
 見慣れた姿に、思わず声が漏れる。
「あれ、ツキさーん! ちょっと待っててくださいねー!」
「ラディアちゃん、今手伝……ツキさん!」
 なんか隣から冷たい視線が向けられるが、無視して二人へ近づく。
 ちょうど拘束が終わったところだった。
「ふたりとも、仕事?」
「はい! 今日は見回りです!」
「ツキさんは私服ということは、非番なんですね」
「ここのところ、暇なかったからね」
 通信課はあまり外に駆り出されることはない。
 だから、こういう犯罪の逮捕とかに出くわすことはないのだ。
「へえー、軍人ってむさ苦しいところだと思ってたけど、可愛い子も結構いるんだ」
「アイス、下手に手を出したら痛い目見るぞ」
「わあー、すごい綺麗な氷色の髪ですね!」
 ラディアがアイスの毛を見て感嘆の息を吐く。
「この辺りでは珍しいですね」
 と続けたのは、リアだ。
「まあな。親父も同じ色だ」
「一応、親の七光りの駄目男だから。見た目だけしか良くない」
「ツキ、殴っていいか?」
 ふふ、と犯人を縛りながら、二人は笑っていた。
「仲良いんですね」
「ここ育ちなのに同じ商店街の学校に通ってた、腐れ縁の関係なだけ」
「照れてるのか、ツキ。彼女の一人もいないし」
「悪かったな。それと、そろそろ時間も迫ってきたし、行こうか、アイス」
「時間?」
 きょとんとするラディアに、オレは答える。
「遊びの時間。二人にはちょっと悪いけどな」
「息抜きは大事ですよ、ツキさん」
 リアさんに言われるとは思ってなくて、苦笑した。
「それじゃあ、また中央司令部で! ツキさん!」
 おう、とオレが応えると、二人に見送られながらその場を離れた。
「おい、あれ町長の息子だろ?」
「まあ、軍人の友人と一緒だから、問題ないんだろうさ」
 そんな言葉を耳にして。
 縄で縛っても暴れる男を黙らせつつ、二人の女性軍人はまばたきを繰り返した。



「今日はお前の護衛たちいないの?」
「シーザライズさんは傭兵として仕事、フォアさんは家の留守番してくれてる」
 元々、フォークを助けに来た人だったみたいだし、とオレは説明した。
「ふーん。まあ、守られてばかりじゃ軍人じゃないもんな」
「そういうこと」
「あのさ、にーちゃんたち」
 子どもの声に、オレは足を止めた。
 人気があまりなく、建物が高いせいで暗い代わりに、ちょっと賭け事が盛んな地帯。
 行きつけの店があるので、そこで一発やろうと決めていた時。
「どうかしたか? 迷子?」
 太陽から隠れるように、路地に入ったところに彼はいた。
 ボロきれを繋ぎ合わせた格好に、オレは乞食だと思った。
 でも。
 頭のどこかで、何か違和感を感じる。
 歯車が噛み合ってない。いや、少年にちぐはぐさを感じる。
「あれ、ツキか?」
 背後から、耳に慣れたクライスの声がした。
「クライス、どうしてここに?」
「いや、おれ今日休みだから、特訓にいい場所を探して――っ! 離れろ!」
 頭上からなにかが降ってくる。
 おれはアイスを突き飛ばして、少年のほうへ駆け寄る。
「ここは危ないから、きみは早く逃げ」
「ツキ! 馬鹿野郎!」
 誰の声か、判断する前に目の前が白黒に点滅していた。
 腹部に、柄のあるナイフが突き刺さっている感触がした。
 痛い。
 赤い水が、引き抜かれて溢れ出す。
「キルストゥは、殺さなきゃ」
 少年とは思えない――いや、だからこその冷徹な音に、オレは、脳が麻痺したように息が、腹に幾度も、刺さって――。
「はっ!」
 ぶんっと、戻っていく視界が、短い槍の穂先によって少年のナイフを弾き落とす場面を見た。
 横目で見ると、アイスが倒れている。
 血は出てない。
 だが、気を失っているのが、まったく動きのない姿からわかった。
「こ、のぉおおっ!」
「ツキ・キルストゥ……あなたは、もう死人も同然になるわ」
「なに、言ってやがる!」
 血溜まりが、傷口から広がっていく。
「犯罪者に、仕立て上げて上げるって言ってるの!」
 聞き覚えのない女性の声に、オレは遠くなっていく意識で首をかしげる。
 オレを、殺して、犯罪者になる? の間違いでは?
「もう二度とキルストゥが国王の横に並ぶことのないように、キルストゥを追い詰めてあげるの」
 何のことを言ってるのか、理解できない。
 それよりも、刺された腹部が熱くて、痛くて、涙が出る。
 視界が、目を開いているのに暗くなっていく。
「く」
 クライスの辛そうな声が聞こえる。
「クラ、い」
「お前のためじゃない! フォークのためだ!」
 薄ぼんやりとした意識が、クライスが前衛に立ってくれていると気付いた。
 そして、クライスの手に、いつの間にか球体があった。
 そしてそれを、躊躇なく、地面に投げつける。
「げほ、げほっ!」
「煙玉っ――でも、逃 さ な い っ!」
 ぐぅっ、とクライスの声がしたが、煙の範囲が広かったせいか、町の中心部に近かったせいか、人の気配が増えていく。
「ちっ、撤退よ」
 オレの意識は、女のその声を聞いて――闇に落ちた。



「んー? リアさん、あっちのほう、なんだか騒がしいですよー」
「そうね。何かあったのかしら?」
 巡回ルートからは外れるが、高い建物が多いせいか薄暗い道だった。
「あれ、血溜まりじゃないですか!」
「――急ぎましょう、ラディアちゃん。応援を呼んだほうが良いかしら?」
 嫌な気配がする。
 思わず足が早くなる。
 そこには、血溜まりと、なぜかその中心にラジオが置いてある。
 疑問には思ったが、そこから聞こえる音が、二人には信じられない。
『ツキ・キルアウェートが――殺人を犯しました。これは事実です。彼らはまだ、レジーナにいたのです!』
 聞いたことのない女性のアナウンサーの声が、周囲に木霊する。
「これは……」
「そんなことあり得ません! ツキさんと、あと一緒にいた人を探しましょう、リアさん!」
 血痕は、いや、血溜まりは致命傷に近いほど地面や壁にへばりついている。
「……いったい、誰がこんなことを?」
 仮にも、ツキは軍人で、以前、フォークくんとここにいない細工をした、と言っていた。
 一部には知っている人もいただろうが、今まで平穏無事に暮らしていたことを考えると誰かの陰謀に違いない。
 なにせ、キルアウェート兄弟の隠蔽には、軍たちも一枚噛んだという。
 なら、民間の放送で、こんなことを言いふらす必要はどこにあるのだろう。
「何か、裏が、あるのかも」
 考え込むリアに対し、ラディアは薄暗さをものともせず、指を指す。
「あ、こっちにも血痕が続いてます! 追いますね!」
「危なさそうだったら、戻ってきてね、ラディアちゃん!」
「はい!」
 ラディアは薄暗い路地の中を一迅の風のように駆け抜けていく。
 そして、足を止めた。
「無くなってる……」
 唐突に、なにかに遮られたように、血の跡は綺麗に消えていた。周囲は壁。
 そこにも血はなく、首を傾げるしかなかった。



 軍を通さずに流れた軍人による殺人事件の情報は、軍に混乱を与えるには十分だった。
「なぜ軍には通さず――本当に軍人だったのかすら確認せずに殺人事件の犯人が軍人だと流した?」
「各局ごと、軍に許可は取ってある、と……いう、お話だと言っています」
 現大総統は、難しい顔をして息をついた。
「頭が痛くなるな……」
「一難去ってまた一難、ですね」
 インフェリア関係のことを思い出しながら、副官が告げた。
「あちらはまだ隠しようもあった。だが、今度は――彼の居場所はわかっているのか?」
「表はまだ。裏はベルドルードが当該の町にいた、という話を聞いてます。呼びますか?」
「来ているのか?」
「戦力にはならない、という話は聞いています」
 眉をひそめて、大総統は口を開く。
「怪我か?」
「片腕に大怪我をしたようでして。しばらく使いものにならないようです」
 そして、ちらっと隣りにいるカーテンコール中将を見やる。
「クライスからの事情徴収は、うちでやろう。中央司令部のみ、パソコンもネットもいかれてしまったようだからな」
「誰かの陰謀、というべきか?」
「あの場にいた軍人によれば、軍人ともう一人民間人がいたようだ。そっちについてはどこも放送していないのが気になる」
「――軍の信頼を貶める行為、か」
「それとも、個人を狙った犯行か。……血痕も途中で途切れていた上、軍用犬を使った捜査も無駄足だった」
「ベルドルードが、頼みの綱ということか」
「すぐに吐くとは思いませんがね。こちらはこちらのつてでベルドルードを締め上げます」
「あまり本気になるな。にしても、変わったな、カーテンコール中将」
「国の一大事ですから」
 以前の彼なら、そんな面倒なことはせず、部下を動かしていただろう。
 だが、今は違う。
「あの噂は、本当だったみたいだな」
「あの噂?」
 副官の復唱に、彼は何でもない、と手を振って答えた。



「というわけで、見つかるとやばいから通信課の屋根裏に隠れてるんだけど……」
 クライスは誰もいない屋根裏で、カーテンコールから逃げていた。
「すぐバレると思うがなぁ。なんか見つけて連れてきたら商品付けられての呼び出しの放送かかってるからな」
 とはネームレスだ。
 男子トイレで困っていたクライスを抱えて屋根裏まで抱え込んだ筋力に驚嘆したが、クライスにとっては有り難かった。
「すみません。腕上がらなくて……」
「手伝ったのは、俺の部下だからってのもあるからな。そこのところ、忘れないでな」
「はい……」
「腕、斬られたんだろ? そして、犯人の心当たりもある。放ってはおけないからな」
「なんでですか?」
 恐る恐る尋ねると、鼻で笑われた。
「あー、今、馬鹿にしましたね!」
「言った先から忘れてるのと、危機感がないからだ」
「危機……感?」
「もし真犯人が軍部に紛れ込んでいたら、お前、殺されるんだろう? 正体知ってるんだから」
「あ、まあ……黄金色の着物の女性と、少年でしたね。見たことはなかったですけど」
「覚えてるならいい。甘い修行をさせた記憶はないからな。ったく、表側が強くなると、思考能力まで落ちるのか?」
「やっぱり、馬鹿にしてますよね」
「これでも遠慮してるつもりなんだがな」
 と言いながらも、頭をかくネームレス先輩に、クライスはむっと怒りを顕にする。
「その前に、本当にあなたはネームレス先輩なんですか? 実は真犯人って可能性、ありますよね」
「そうだ。その疑問を持つことは重要だ」
「はぁ……」
 クライスはため息をつくと、はっきり言い切った。
「本人ですね。おれに対する態度に変化はないですから」
「確認が済んだなら、あとの話は外でしよう。無線切ってるし」
「出れますか?」
「ここにいても見つかるのは時間の問題だからな」
 薄暗い天井裏で、二人の男は這うように外へ続く道を進む。
「キルアウェートが犯人でない証拠は、クライス、お前だけが証言できることだ。今の所はな」
「なんで言い切るんですか?」
「もし本人が言っても、説得力がない。世論はキルアウェートを殺人犯としてみているからな」
 はっきりと言い切ってから、ネームレスたちは先へと進んでいく。
 その背を追いながら、クライスはその理由を考える。
 遺体のない殺人だと、ネームレスから聞いた。
 いや、遺体の消えた殺人事件だと思われているらしい。
 たしかに、ツキの出血量は並み外れて、放置していれば命に関わった。
 だが移動中は、しっかりと止血した。
 そのため、父が教えてくれた医者の出入り口まで行けたため、手術さえ失敗しなければ助かるはずだ。
「誰かが、ツキを陥れようとしているのか……」
 彼の他に、友人がいたがそっちは一切情報は流れていないらしい。
 だからこその遺体の消えた現代のホラー。
 ……真犯人が、さらっていった?
 クライスは思考をぐるぐると回転させながら、屋根裏から外へ続く道を、ネームレスの後についていった。



 外の木々の隙間を跳ぶ二人を見つめて、屋根に上った三人は朝食を食べていた。
 いい天気だった。
「いっちゃいましたねー」
「だね。でも、広報のお仕事あるし、追いかけるのはなしにしよっか」
「でも、それじゃあ中将に怒られるよー?」
「軍のイメージアップが求められてるのっ! どうせ弟くんも来るだろうから、わたしたちが解決するものじゃないもん」
「まっ、そうだけどね」
 くすりと屋根の上に乗ったまま、もう一人が眉をぴくぴくさせている。
「スピードスター、そんなに怒っててもなにも解決しないよ?」
「ファンが不安がってるのを忘れさせるのが、役目なのよ?」
「叱られるの誰かわかってるんだろ?」
「ふふ、広報のお仕事のほうが大事なのです! にぱー」
「うふ、それとも自分以外の『神』が関わってるっぽいのが気になって仕方ない?」
「うっせーな」
 言い切りながらも、彼はふと視線を下げる。
 訓練に明け暮れる新兵や、事務処理などで行き交う人々を見る。
「軍のメインコンピュータにハッキングしてる奴を探しに行けないのが、悔しいだけだよ」
 広報課のお仕事は、かなりハードだ。
「テレビ出演あるから、こっちについてきてね、スピードスター?」
「あなたがいないと始まらないから」
「心にもないこと言うなよ、思ってないんだから」
 と言葉を吐き出しながら、スピードスターは彼女たちとともに、背を向ける。
 ことの真相をしる軍人たちの、その後を思い思いに考えながら。



「まったく、どういう仕様なのよ!」
 苛立ちを隠せぬまま、クレインは情報処理室でパソコンと戦っていた。
「クレイン、あまり物にあたっても仕方がないですわ」
「テレビはツキさんが犯人扱いされてるし、クライスの馬鹿は中将の放送からも逃げてるし、そのせいで小言を私が聞かなきゃならならなかったんだから!」
 今は外部とのアクセスを切っている最中だ、とメリテェアに言いながら、クレインたち事務処理班は対応に追われていた。
「そしてこんな時に限って、どうでもいい依頼の山! 探偵にでも任せなさいって言いたいわ!」
「犬猫探しから窃盗事件に交通事故……もう階級なんて関係なく人が出払ってますものね」
 メリテェアが苦笑しつつ、わずかな休憩時間を削っている。
「怪我人も綺麗に出払ってるわ。出てないのは通信課くらいで、広報課はツキさんの件を国民に有耶無耶にするために走り回ってるし……」
 ネットのケーブル抜きましたーという同僚の声がした。
「で、メリテェアはいいの? ここにいて」
「大総統に呼ばれてますの。直属の部下ではないとしても、クライスさんたちとも縁が深いですから」
「はぁ。メリテェアも大変ね」
「クレインほどではありませんわ」
 真剣に言い切って、周囲の音に紛らせて、声のトーンを落とす。
「アイス、という民間人と一緒にいたところを軍人や民間人が見ている、という情報がありますの。彼については一切の情報が流れてませんの。不思議だと思いません?」
「そうみたいだけど……彼が犯人?」
「だったら話は早いのですけれど、どうもちょうどリアさんとラディアさんがいらっしゃったみたいで」
「え?」
「事件の前に、ツキさんとその方が仲良さそうにしていたという話です。そして、放送には流れていませんが、彼は倒れていて、ツキさんは子どもに襲われていた、という証言があります」
「……で、遺体はなかった。それは――」
「詳細はクライスさんならご存知だと、上の方々がクライスさんを探しています。もうレジーナの町中に逃げたと広報課から報告が上がっていますが」
「なんか、メリテェア詳しくない?」
「ふふ、わたくしも裏から情報をくださる方がいらっしゃるので」
 姉のことか、とクレインは似ても似つかない黒髪の女性を思い出す。
 とても好戦的に見えるが、その実個人的にメリテェアと必要な情報を裏社会から提供してるとか。
 バレたらメリテェアは軍を辞める羽目になるだろうに、とは個人的な意見だが。
「フォークくんには伝えましたの?」
「いえ。馬鹿兄が無線機持ってるから、私が言うことはない……し、来ないほうが良いかもしれない」
「そうですわね。相手は軍のネットワークを切断させたり、混乱を起こさせるほどの切れ者ですもの」
 人一人呼び寄せたところで、変わることはない。
「そういえば、各東西南北の司令部から、応援を呼んだと聞いてますわ」
「中央だけじゃパンクするほどの量の依頼がきてるものね。ふつうじゃない」
「機械が勝手に動いているだの、それ軍の仕事じゃないってものから、危険薬物の摘発まで千差万別で……」
「応援はもう来てるのかしら?」
「近いところは。と、聞いてますわ」
 話が一段落したところで、メリテェアは背筋を正す。
「そろそろ大総統のところへ行きますわ」
「気をつけて」
「はい、ありがとう、クレイン」
 ウェーブの金髪を揺らして、彼女は背を向けた。



「エイク・フィン・イスカンダー大尉です。北方司令部所属です!」
 緑のバンダナに、茶髪の少年は車の中で練習をしていた。
「そう、それでいいぞ、エイク――いや、フォーク」
「そうかなぁ?」
「情報によれば、北方司令部も依頼で来られる人員が限られてるみたいだ。上手く情報は書き換えてあるから、上手く立ち回れよ」
「クルアさん……」
「ツキを助けたいんだろ?」
「はいっ!」
 その思いだけは、本物だった。
 実在したエイク本人には悪いが、その名を使わせてもらうことにした。
 罪悪感はある。だがそれで兄であるツキの現状を知ることができたなら、どんな無茶もするつもりだ。
「あ、言っとくけど、軍内部はエイク一人で行動だからな」
「え、あ、そうですよね……」
「シーザライズさんもいるかもしれませんが、他人のふりしてくださいね。それと、軍内部のお知り合いとも初対面ということで」
 そう言うと、ちょっとした不満がフォークの中に生まれた。
「軍人として入るのに?」
「フォークじゃなくて、エイクだからだ。北方の司令部の人間と中央の人間が知り合いなわけなかろう」
「うー、やっていく自信がどんどん削られていく」
「ちょっとクルア。フォークくんの意欲削ってどうするんですか」
「でもなぁ。不安はある。軍人じゃないからな」
 クルアの言葉に、フォークはむーとふくれっ面をする。
「クライスだっけ。今逃亡してるらしい」
「え?」
「まあ、軍内部に内通者がいて殺されるよりはましではあるが、クライスがいたらお前も少しは安心できたんだ、ろうけどって揺らすな揺らすな」
 車の座席を揺らしながら、フォーク――エイクは顔を強張らせる。
「クライスくん、そんな危険な目にあったの?」
「まあ、そうらしい。無線拾って聞いてるだけだからな」
「その神々の遺産とかいうのは使わないの?」
「持ってきてないものは無理。この無線機もけっこう改造してなぁ」
「クルア。そろそろつきます」
 はっきり言い切ると、リタルさんがレジーナへ入ったことを告げた。
 まだ明るい街中は、思った以上に――混乱の渦に投げ込まれていた。
「車渋滞してるので、エイクくんはさっさと降りて、その書類を渡して軍内部に潜入してください」
「潜入って……」
 まるで悪いことをするような気がしてきた。
「死人の名前とか使ってるんだ、目標に向かって、前に進む以外の道がフォークにはあるのか?」
 そう言われると、お兄ちゃんの笑顔が自然と浮かぶ。
 その通りだ。
「あの、ありがとうございました。また、終わったら家で一緒に会いましょう!」
 振り返った二人の笑顔。
 それは、なぜかもう二度と会わないと決めたような、寂しいものに錯覚してみえた。



 学生服に似た軍服、そして階級を示すバッチをつけたエイクは、緊張して手を強く握った。
「……ぼくは――いや、おれは、エイクだ。間違わないようにしなくちゃ」
 それに、けっこう偉い人だったらしい。
 軍の中は今、どうなっているのか、気にもしていた。
「あの、軍人さん?」
「え、あ、うん、どうしたのかな」
 目を真っ赤にした少年が、歩道にいるエイクの裾を引っ張っていた。
「お母さんとはぐれちゃったの。ねえ、お母さん、どこ?」
 そんなことを唐突に言われてもわかるはずがない。
「えっと……おれはエイク。きみは?」
「僕、僕はエレク! ちょっとだけ名前、違うね!」
 ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべた。
 エレクと名乗った少年に詳しい話を聞いてみる。
 本当なら寄り道をしている暇はないのだが。
「えっとね、お母さんは、緑の髪と目をしてて、腰まで髪があって、すごく綺麗なんだよ」
「ほうほう。どこまで一緒だったか、覚えてる?」
「うん! あっちのデパートを出たところまでは覚えてるよ! 一緒に手を繋いでたから!」
「そっか。じゃあ、一度戻ってみよう」
 エイク――フォークはエレクの手を握る。
 すべすべした手は、どこにでもいる子どもだと教えてくれた。
「お母さ―ん」
「そういえば、お母さんの名前は?」
「ハーニャだよ」
「ハーニャさん、か」
「あ、エレク!」
 デパート付近まで来ると、とても長い緑の髪を持つ女性が駆け寄ってきた。
 服装のセンスの良さに、不意に父親を思い浮かべる。
 が、それを振り切って、エイクは微笑む。
「お母さん!」
「もう、最近は誘拐事件とか、殺人事件なんかも起こってて危険なんだから、大人しくしてなさいって何度――」
 と説教を始めたところで、エイクの存在に気付いた。
 目を丸くし、深く頭を下げられた。
「まあ、エレクがお世話になりました。なにか粗相でもしませんでしたか?」
「してませんよ、あの、それより、北方司令部より来たばかりでレジーナのことはよくわからないのですが、何かあるのですか?」
「まあ、軍人さん? なら、早く人殺しの軍人を捕まえてください!」
「えっと、努力します。それより、他におかしなことが起きていたりとかしませんか?」
「そう、ですね。空き巣が増えたとか、殺人事件や通り魔事件、誘拐なんかが横行していると噂でききます。それと、軍のホームページが使えないとか」
「そうでしたか。同じ軍人として市民の皆様のお力になれず申し訳ないです」
「いえいえ、軍人さんにはよくしてもらってますもの。ほら、エレク、頭を下げなさい」
「あの、ごめんなさい。そして、ありがとうございました」
「うん、今度からは気をつけるんだよ」
「はい!」
 ぱっと破顔して、エレクはエイクにいつまでも手を振った。
 それを見て、エイクは守るべきものがなにか、軍人嫌いではあるが思いは忘れないでいようと思った。



 春の優しい風に吹かれながら、車がギャンブルの町へ向かって走っていく。
「ネームレス先輩、良いんですか?」
「ツキ・キルアウェートの容態を見たい。ですね、フォアさん」
「うん」
 真剣な顔をしつつもフードを被った青年が告げる。
「シーザライズは?」
「彼は彼でやることがあるからって独自で動いてるよ」
 声が思った以上に固い。
 それは、後部座席に座る、クライスの腕を見てたからだ。
「腕、痛くない?」
「軍服着てるので見えないと思ったんですが、わかるものですか?」
「うん。というか、だらりとして反対の手で庇ってたら嫌でも怪我だな、ってわかるよ」
 淡々と、けれども少し心配を込めて、フォアは告げた。
「フォークがいないとこうなるって、わかってましたか?」
「いや。『神』が動く可能性はあるかもとは思ったけれども、ここまで大胆にやるとは、思ってなかった」
「中央司令部は現在、無線機で傍聴してる限りはネット回線切って、復旧作業してるみたいだ」
「こういうとき、アナログって役に立つよな」
「まあ、おかげで追っ手が来なくて助かるけど」
「ところで、クライスさんは両親や妹さんには何も言わなくていいの?」
「大丈夫だろ。それに、父さんは元軍人の中将までいった男だ。……内通者が殺そうとしなければ、大丈夫だと思ってる」
「軍に、内通者、かぁ。物騒になってるね」
「そりゃ、国を支えてるところだからな。貴族もいるが、あっちは例外だし」
「まあ、軍の内部の内通者が『神』なら、同じく軍にいるキルストゥが祓うだろうから問題ないと思うよ」
「祓う?」
「とにかく、ギャンブルの町の闇医者にツキの治療任せてるんだろ? 車は町から離れたところで捨てて、徒歩で行くぞ」
「ねえ」
「ん?」
「町に入ったらさ、二人とも軍服着るのやめたほうが良いと思うよ」
 フォアの指摘に、頭がそこまで回ってなかった二人がその通りだと、頭を抱えた。
「いつっ!」
「ほら、クライスさんは腕怪我してるんだから、無理しない!」
 まるでお兄さんだな、とネームレスは思いながら、だからシーザライズと相性いいのか、とくすりと笑った。



「北方司令部から応援に派遣されました、エイク・フィン・イスカンダー大尉です! ちょうど手が空いていたため、中央に回されてきました!」
「西方司令部から同じく応援に回された、ファーガル・エンティール軍曹です。所属は遊撃隊です」
 大総統の前で、二人は敬礼しながらそれぞれの所属を名乗った。
「よく来てくれた。どうやら、中央だけが混乱されているみたいでな」
 ぎりっと歯を噛み、彼は二人を見た。
「君たちには軍に寄せられている依頼の対応を願いたい。内部のことは中央の我々が行う」
「わかりました!」
 エイクに対し、ファーガルは無言で敬礼を返すにとどめた。
「では、よろしく頼む」
「はいっ!」
 二人の声が重なり、出ていくと、大総統とその副官は目配せする。
「ファーガルが来るのは事前にファックスで知っていたが、エイクは……確か殉職していなかったか?」
「ええ。同名を名乗った、ということは、中央に混乱をもたらすために入り込んだスパイか、もしくは――キルアウェートの弟の変装という線が濃厚でしょう」
「まさか、エイクの名を借りるとはな。懐かしい名だ」
「ええ。ですが、彼は一般人のはず。軍の任務にあたらせて問題はないのでしょうか」
「たしか、インフェリアも東から来る予定だったな。それに、キルアウェートの弟は何度かここに来て慣れているはずだ」
 問題ない、という返答に、副官は苦笑した。
「丸くなりましたね、大総統」
「ならざるを得ないからだよ」
 深く椅子に腰掛けて、彼は目を細めた。
「ベルドルードも警戒して、レジーナからはいないだろう。カーテンコール中将からも連絡はない」
「ということは?」
「事件現場の近くを徹底的に洗い出す。他の司令部からの応援でレジーナの事件は解決させて、ギャンブルの町のほうへ人手を送る」
「その間に見つける、ということですね」
「ああ。それが一番効率がいいだろう。一度協力関係を結んだこともあったのだから」
「言いにくいのですが、それが……」
「なにか、問題でも?」
「ええ。町長が軍人を受け入れたくないという電話が来ている、と」
「……自分の町のことは自分で解決したい、ということか」
「そうかもしれません」
 裏がある、と長年の経験から直感した大総統は、ざっと書類を漁り始める。
「だ、大総統?」
「所属している軍人のリストを頼む。ここにはないか」
「パソコンが使えれば良かったんですが……資料室か図書室に履歴書が残っているはずです」
「ならそれでいい。中央にいる全ての軍人のリストを閲覧する」
「わかりました。全く、もっと人を頼っていいと思いますよ?」
 副官の言葉に、できればな、と簡潔に答えるのだった。



「フォアのほうは、どうにかなってるみたいだな」
 あまり遠くには離れられないため、彼は春風の吹くほうを見る。
 彼――シーザライズはフォークたちの家の屋根の上で、人体解剖図鑑を読んでいた。
 がちゃがちゃとかうるさいマスコミの声に半分呆れつつ、腹部のページをよく目に焼き付ける。
「失敗はできないからな……」
 ぱたんと重い本を閉じると、彼はギャンブルの町へ向かって駆け出す。
 背負ったリュックには、ツキたちの寝室にあった置物やらいろいろ詰め込んでいる。
「しっかし、無人の家に取材とはご苦労なこった」
 言いながら、商店街の駐車場に置いていた、銀色の車に乗り込んではキーをかける。
「『神』が動き出したってことは、ろくなことが起こらない前触れだからな」
 フォアを追いかけるように、また一人、ギャンブルの町へ行く。



「カーテンコール中将、結局クライスとネームレス行方不明ですねー」
「レジーナを出たんだろう。なら、俺達もゆくべきだろう」
「良いんですか? 広報課は裏工作……もといふつうにお仕事させてるのに」
「キルアウェートの居場所より、真犯人の居場所を特定すべきだ」
 はっきり言い切り、彼は外套を羽織る。
「ウルとしては、このたまった書類にはんこを押し続けて欲しいのですが」
「そんなこと、お前でも代理でできるだろう? 今しなければならないのは、軍に喧嘩を売ってきた相手の特定だ」
「パソコン駄目になっちゃいましたしねー」
「だから紙だろう?」
「はー。前の大将のほうが良かったなー」
「運がなかったな」
 と、彼は呟く。
「でも、暗部も面白いですね。そうそうタチアナ」
「はい、ウル様」
 どこからともなく現れた少女に、カーテンコールは難しい顔をした。
「中将の護衛を頼むわ。狙われたのはたぶん、弟くんも呼ぶため」
「軍のパソコンにハッキングしてか?」
「ちっちっち。中将はわかってないですねー。弟くんはどこにいるかは不明なんですよ?」
「まあ、そうらしいな」
 カーテンコールは無人の家に群がるキャスターたちを、食堂で見かけたのを思い出した。
「それと友人の遺体がない! 人一人死んでもおかしくない血があるし、鑑識によれば複数の血が混じっていたという話でしたし」
「その情報はどこから仕入れてきたんだ……」
「鑑識のところのパソコンはネット繋がってない古いのがあって、今はそっち使ってるんですよー」
「全部の機械が壊れたわけではないのか」
「ええ。電話とか普通に使えますし。ファックスとか。あくまで軍内のパソコンに、ウイルス仕込んだ――ってだけですね」
 びしっと指を立て、ウルはギャンブルの町があるほうを指差した。
「事件現場にいかれるなら、車手配しますが」
「多忙なのだろう? なら不要だ」
 ちらっとタチアナを見て、頷き返す姿に互いに首を振った。
「では、ごゆっくりー」
「遊びに行くわけではないのですが……」
「ウルにとっては遊びのようなものだ」
 言い切ると、カーテンコールとタチアナの二人はドアを静かにくぐっていった。
「真犯人……どう考えても、『神』が関わってるし。命がいくつあっても、足りないからね」
 本音を言いながら、ふかふかのソファに腰掛けて、真犯人はどんな人だろうかと思いを馳せる。



 軍の近くにある、有名な大病院。
 その個室に、ベッドに腰掛ける少女がいた。それに耳を傾ける少年も。
「おとーさん、最近来てないの」
 折り紙で鶴を折りながら、少女は首をかしげる。
「お薬も変わっちゃったし、少し具合も悪いし……」
「大丈夫、治るよ」
 少年が、不安げな少女の顔を真っ直ぐ見ながら微笑んだ。
「ミストの病気、絶対に治る」
「そうかな、でもドーナくんが言うと本当だって思えちゃうのが不思議だね」
 にっこりと微笑む彼女の眩しさに、ドーナは頭をかく。
「また、来てくれる?」
「うん。あ、でもオレが来たことは内緒にしてね」
「わかってる」
 幼いミストは、点滴を見つめながら、味の変わった薬を思い浮かべる。
「また、ね」
「ああ、また来るよ。お父さんは、仕事で忙しいみたいだから」
 会えないことを残念に思いながら、ミストはどうか、無事であって欲しいと願っていた。



 はぁ、はぁ、と男は窓から逃げ出していた。
 まだ若い青年で、開けっ放しの窓から怒声が響く。
「こっちだ! こっちにいるぞ!」
 足がもつれそうになりながらも、男は足を止めることはなかった。
 複数の足音が聞こえる。
 いつかは、捕まっても良い。
 けれども今は、駄目だと心に活を入れる。
 ――人のいない部屋を回って、コンピュータウイルスを入れて回る。
 それだけで、助かる命があるのなら、悪魔の誘惑であっても受け入れた。
 大通りを抜ける。
 ねぁーが歩いているのを見つつ、軍人とトラブルを起こしている人や、点呼をとっている保育園の人々の隙間を縫う。
 もう、追ってくる足音は聞こえないのに。
 娘の笑顔が見たいのに。
 もう旅立った妻の怒る声がききたいというのに。
 流星のように、散ってしまった平穏に、青年はぎりっと奥歯を噛みしめる。
 せめて。
 病院に入院している娘だけでも助けたい。
 だから、犯罪に手を染めた。
 それを誰が悪だと呼べるだろうか。
 善人のままでは助けられないものがあると、彼は知ってしまっていたから。
 荒く息を吐き、与えられた任務をこなす。
 それでより多くの人に迷惑を与えるとしても。
 娘の温かな笑みだけは、失いたくなかった。



「クレインさん、一息ついたらどうです?」
「カイさんも、街中歩きまわっていたのでしょう?」
 金髪の少女は、無線機を置きながら、淹れてくれたハーブティーを飲んだ。
「いやー、こんなに広いとは実感しましたよ。普段任務でしかレジーナ内を行き来することなんてありませんからね」
 そう言うと、同じくハーブティーを口につける。
「こんなことしてる場合じゃないのに……」
「そういうな、エイク。民間人の困りごとも解決するのはいつものことだろう?」
 廊下から聞こえた軍人たちの声に、二人は既知感を覚える。
「今の、聞き覚えありませんでしたか? カイさん」
「クレインさんもかい? でも、見たことない二人組だったからなぁ」
 真っ黒なパソコン画面の前で、二人は首をかしげる。
「この無線機で無理矢理馬鹿兄の居場所がわかれば良いのだけど……はぁ」
「できないことは仕方がないよ」
「ところで、グレンさんと一緒じゃなくていいんですか?」
「今は待機を命じられててね。全く、いつも通りに行動できたら良かったんだけど」
「だから! アルベルトを駆り出すってことに反対してんだよ!」
「ちょっと人探しするだけなんだから、怒ってくれるのは嬉しいけど、ね、ブラック」
 と、見慣れた二人組が廊下を通り抜ける。
「珍しいですね」
「人手が足りないんということと、トラブルが次から次へと舞い込んで来るそうですよ」
「カイさんはいいんですか?」
「実は救護班に回されちゃって。逃げてきた」
 薬の調合もできる彼なら、救護班に入れられるのもわかる。
「にしても、本当にいいんですか?」
「何が?」
「その、後ろにいる人」
 冷めた視線だけで立っている人物を見て、カイはあはは、と笑いながらグレンさん助けてーと言うのだった。



「さて、依頼受付……は閑散としてるな」
 ファーガルは民間人から請け負う依頼を見て、息をついた。
「軍内部も人少なかったな」
 とエイクは告げると、ファーガルはとりあえず、受付に顔を出した。
「あ、ファーガルさんお久しぶりです」
 にこっと、スマイルを浮かべた受付嬢に、ファーガルは慣れた様子で手を上げた。
「久しぶりだな。とっておきの仕事、あるか?」
「遊撃隊から来られることはわかっていたので、こっそりとっておきましたよ、これ」
「クライス・ベルドルードの確保?」
 読み上げると、受付嬢はくすりと笑った。
 親しい仲なのだろう、というのはエイクにもわかった。
「ええ。あと、中将レベルの方も外に出ていきましたよ」
「本当に人手足りてないの?」
 エイクの言葉に、彼女は肩を落とした。
「きいてくださいそうなんですよ、電話は朝から鳴りっぱなしで怒鳴るわ意味のないこと言うわで今は直接来られる方だけ相手にしてますけどそれでも限度というのがあります、パソコンがおかしいからなおさら手書きですよ? こっちの苦労も少しは考えてほしいものです」
 長い愚痴に二人はあはは……と笑った。
「百戦錬磨のファーガルさんには、お世話になりましたから。とりあえずレジーナ内を回って、それでも犯人かツキが見つからないようでしたらギャンブルの町へ行ってください。ご武運を」
「おう、二人でいいのか?」
「人員が割けないので」
 頑なな一言に、そうとうキレてるな、と思ったのだった。



 当然といえば当然、西と北の司令部から応援が来たように、東と南からの応援も来ていた。
「久しぶりだな」
 ダークブルーの青年、カスケードは中央司令部を懐かしむように見渡した。
「そうなんですか?」
 もう二十歳過ぎなのに背丈が低い少女にも見える南司令部広報課、マーチェが問い返す。
「昔、中央司令部に在籍していたんだ。えっと」
「マーチェです。インフェリアさん、とお呼びしていいですか? 広報担当なので、階級呼びは苦手で」
「あ、ああ、良いけれど」
 ツキ・キルアウェートが殺人を犯した。
 だが、遺体も、逃亡犯――ツキも見つからない。
 ニュースのことを反復して、カスケードは息をついた。
「ではマーチェ、この事件、どう見る?」
「人目につかないところで、ツキさんに恨みを持った人がこう、ざっくり刺したんじゃないですかね」
「ツキは特別なところがあったからな。キルストゥ……ある小国では大金をかけるほどの罪人だと言われてる」
「昔は王族を守る人たちだったんですよね」
「ああ……って、詳しいな」
「広報課は遊撃隊の次にあちらこちらと取材やらコンサートに行くんですよ? それに隠された事実でもありませんし」
「知らなかった……」
「勉強したほうが良いですね。でも、一般の軍人には不必要な知識ですよ?」
「前に、ツキからキルストゥの話を聞いたことがあるんだ」
「……! ほう、あなたが東方司令部で駄々こねて中央に応援に行くことになった人なんですね」
 くくく、と面白そうにマーチェは笑う。
「さて、まずは大総統に挨拶に行きましょう」
 軍の入り口でぴょんぴょん跳ねながら、マーチェに引っ張られるようにカスケードは続いて歩いた。



「あー! 面倒くせぇ」
「ディア、犬猫はもうだいぶ見つかったから、一度依頼主の元へ戻ろう」
 女性にも見える青年、アクトは、ゴミ箱から頭を出している猫を手に、ずかずかと怒りを込めてアクトの元へ来る。
「ぬいぐるみなら可愛げがあるが、くそっ、調べたところ空き巣が増加してたってことしかわかってないんだろ?」
「どこ情報?」
「さっきから空き巣がーって声を聞いたんだよ。全く、どこ行っても今日はトラブル続きだな」
「今日が、か」
「ん? 何か気になるか?」
「リアさんたちから聞いた話によれば、ツキさんは友達と一緒にいた。なら、彼は今どこにいる?」
「――ツキを刺した犯人?」
「リアさんたちの情報からしかないけれど……放送でクライスくんが呼び出されていたってことは、彼もそこにいた」
「今は逃げてるんだよな。上官と」
「ああ。で、話は戻るんだけど。友達、どこに消えた?」
「誰かが匿ってるというのか?」
「その可能性もあるって話。もしくは、真犯人の狙いは――友達のほうだったかもしれない」
「ツキが庇ったと?」
「あくまで可能性の話だけど。とにかく、早くこの子達を一旦、返しに行こう」
 アクトの腕の中は、動物で溢れていた。



 星だった。
 星だった。
 星だった。
 星を、見上げていた。
 誰もが求めた星だった。
 ピンチの時に、助けに来てくれるヒーローなんていない。
 でもいた。
 それは、異界とも言える、人類の物差しとも言える、星。
 夜だけ姿を現す、星々。
 プラネタリウムなんかよりもっと、身近にある、一日の終りを告げる、鐘の音のような星空。
 指でなぞる新しい星座を、彼女は見つめていた。
 魔――『神』に昼も夜もない。
「軍人によって保護されたら、わたくしの勝ち」
 黄金の着物姿が似合う彼女は、思い出す。
 万の怨霊を身に宿し、それでも自我を保てるその強き願い。
「キルストゥは、人間の手によって滅ぼされる」
 怨霊になったことで未練はある。でも。
「空が、眩しいわ――」
 黒幕の狙いは、人を、狂わす。
 くるくると、くるくると。
 キルストゥの兄は致命傷で死に、弟も他人の支えがあれど、兄を失ったショックで死ぬだろう。
 くるくるくる。くるくるくる。
「ふふ、予定通りに進んでいる。未熟なキルストゥ。あなたにわたくしは殺せないの」
 ふわりと、着物を靡かせながら、彼女は微笑んだ。
「使い人がいなくなった星座がある。なら、使えるようにすればいいの」
 破滅を望むのは、怨霊だから、ではなく。
「星が、美しい――」
 どこまでもどこまでも。
 指先すら届かない昼空に、マンションの最上階から彼女は手を、伸ばした。
 もう届かない、幸せだった日々に、びびを入れて。