異世界の魂

「さて、これからどうしようかね」
 血塗れた少年を傍らに置き、フードを被った青年、フォアは夜空を見上げた。
「とりあえず、この子を救うには、もっと前にさかのぼる必要がある」
 置物の頭をなでながら、フォアは目を閉じる。
「この世界での活動は少々辛い。協力者が必要だ」
 なに、やってみせるさ、とフォアは置物であった相棒に笑いかける。
「決めたことだからね。やっぱり無理でした、はなしでいくよ」
 不安げな相棒にフォアはざくざくとした葉を踏む足音を耳にした。
「さ、そろそろ行こうか」
 瞬間、誰もいなかったように、そこから彼の姿が消えた。
 まるで、魔法使いの瞬間移動のように。
 そのあとで、軍人たちの足音が止まった。
「ここにいました、<ネームレス>」
 そう呼ばれた若き青年は、ぐるりとねめつけるように辺りを見渡した。
「……いま、誰か他にいなかったか?」
「え?」
「いや、いい」
 集まった闇に染まる軍人は、加害者であるフォーク・キルストゥの姿を確認すると、その亡骸を抱き上げていた。



 それは二十五年ほど前のこと。
「くそ、くそ」
 フォーク・キルストゥの住む大陸のさらに東側に位置する東の小国。
 王族殺し、としてレリア・キルストゥが処刑された広場があった。
 そこから隠れるようにある塔で、背を預けた青年がいた。
 年端もいかぬ少女の処刑は、王侯貴族の殺害が理由だった。
 そして、少女が行う理由は、両親の殺害が彼らのせいだったからだ。
 青年が――
「なにが、協力する、だ。くそ、くそくそくそくそ」
 がんっと、拳を壁に当てる。
 そんなことをしても、もう取り返しのつかないことになっているというのに。
「悪いのは国で。くそ、あいつが国と繋がってたなんて、なんで俺は信じちまったんだ!」
 激昂しても、反響しか返ってこず。
 青年は、レリアの死を眺めることしかできなかった。
「くそ、この能力をもっとうまく使えたら……そもそも、レリアは死なずに済んだんだ」
「キルストゥの少女のこと?」
「そうだ……さっき、見ただろ?」
「彼女、あの少年に似てたね」
 ぽつり、とつぶやいたのは、フードを被った青年だった。
 年は若い。いや、異質な雰囲気をまとっていた。
「お前、何の用だ」
 気配がなかったことにようやく頭が回って、青年はフードの彼を見定めるように見つめた。
「警戒しなくていいよ。ただ、王族に家族を殺されたと思い込んでいた彼女と、それを信じた君」
「なんだと? 今なんて言った?」
 思わず立ち上がり、青年、シーザライズはフードの青年、フォアへ掴み掛った。
「思い込んでいた、だと? レリアは王族に殺されたんだ」
 それは本人が直接彼に伝えた言葉だった。
 しかし、フードの青年は首を横に振った。
「王族が、キルストゥを殺すわけがない。国を守る守護者の一族なんだから」
「っ、でも事実、殺した」
「見たものは、レリアと、そそのかした女」
「女のことは、レリアが言っていたな……」
 そこで、そそのかした女、という言葉に棘を覚えた。
 シーザライズは、眉をひそめてフォアを見る。
「何者だ? あのくそ情報屋でさえ知らなかったのに、まるで見てきたように言う」
 シーザライズは警戒の色を濃くした。
「だから、警戒しなくていいってば。この世界の外から来た旅人だから、世界を俯瞰して見えただけのこと」
「……はぁ?」
 頭がおかしいやつか?
 シーザライズの顔にはそうはっきりと書いてあった。
 フォアは苦笑する。
「どう捉えてもらってもいいけど、君の敵ではないことは保証するよ」
「証拠は?」
「未来のレリアを生まないために」
 よどみのない言葉に、シーザライズは手を放した。
「わけのわからないことばかり言うな、お前は」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
 褒めてない、とにらみつけるも、フォアは平然とした面持ちでシーザライズを見つめた。
「君の能力を、ぼくに貸してほしくて来たんだ」
「はぁ? それ、誰から聞いた?」
 レリアに殺された王族の同僚や忌み嫌った両親以外には、誰にも見せたこともない異能力。
 物質を出現させ、操る。
 どこぞには遺伝で癒し手の能力者やらがいるらしいが、シーザライズは突然変異で手にした力だった。
 子供のころからそれを見た両親が忌み嫌い、彼を軍へ送った。
 うまく制御できないそれは、時に人を傷つけた。
 それを見かねた同僚だった王族の――友人が、特訓に付き合ってくれた。
「ずっと、見てた、からね」
「――っ」
 怖気が全身を這う。
 フォアは笑顔だったが、それはどうみても異質で、人間としてはおかしかった。
「千里眼でも持ってるのか?」
「それで理解してくれるなら、そういうことでいいよ」
「……俺は、なにもできないぞ」
「そんなことはない。何もできなかったのを悔やんでいるのは、知っている」
 でも、とフォアは顔を上げた。
 その瞳はまっすぐにシーザライズをみていた。
 彼はその目がレリアの期待と同じ類だとわかってしまった。
「できない……もう、放っておいてくれ」
「それはできない相談だよ」
 フォアの目の色が、こわばっていた。
「こっちもフォーク・キルストゥを助けないといけない。約束したんだ」
「――え?」
「未来のレリア。いや、見たときは瓜二つで双子かと思ってびっくりさせられたよ」
「お前、もしかしてレリアを助けられたんじゃないか?」
 シーザライズの口から洩れた言葉に、フォアは首を横に振った。
 月の光が、二人の男を照らす。
「無理だよ。この世界は完全に近く、しかも神という存在が守護している。
 世界の始まりから終わりまで見ることはできても、簡単に世界に干渉はできないんだ」
「でも、今こうして話をしてるじゃねえかっ!」
「少しだけならね。でも、こうしてるのも限界に近い。
 だから、君の力を借りたいんだ」
「借りる? 生まれついた能力を、貸せるわけがないだろ」
「物質を操る力なら、ぼくを維持できるはず。やってみなくちゃわからない」
「それに、俺に得があるか?」
「またレリアの惨状を、キルストゥの惨劇を繰り返したいのかい?」
「そんなこと」
「認めたくないだろ? 自分のせいで人が死ぬなんて」
「っ!」
 フォアの言葉は、シーザライズの胸を的確に打ち抜いていた。
「君はこのまま一人、何もできずに死んでいく。誰も信じられないから」
「それが、俺の未来なのか」
「ぼくが干渉すれば、変わる程度の未来だけどね」
「……本当に、変えられるのか?」
 そりゃあね、とフォアは笑顔を浮かべた。
「そのためにはやらなきゃならないことがたくさんあるんだけど、とりあえず、そろそろ限界でね」
「でも、上手くいくかわからない」
「弱気が君を、弱くしているんだ」
『弱気なのが欠点だ、シーザライズ』
 不意に、同じことを言った同僚の声がした。
 もう話もできないと思っていた、王族の同僚の声が。
 その力を役立ててほしいと願っていた、青年の言葉が。
「大丈夫、今度はうまくいく。イメージを持って」
「――ああ」
 シーザライズは一歩、フォアから距離を置く。
 かすかに、月光が彼の体をすり抜けていた。
 もし、フォアの言うことが本当だったのだとしたら。
 真実を知らないといけないのかもしれない。
 それが、レリアという少女を死地へ追いやった、自身の責任なんだと。
「具現……せよ」
 フォアは感じる。
 初めての人間としての生を受けることを。
 生まれることの意味を。
 それがたとえ、ささやかな時間の中だとしても、目的がある。
 思えば、フォアは人間であったフォファーという元の世界での依代の中で、人間を感じていた。
 世界として無限の生を理解してきたが、体験することは初めてであった。
 もともとは、世界の外へ飛び出したフォファ―を探しに来たのだが。
 あちらこちらと立ち寄った世界で、様々な経験をした。
 でも、こうして完全に近い世界で具現することは、初めてで。
「不安がないわけじゃない。このまま、意識して」
 不安げなシーザライズの手を取り、握る。
 形が、世界が受け入れられていく。
 まるで乾いた砂に水が注がれていくように、フォアは実体を伴った。
「君の能力は、無限みたいだね」
「無限?」
「うん。制御できないのは、大きすぎるからだと思うよ」
「大きい? 能力が?」
「ぼくが半分それを受け取ったというのに、まだまだ力を感じる。まあ、君から離れすぎるとまた追い出されちゃいそうだけど」
「え、そうなのか?」
「うん。でも、君が気にすることじゃないよ」
 フォアはいつものように体を手にしたが、それがあくまでシーザライズの能力を経由しての仮初でしかないことを理解していた。
「いつもとは違うから、君と一緒に行動するよ」
「あれ、世界を見られるとか言ってなかったか?」
「こうして人間になった今は、それは無理な相談だよ」
「人間になった?」
「物質化したからね。あまり君と離れてなにかあっても困るし」
「どのくらい離れたら困るんだ?」
「うーん、100キロくらい?」
「……まあ、なにがあるかわからないからな」
「ところで、さ」
 フォアは改まって、シーザライズの顔を見た。
 そして、ありがとう、と感謝の意を込めて頭を下げた。
「えっ! どうした!」
「うわ、信じてくれてうれしいのに、水を差すの?」
「う……えっと、その」
「およよ、ぼくは寂しい」
「元気いっぱいみたいだから無視したい」
「あ、ひどい」
「とりあえず、これからもよろしくな。えっと」
「フォアと呼んで。シーザライズ」
「裏切ったり、しないでくれよ」
「フォークくんとの約束があるからね。情報屋さんたちとはぼくは違うよ」
「だといいが」
 笑みに喜びの色を見て、フォアは彼が本当は人懐っこい人間なんだな、とぼんやり思った。



「シーザライズ」
「……情報屋、クルアか」
 フォアの背後で、金髪の男と、まるで夢を見るように目を細めた黒ずくめの男が立っていた。
「レリアの件、すまなかったと思ってる」
 すっと、フォアがシーザライズとクルアの間から離れた。
 クルアが国へ、逃げ隠れしていたレリアの居場所を伝えなければ、こんなことにはならなかった。
「間違ったことをしたとは思っていない。でも……キルストゥの弾圧は、望んでいない」
「今更、本当だか」
「貴族の中に、キルストゥを快く思ってない人がいる」
 淡々と、フォアは口に手を当てて呟いた。
「フォア」
 シーザライズがフードの青年を見やる。
 冷淡な瞳が、くいっと広場へ向けられていた。
「フォア? 誰だ」
 クルアは警戒に自らの腕輪に触れていた。
「いろいろ便利な『神様の遺品』だね。ぼくは彼、シーザライズの味方だよ」
「初めて聞く名だな。王宮について、詳しいのか?」
「ううん、違うけど、彼らが――まあ、一部だけど、なにを思ってキルストゥの弾圧をしでかしたかはわかってる」
「レリアの両親を、王族が殺したとか言ってたな」
「聞いてたんだね。じゃあ、誰が悪いかはわかるんじゃないかな」
「待ってくれ。俺はなんのことかわからない」
 待ったをかけたのは、シーザライズだった。
 失意に打ちひしがれていた後にこれだ。
 ついていけないものの、クルアは人差し指を立てて、告げる。
「王がいなくなった後、貴族たちが国を取り仕切る。
 王がいないことで得をした貴族たちが、キルストゥをも邪魔に思った」
「キルストゥを追い出すために動いた者がいたんですね」
 黒髪の男が不意に言葉を出した。
「彼らは魔を払い、国や民の安寧を支えるもの。
 私たちは間違っていたのでしょうね」
「うん」
「フォアはあっさり認めるな」
「キルストゥに恨みを持った人物。それは、どう考えても人間じゃないでしょ」
「あ……いや、でも魔にそんな考えができる存在がいるのか?」
「神様だっている世界だからね。長い間をかけて人間と同じような存在になって、そそのかす者が出てもおかしくないよ」
「それ、キルストゥが無能だから出たんじゃねえか?」
 クルアはため息をつくものの、フォアはそうとは限らないよ、と援護した。
「他国の存在が、こちらにきたならそういうこともある。
 キルストゥはあくまでこの国を支えるもの。他国ではそういう存在はあまりいないみたいだ」
「つまり、レリアは」
「はめられたんですね」
 黒ずくめの男の言葉に、フォアは首を縦に振った。
「そそのかした女――彼女が、魔だった。しかし子供のレリアにはわからなかった」
「というか、キルストゥがふつうに一般人として暮らしてるのが問題だっつーの」
「それはいろいろ大人の事情があったんでしょう」
 言いながら、フォアは納得するように首を縦に振った。
「さて、クルア。どうします?」
「キルストゥがいなくなると、魔を払う者がいなくなる」
「最悪、戦争が起こるよ。人同士のね」
 さらっとフォアが言うと、三人の視線を集めていた。
「あれ、ぼくなんか変なこと言った?」
「戦争って、魔と関係があるのか?」
「戦争っていうのは間違いだったかも。内戦。キルストゥは国民相手にゲリラ戦を仕掛けるかもしれない」
「おい、そんなこと聞いてないぞ」
「……本当に、そんなことが起こるのか?」
「ありえない未来ではないですね。そもそも、この国は有望な子供をさらって暗殺者に仕立て上げるような一面を持っていますから」
「まあ、リタルが言うと説得力あるよな」
 クルアは黒ずくめの青年、リタルを見て頷いた。
 実際に暗殺者としてさらわれた少年は、実家を夢見て組織と対立し、神の遺品ともいえる能力をもつ腕輪をもつクルアを味方にして組織と距離を置くことに成功した、数少ない逃亡者だったのだから。
「つまるところ、キルストゥを根絶やしにしたい魔と組んだ貴族と、キルストゥたちとの戦争が内戦になるって話だよな」
「それ、やばいだろ」
 軍隊は当然もっている国とはいえ、キルストゥは一族である。
「王族がほとんど根絶やしにされているから、希望もほとんどないんだよね」
「フォア、それじゃあ、戦争は避けられないのか?」
「案外、この国が好きなのか?」
 そういったクルアをにらみながら、
「違う。余計な死人が出ない方法を探したいだけだ」
「なら、やることは簡単だよ」
「王族がまだ生きている。行方不明になった王子ですね」
 リタルは告げると、フォアはそうそうと首を振った。
「彼がキルストゥと好意的なことが条件だけど、ぼくが世界の外から見た限りだと、レリアと親しかったみたいだから、敵意はないみたい」
「それ、複雑な感情が混ざってるとか言わないよな?」
「遊び友達だったみたいだよ? それに彼は、レリアに殺される前に王や側近によって逃がされている」
「……唯一助かった、というわけか」
「ほかに生き残った王族も、キルストゥとは仲が良いから、喧嘩を仕掛けるのは魔と手を組んでる貴族たちだね」
「目障りだな」
「彼らが国を支えてる面もあるんだ。そういうな、シーザライズ」
「へんっ、どうだか」
「クルア、これからどうします? 私としては、戦争回避のために手を回す道を歩んでほしいですが」
「農業をやるためだろ? わかってる」
「シーザライズもそうしてよ」
「いや、例の少年とかいったか、助けるんじゃないのか?」
「まだ生まれてないものは、助けようがないよ。それに、生まれるように歴史を変えてかないとならないし」
「なんか、壮大な話をしてるんだな、お前ら」
「フォアは世界なんだと」
「さっき聞いたから、理解はしたいつもりだ。……信じがたいが、神がいる世界、魔もいて異世界の存在がいてもおかしいとは思わないよ」
「嘘をつく必要も、あなたからは感じられませんしね」
「てへへ」
「フォアは誰に似たんだ?」
「フォファ―だよ」
「誰だよそれ」
「とにかく」
 こほん、と一息入れるように、クルアが咳払いした。
 それを見て、三人は金髪の彼を見つめる。
「この国を内戦させない。それでいいんだな?」
「だいぶ時間はかかるだろうけれど、とりあえず、今はそれしかないよ」
「レリアのほかに被害者は出さない」
 シーザライズは口にすると、それは確かな手ごたえがあった。
「農業」
「リタルはいい、それでいいから」
「農業好きなんだ」
「ええ。実家が農家でして。作物を育てて特に大陸中央から」
「あー、その話はあとだあと。長くなるから」
「クルア、せっかく聞いてくださる方がいるのに話をしないのは失礼です」
「リタルも農家系の話になると途端に専門家風になるのやめろ、聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
「クルア、あなた全然私のことわかってないですね」
 なんやかんやで。
 レリアが関わった四人は、これを機に、長い時間をかけて親睦を深めていく。
 それがこの小国の運命を変える鍵でもあったと知るのは、数十年後の話――。